第15話 sincerity-4th

 朝宮絡みの騒動から翌日。昨日の校長の校内放送が効いたのか、クラスでも朝宮のことをあれこれ言う生徒はほとんどいなくなっていた。それでもゼロにはなっておらず、数人の生徒たちからは今日も欠席している朝宮のことを不審がる姿を見かけた。

 そんな中、俺はと言えば正午を過ぎたあたりで学校を出ていた。行き先は俺たちの学校の最寄り駅でもある清臨高校前駅。そこから五つ目の駅を降りて徒歩10分のところにある閑静な住宅街が目的地だ。


「ここか」


 もちろん今日も昼休みの後には午後の授業があるのだが傾に言い訳、もとい休む理由を告げて午後の授業は欠席した。しかも学校を休んでまで行くところを白状したら、傾は目的地に行くまでの詳細な行き方、果ては地図までデータで渡してくれたので探すのには苦労しなかった。

 表札には「朝宮」とあり、家の前に来て今さらながら俺は言い知れぬ緊張を感じていた。


「一応買って来たけど、これで良いよな」


 左手にはみかんの缶詰とスポーツドリンクがある。全部コンビニで購入したものだが俺が体調不良の時はこれらの商品に酷く助けられている。朝宮の場合でも適当かはわからないが、大外れではないはずだ。


「食べてくれれば良いけど、こういう時に限ってどっちか苦手とか言われそうだ」


 自分のネガティブ思考に肩を落としつつ、それでもいつまでも立ち尽くしているわけにもいかないので、一呼吸入れて朝宮家のインターホンを押す。家には確実に朝宮がいるはずだが、もしかしたら親御さんもいるかもしれない。念のため余所行きの態度でも応じる心の準備もしておく。


「……寝てるのか?」


 誰かが出てくるのを待っているのだが、なかなか出て来ない。

 二回目のインターホンを鳴らすが、やはり誰も出て来ない。

 三度目のプッシュを試みようとしたが、熟睡している朝宮をこれ以上うるさくするのも気が引けたので、事前に用意していた置き手紙とドアの取っ手にみかんの缶詰とドリンクを入れたコンビニ袋をぶら下げておいた。


「時間を置くか」


 夕方くらいにもう一度チャレンジしようと来た道を帰ろうとした時。


『……はい。朝宮です』


 インターホンから声が聞こえた。声は風邪の影響か。ややかすれているが間違いなく朝宮の声だった。


「し、失礼します。日比野です」


 相手が朝宮だとわかっていたのに、声が裏返った。

 恥ずかしい限りである。穴があったら入って誰でも良いから埋めてほしいくらいだ。


『日比野君? え、なんで? 今日は学校のはず』

「差し入れを持って来た。風邪だって聞いたから。それと今はご家族の方はいるのか?」

『今は仕事、ってそんなことより学校は、げほっ!』


 インターホン越しでもわかるほど朝宮の体調は悪そうだった。校長や他の教師連中の言葉を疑っていたわけではないが、この時点で俺もようやく朝宮の体調不良を信じることができた。


「今日来たのは差し入れもそうだが、話があって来た」


 朝宮は『話……』と繰り返す。


「お前は知ってるかどうかわからないが、今学校はお前のことで少し感じが悪くなってる」


 思い悩んだ吐息がインターホン越しでも伝わってくる。どうやら朝宮自身今の自分の状況を理解しているようだ。


『校長先生と担任の先生からはある程度話は聞いています。私が繁華街で夜遊びしていたとか』

「知っているなら話は早い。実際のところお前は」

『それを、あなたに言う必要はありません』


 風邪を引いていても朝宮の声ははっきりとしていて、それゆえに顔を見なくとも理解できるくらいに彼女があの夜に起こった出来事について深く追求することを拒否した。


『お答えできるのは、学校で流れている件については事実無根だということですね。何しろ私は新宿にはいませんでしたから』

「その証拠は? それさえあればこんな不確実な噂は」

『何様のつもりですか?』


 朝宮の明確な敵意に俺は言葉を詰まらせた。何故なら彼女の拒絶は今の俺と彼女の関係を率直に確認するものだったから。


『あなたは誰とも関係を作らず、他人とは距離を置いていたはず。そんなあなたが何故今になって私に近付いてあれこれ聞いてくるんですか? 私が近づいていた時にはずっと鬱陶しそうにしていたのに』

