第19話 We are (not) Alone-2nd
11月の到来とともに、冬の寒さは本格化している。今日も防寒をしてないと確実に風邪を引いてしまうだろう。
でも今の私は別の意味で体を震わせていた。
「やっぱ外寒かったな。まあ時期と時間帯を考えれば仕方ないけど」
私たちは風俗店を出て駅前の喫茶店で向かい合わせに座っている。窓際の席でお昼なら外の景色がよく見えるのだが、今は夜なので真っ暗だ。
向かいで話すのは私の幼馴染、日比野明。そして今の私にとってはこの世界にただ一人の断罪者だ。
「何か注文しろよ。ただ店にいるんじゃ追い出されるかもしれないし。鈴子は何が良い?」
私が話せるような精神状態ではないのに相手はお構いなしだ。まるでこの状況を楽しんでいるようにも見える。今だって喫茶店のメニューを見て何を注文しようかのんきに悩んでいる。
「……もう良いでしょ」
話を進めようとしない明に変わって、私は切り出す。
「早く親にでも先生にでも全部話せばいいじゃない。援助交際していたのは朝宮優じゃなくて私、花巻鈴子だって」
半ば自棄になって私が明にそう告げると、明は喫茶店のメニューを静かに閉じた。
「確かに、今俺がお前のことを大人たちに言えば学校の噂は完全になくなって、援助交際をしていたのは朝宮じゃないって証明できる」
「だからそうすればいいじゃない。なんだってこんなところでコーヒーなんて飲まなきゃならないのよ」
「それは外が寒かったから」
「ふざけるのも大概にしてって言ってんのよ!」
テーブルを叩き立ち上がる。周りの客は私に視線を送ってるけど構うものか。
「私がどんな気持ちでここにいるのかあんたにわかんの? 外が寒かったからって温かい場所で温かい飲み物でも飲めば全部解決するの?」
「ふざけるのも大概にしろ、だと?」
しかし私はこの瞬間でさえ、自分が大きな思い違いをしていることに気が付いていなかった。
「それは俺の台詞だ」
座っているのに明の眼光は睨んだだけで人を殺せるような目で私を睨んでいた。
「お前がはっきり言うから俺も正直に言ってやる。本当なら今からでもお前を引っ叩いてやりたい。それをなんとか我慢してお茶してやってんだから感謝してほしいくらいだ」
そしてこの喫茶店に来たのも私のためとかでは全然なく、自分の苛立ちを抑えるために休憩しているんだと知って、余計に背筋が凍る思いをした。
私は自分以上にこの状況に憤怒している知人をこれ以上怒らせないように静かに座り直す。
「なんだ。まだ何か言い足りないんじゃないのか?」
「怒ってる理由が私にあるって言うんなら、私がこれ以上何か言えるわけないじゃない。私が悪いんだから」
明は「よくできました」と褒める。あからさまな虚言を受けても面白くもなんともないけど。
「なんで、私だってわかったの?」
私の質問に明は不思議そうな顔をする。
「だって、私のこの格好」
「ああ、見事な変装だと思う。それこそ朝宮に見せたら驚くだろうよ」
皮肉を言われても仕方がない。何故なら今の私は黒いウィッグを被って学生服を着ている状態なのだ。しかもできる限り学校のとある人物に似通わせるように化粧までしている。
窓を見ると、そこに映っているのは確かに朝宮優だった。しかしそれは上っ面だけの偽物。
「教えて。どこで私だってわかったの? 確信がなきゃ私を騙して待ち伏せもできなかったはずよ」
私は苛立ちをぶつけるように同じ質問を繰り返す。
「最初に『あれ?』と思ったのは、今の状態のお前と最初にあった時だ」
それは油断して明にあの界隈で見つかった時の話だ。明は私を朝宮優だと思い込んで、店の中にまで入り込んで来たから今でも鮮明に思い出せる。
「みっともないからあんまり思い出したくはないけど、俺はお前が店の中に入っていくところを見て必死に引き留めようとした」
「周りの人が部屋から出てくるくらいに騒いでたものね」
「お前あの時、一言も声を発しなかっただろ?」
「そりゃそうでしょ。声なんて出したら」
そこで私も気付いた。
