第23話 prologue2-departure
「お前、この園を出るんだってな」
1996年春。大きな桜の木を有する広場で、俺はブランコを楽しそうにこぐ一人の少女に話しかける。彼女は朗らかな顔で「うん」と返すが、その笑みが虚勢だということをよく知っている。
少女は誰よりも今の居場所である
子どものための駆け込み寺でもある春風園には当初10人も子どもはいなかったそうだが、10年くらい経って俺が入園した時にはすでに100人を超えていた。生徒の数が増えた分だけ敷地も施設も人員も増え、今となっては教育機関と児童保護施設、あと教会を足して三で割ったような摩訶不思議な施設に成り上がっている。
春風園の運営責任者である「シスター」は『子どもは守られる立場にあり、無条件で親の愛を受けるものだ』と常々言っている。でもここに集まった子どもはその条件に当てはまらない「はぐれモノ」ばかりだ。両親の離婚、経済的不和、親からの身勝手な暴力。とにかく様々な理由で実の親に放棄され、何もかもを信じられなくなった子どもがここには大勢いる。中にはシスターや他の職員たちがどれだけ甲斐甲斐しく接しても、心を閉ざしたままの子どもも少なくない。
だからこそ、園の卒業が近くなる時期に舞い込んでくる「新しい親」の話は信じられるものではない。
「大丈夫なのかよ、お前を引き取るって言ってるやつは?」
「シスターとも何度も会って話してるし、私も何度も話してる。それにね、その人と話してるとなんだか落ち着くんだ」
俺も一度だけ彼女と話す大人の男を見たことがある。真っ黒なスーツを着たそいつは年齢が40くらいの細身。若干白髪が混じっていて180センチ以上ある長身のおかげで遠くから見ると細長いお菓子のとっぽに見えた。
「そんな曖昧な理由で」
「曖昧だけど、なんとなく信じられる」
目の前の少女は例外だが、園の子どもを引き取りに来る大人というのは、こちらもいろんな事情で子どもを授からなかった大人たちが、シスターを経由して新たな家族として迎え入れる園独自のやり口だ。子どもでいるうちは、どうあっても一人で生活することはできず、大人の力を借りて生活するしかない。園の保護も中学までと決まっているので、どれだけ遅くとも卒園までには新たな家族を希望するか、高校生の年齢になった時点で園を卒業後は一人暮らしを余儀なくされる。
ただしほとんどの子どもは新たな両親と新生活を迎えているようなので、それだけシスターや他の職員が尽力しているのだろう。
すでに一度捨てられた存在であるはずの俺たちに、今さら偽りの親を設けられても戸惑いしかないはずなのに、それでも高校に上がる前に園を卒業できているのだから、園の大人たちの根気強さも相当なものと言える。
「もしかして引き留めに来たの? 私がいないと寂しい?」
「バカ。いつ誰がそんなこと」
「私は寂しい」
彼女のなけなしの強がりはすぐに決壊する。
「みんなと遊んだこと、みんなと一緒にご飯食べたこと、悪いことしてみんなで一緒にシスターに怒られたこと、本当に楽しかった」
「最後がわからん」
「家にいた時のことは忘れちゃったけど、ここにいた記憶だけはずっと覚えていられる。ここでもらった『楽しい』で次のお父さんと上手くやっていく」
少女の言い分に強がりはない。不安はいつも俺たちを追いかけ回すし、先のことなんてわからないことばかりで、広がっているのは真っ暗な道だけど、今の彼女からは不安の空気は感じられない。
「私、幸せになる。もう二度と悲しくなって泣かないように。園のみんなに外の世界は大丈夫って言えるように」
強く笑う彼女を俺はカッコイイと思えた。
だから、俺はこれからを幸せに生きる彼女に言ってやることにした。
「じゃあもしこの先何かあったら俺のことを頼れ。一回だけなんとかしてやる」
「アキが?」
少女から、俺は下の名前を取ってそう呼ばれていた。
「なんとか、してくれるの? 私に何かあったら?」
「無茶苦茶なのは無理だぞ。世界征服とか」
「でも、アキならなんとかしてくれそう」
「……さすがに無理だって」
当の本人が無理だと言っているのに、少女は首を横に振って俺の不可能を否定する。
「アキは私のヒーロー。なんでもしてくれた」
だから、と少女は微笑みながら
「困った時が来たら、私を助けて」
それは俺が園内でいう小学生の位に上がる前のこと。
園内で最も俺に懐いていた、妹のように慕ってくれていた少女の旅立ちの日のこと。
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