第18話 We are (not) Alone-1st

「……はい、ではその時間に」


 夜が来た。

 夜は私に絶望を与えるとともに幸福を運んでくれる。

 だから私は夜が来るたびにこの絶望を待っているような気さえする。


「……行かなきゃ」


 携帯の通話ボタンを消し、今日も出かける支度を整える。

 時間は十一時。前回は知人に姿を見られたので、今日はより注意しなければならない。

 出かける時は決まってお気に入りの格好で、自己満足に浸る。

 この行為が間違っていることは知ってる。でも止められない。

 止めれば、私に残るのは傷だけだから。


「……行ってきます」


 誰もいないはずの家に挨拶をして私は夜の街に繰り出す。


「今日は、満月だったんだ」


 不意に見上げた夜空には星はなかったけど、綺麗な月が見えた。それは惨めな私を見下げているようで少し憎たらしい。

 新宿の街はいつも人でごった返している。朝でも昼でもそれは変わらない。眠らない街とはよく言ったものだと思う。特に夜は風俗街が活気付く。色気付いた女は男を誑かし、男はそんな女に酔いしれる。社会に疲れた大人がこの場所に心の安定を求めるのは今ならなんとなくわかる。

 だって、私もその一人だから。


「やあ、こっちこっち」


 時間だけなら2カ月になるこの人との関係は良好だ。羽振りも良いというのが理由の一つだが、それだけじゃない理由もある。


 彼は私の孤独と苦しみを癒してくれた。

 周りの人間たちは私に過度な期待を向ける。それがどれだけの精神的不安になっているのか知りもしないで。期待以上の成果を上げても「当然だ」とでも言いたげな顔をするだけなのだ。それは教員だけでなく、同じ部活の仲間や果ては親までがそんな態度で接してくる。


 そこで私は気付いた。誰も私のことなど見ていないんだと。見ているのは私を通しての私の評価だけだった。


 それが崩れ去ってしまえば、彼らが向けるのは憐れみと落胆だけだ。


 今まで傾けていた情熱や努力も無駄のように思えて、足元から崩れていくような感覚に襲われる。


 怖かった。自分の頑張りがどう転がっても次に結びつかないと理解したその時から、私の居場所はどこにもないんだと思えたから。


 私は自分の居場所を探すことに躍起になった。そしてその到達点が今いるここだった。


「最近会えなかったから心配していたんだ。学校で何かあった?」

「いえ、特に何もなかったんですけど」

「ああ、ごめん。素性の詮索はご法度だったね。君から一週間も連絡なかったのは初めてだったから気になっただけなんだ」

「……気にかけていただいて、ありがとうございます」


 本心だった。私は彼に気にかけられて本当に嬉しかった。

 それでも、彼と彼女には悪いことをしたとは思っている。

 こんなことになるんならあの二人にだけは謝れば良かったなと思ったが、それを行動にする勇気はなかった。

 もしそんな勇気があれば、私はこんなことに手を染めてはいないだろうから。


「無理してない? 今日はどこか元気がないように見えるけど」

「そんなこと。私は全然問題ありませんから」

「でもなぁ」

「私のこと、飽きちゃいました?」

「まさか。君が良いなら喜んで」


 慌てたり、喜んだり、子どものように表情が変わる。これで私なんかよりずっと大人だって言うんだから笑ってしまう。


「今日は前に行ったお店に行こうと思うんだけど」

「はい、私もあそこで良いです」


 前回はとある知人のせいでせっかくの時間が台無しになっている。その払拭も兼ねて彼の誘いに乗ることにした。移動の際に主だった会話は流れない。どんな会話も自身の個人情報を知るきっかけになるからだ。ただ目的地までずっと黙っているのも難しいので、好きなものや趣味といった個人を特定しない内容なら話せるのでそういう会話で時間を潰す。この会話が楽しくないと言えば嘘になる。しかしこれを喜怒哀楽の楽に含んでいいのか曖昧だ。それは自身がずれたことをしているんだと実感しているからでもあった。


「着いたね」


 話に夢中になっていたからか、目的地には前回よりも早く着いた気がした。どこかで前回のやり直しを期待しているのだろうか。


「前回とまったく一緒。二階だ」


 彼を先頭に私は歩いて行く。クリーム色を基調とした廊下は煌びやかな装飾が施され、似たようなお店に入った最初の頃は目を奪われた。現実と夢の間に立っているような感じが得られて私の心は間違いなく揺さぶられていた。それは今でも変わらない。


「あ、そうだ。コンビニに用事があったのを忘れてた。すぐ戻るから待っててくれるかい?」

「なら私も一緒に」

「大丈夫、すぐに戻るから」


 少し慌てて彼は部屋の鍵を持って退出する。そそっかしいところは会った時と変わらない。初めて会った時もあんな風にそわそわしてどこか落ち着かない感じだった。

 あれで普段は立派に働いているのだから本当に男というのはよくわからない。


 彼を待つ間、私は汗ばんだ手を洗うために洗面所に向かう。

 この後の行為でいろいろと汚れることもわかっているけど、せめて手だけは綺麗にしたいという欲求が芽生えた。


「笑っちゃう……」


 それはどこか自虐めいていて、でもそんな矛盾さえも愛おしく感じてしまっている自分がいる。

 本当にどうしようもない。


「まだかな……」


 洗面所を出て再び大きなベッドに腰かけようとすると、部屋の出入り口から施錠した鍵が開かれる音を聞く。

 私は彼が帰ってきたのだと思い、ベッドから腰を上げて出入り口に近付いた。

 

 扉が開くと、そこには目を疑う光景が私の目に飛び込んで来た。


「あのおっさんはもう来ないよ。持ち物一式持って行った時点で気付くべきだったな。本当は別の理由で外に出たんだって」


 心臓を氷の針で刺すような衝撃が全身に走る。

 それは聞き覚えがあるとかそんな生易しいものではない。

 だってその声は小さい頃から聞いていた声で、私が親友だと言い続けた男子の声なのだから。


「できれば、こんな形でお前を追い詰めたくなかったけど」


 部屋の外から漏れ出た逆光で彼が裁きを下す神の使いのように見えた。

 それはまるで私に「逃げるなよ」と問いかけているようだった。


「ちゃんと向き合うならこうするしかなかった。それがお前に対する誠意だ」


 その誠意が私の足元を、これまでを、そしてこれからを突き崩していく。


「だから、もう終わりにしよう。鈴子」


 名を呼ばれた瞬間、私は膝から崩れ落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る