「そうだ、声を出したら誰かがわかる。実際あれが本物の朝宮でも声は出せなかっただろうけど、俺の口止めはその日のうちにしないといけない。本当に朝宮本人があの場にいて、その日に口止めしなければ後々首が締まるのは自分の首だ。時間が経つほどに不利になるのなんて馬鹿でもわかること。なのに朝宮はその日に俺に接触するどころか次の日に学校を欠席していた。けど風俗街にいた情報だけが学校の掲示板にさらされたわけだ」
言わなくてもわかるよな、という明の雰囲気は私にしっかり伝わっていた。
「俺はてっきりあの夜に朝宮を見たのは俺だけだと思っていたから、他に学校関係者で朝宮を見かけたやつがいたのかと思った。けどあの夜に俺が見た朝宮が偽物なら話は別だ。ただ黙って俺をやり過ごし、片や本物の朝宮を徹底的に貶めればそれでいいんだから。朝宮を見たといういるはずのない第三者をでっちあげれば、俺の気も逸らせる」
「よく偽物だって思えたわね? それだけ朝宮優を信用していたの?」
「朝宮っていう人間が、夜遅くにあんな場所にいる理由が見当たらなかった、それだけだよ」
朝宮優が明に近づいていたことは私も知っていたけど、人嫌いの明が見当たらなかったと断言するほど、必死になって彼女の事実を探したことに私は驚いていた。
それだけ彼女にお熱だということもわかり、私の心に不快感が広がる。
「ただ風俗街にいたのが朝宮でないとなると問題はより面倒になる。何せ俺たちの学校の掲示板に悪戯できるのは同じ清臨の人間だけ。つまり学校に関わる全員が容疑者になるんだ。ある程度こっちでふるいにかけないと調べることもできない」
「どうふるいにかけたっていうの? うちの学校の生徒だけでも1,000人は超えてるわよ?」
顔も名前も学年さえわからない状況でどうして私だとわかったのか。当てずっぽうで私だと決めつけるには無理があるはずだ。如何にして私にたどり着いたのか、私は気になって仕方がなかった。
「学校から調べるのは骨が折れる。だから別の角度から調べることにした」
「もったいぶるわね。さっさと言いなさいって」
「お前と会ってたおっさんだよ」
言われれば納得はいったがあの人を標的にしたと口にして言われると、背筋が凍った。
「大人を相手にしたってこと? しかもあんたとあの人はあの夜にしか接点ないじゃない」
「高校生たぶらかして遊んでるって事実がある以上、向こうが弱みを握られてる状態から始めてるんだ。アドバンテージはこっちにあった」
それに、と明は携帯を取り出す。
「連絡先も交換済みだからな。住所、本名、勤め先全部」
「そ、そんなことどうやって」
「直接本人に聞いた。今回お前をおびき出せたのもおっさんに手伝ってもらったからだ。じゃないとお前も呼べなかったし」
「だから、どうやって直接聞いたの。明とあの人の繋がりってあの店でしか」
「あの店で張り続けたんだ。ここ3日間」
信じがたい事実に私は困惑するしかなかったが、明は話し続ける。
「あの夜は俺が騒ぎを起こしたこともあって俺はそのまま帰っちまったが、次の日の夜からずっと同じ店で張り続けた。そしたら昨日の夜にようやく会えたんだよ、あのおっさんに。おっさんはあの夜にお前とやれると思って数日我慢してたみたいなんだが、俺の乱入で不完全燃焼に終わって昨日の夜までずっとお預け状態だったそうだ。だからお前と会える日まで待てなくなって別の女子に手を出した」
私とも遊んでいたような男だったから自分だけではないと思っていた。ただ第三者からあの人の裏切りを聞かされるとなんとも言えない気持ちになった。
「で、店から出たところを俺が写真に取って、おっさんに直接話を聞いたと」
「脅しの種に使ったのね」
邪悪な笑みを浮かべて明は頷いた。
「おっさんは、偽朝宮は下の名前しか教えてくれなかったと言ってたが、知ってることは全部教えてもらった。で、聞いてびっくり。下の名前がりんこだって言うんだ」
「下の名前だけじゃ偶然として処理できるでしょ?」
「でも朝宮よりは調べ甲斐がある。おっさんの話を聞いた後はお前に焦点を当てて所属している部活、友人関係、その他諸々調べてみた」
「たまたまで私の身辺調査までしたの? 明って意外と考えなしなのね」
膝の上に載せていた両手の握り拳は無意識の内に力が入っていく。握り過ぎて爪に食い込んだ掌から血が出て、それが指の隙間から流れ出る。
「だがそこからわかったのはお前が夜歩きしてるっていうヒントばかりだった」
「例えばどんな?」
「お前最近、遅刻多くなってたよな」
「……何よ急に」
「遅刻だけじゃない。お前が所属している部活の途中帰宅の回数もだ。これもここ最近かなり多くなってる。大会が近い日でも関係なくな」
「それがなんだって言うの。言いたいことがあるならはっきりさせないさいよ」
じゃあ、と明は少しも言いにくそうにせず告げる。
「夜にホテルでお盛んになって、全てが終わるのは深夜ないしは明朝。向こうは大人だからある程度の体力もついてるが、高校生女子の持久力なんてたかが知れている。よって遅刻が多くなり、それでも夜の約束事を終わらせる気はなかったから部活も蔑ろにして途中帰宅になるわけだ。そりゃ朝は遅くなってもおかしくない」
明の予想は途中帰宅をして、ホテルに行く準備をして移動したんだろうと考えているようだ。
まったくもってその通りだったので私は沈黙に徹した。
「補足すると、最近太ったと俺が感じていたのも間違いじゃなかった。練習の数が減って食べる量が減ってないならカロリーも燃焼されないんだから」
「まるでトレーナーね。いやストーカーね、やってることは」
どっちでもいいよ、と明は心底どうでもよさそうに答える。
「ここまでが状況証拠ってやつだが、何か反論あるか?」
「あるわけないじゃない。状況証拠だけならいくらでも反論してやるつもりだったけど、あんたには現行犯がある」
強気に返すが、明が調べて来たことは全て私の過去に他ならない。おまけに現行犯もある。私に反論などできようはずがない。
子猫が頑張って全身の毛を逆立て大きく見せようとしているような、そんな儚い反撃しか私にはできないのだ。
「言ってるじゃない。さっさと親にでも先生にでも言えばいいじゃない。こんな答え合わせの何が楽しいのよ」
逆ギレで相手を威嚇するなんて最低の行為だが、そんな苦し紛れの態度に明は意外にも苦虫を噛み潰したような表情をする。
「お前が朝宮の変装をして校内にあんな悪戯をしたのは、朝宮に恨みがあったからか?」
「恨み? そんなものあるわけないじゃない」
「なら何故」
「あの子にはむしろ尊敬しかないわ」
でもね、と私は続ける。
「明は知ってる? 尊いモノほど汚した時の快感は何物にも代えがたいのよ」
不敵に笑う私を哀しい瞳で見つめる明は今までで見たことがないものだった。私が話せば話すほど、私たちの間にあったものが壊れていく気がしたけど、そんなことさえどうでも良かった。
「朝宮優は私にとって絶対になれないものの一つだった。私と同い年なのに全てを持っていて、持っているものを完全に使いこなしている。こんな完璧な女子がしかも同じ学校の同い年なのよ? 憧れだってするでしょう? 汚したいと思うでしょう?」
「自分の状況も含んで、余計にそう思えたのか」
「知った風に私を語るな! 私のことなんて見てもなかったくせに!」
そう。目の前の他人ごときが私の何を知っているというのか。
「お前の言う通りだ。俺はお前のことを、花巻鈴子という人間を直視していなかった。だから知った。お前の暗いところ全部」
明は確かにそう言った。私の前で「暗いところ全部」と。
「探偵や警察ならお前の悪事を暴いてお終いだが、俺は探偵じゃないし警察でもない。だからこそお前がこんな馬鹿げたことをするきっかけを全部知りたかった。知らなきゃならなかった」
絶句した。この男子はどこまで私のことを見て知ったのか。
「お前のことを全部知って、お前にも知ってもらう。俺がこの数日どんな気持ちで走り回っていたか」
私は何も知らなかった。
目の前の幼馴染は私に何一つ伝えたいことを伝えていなかったのだと。
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