「それ、は」

『今の日比野君はただの野次馬です。控えめに言って迷惑です』


 言われても仕方ないことだった。たとえ今この状況で朝宮にあの夜のことを語ってもらったところで俺に何ができる? 何もできないことの方が圧倒的に確率としては上なのに、話したくない人の事情に足を踏み入れる。これが野次馬でなくてなんなのか。


『今も私のことを疑って、非難する人はいるでしょう。ですが私はそんなこと気にしません。何故なら私は噂で流れているようなことは一切していないのですから』


 会話の合間に咳き込んだり、話しにくそうにしているのに、それでも朝宮の声が途切れることはない。その言葉の力強さに俺は俺自身が恥ずかしくなっていた。朝宮に言われるまで俺は疑っていたのだ。俺は心のどこかで朝宮優は噂通りの女子なのではないかと。


『あなたは、他人と距離を置くがゆえに他人の噂には流されない人だと思っていたんですが、私の思い違いだったようですね』


 終わってしまう。ここで逃したら俺は二度と彼女と顔を合わせることができないと確信した。


「朝宮のことが心配だった」


 だから、反射で出た言葉も俺の正直な気持ちだった。


「本音を言うと、お前の悪い噂が聞こえた時、俺は堪えられなかった。後ろめたいことを何一つしていないお前が、かもしれないっていう曖昧な情報で流されるのが」


 相手に見えているかわからないがその場で直角に頭を下げる。何もできないまま終わるのはもう嫌だから。


「俺がお前にとってのなんなのかは、わからない。でもその答えが出せる努力をこれからしたいって思ってる。これは本当だ」


 こんなことで何かが変わるのか。そんなことが一つも浮かばなかった訳じゃない。でも俺にはこれしかやり方が見つからなかった。


「朝宮が俺のことを嫌って、拒絶したって構わない。けどもし叶うならもう一度チャンスをくれ」


 最後に俺はインターホン越しに深く頭を下げる。


「お前と向き合うチャンスを」


 数秒の静寂。物言わぬインターホンの向こうでは朝宮の吐息すら聞こえない。


『……持ってきて下さい』

「え?」


 半分以上諦めた時だった。自分の思いを伝えることに必死になって朝宮が発した言葉を一瞬聞き返した。そこには「聞き間違いであってくれ」という願いも入っていて。


『何度も言わせないで下さい。私は病人だし、親も遅くに帰って来るから差し入れを外に置かれても困るんです。だからあなたが持って入って来て下さい。家の鍵を今開けますから』



「えっと、良いのか? 家に上がって」

「こうするしかなかったんだからつべこべ言わないで。それと私のことは1秒以上見ないで下さい」

「……寝起きだった?」

「それ以上口にすればこの家から生きて帰れないと思ってください」


 命の危険を感じたが、朝宮が自力で立ち上がって動くことができる程度には回復しているとわかったので少しだけ安堵した。


 朝宮に連れられ一階のキッチンにあった冷蔵庫に俺の差し入れを入れて、玄関から居間を通り過ぎ、そのまま二階にある彼女の自室に上がらせてもらった。

 部屋の中は勉強机、本棚、クローゼットとシングルベッドがある。色合いは淡い緑色を基調としており、絨毯も草原に羊が描かれた可愛らしいモチーフになっている。本棚には多くの書籍が並んでおり、文庫本もあれば漫画も置いてある。その中にはやはりというべきか演劇に関する本も揃っている。

 朝宮のベッドの近くには水分補給のためか麦茶とコップがお盆の上に置かれている。


「あまり部屋の中を見ないでほしいんですけど」

「悪い。女子の部屋に入ったのは初めてみたいなものだから、目移りして」

「みたいなもの、ですか」


 じろりと睨む朝宮だが、今の発言に睨まれる理由が思いつかない。何か癇に障るようなことでも言ったのか。


「私がこんな状態じゃなかったらあなたには見せなかった。でも今回は状況が状況だから。その代わり最低限の節度を守ってもらわないと」

「もちろんだ」


 今の朝宮の機嫌はすこぶる悪いが、久し振りに聞いた彼女の声はどこか懐かしさすらあった。


「そもそもあなたは、ごほっ!」

「もう寝てろって。お前は病人なんだから」

「今は熱も下がって、体調は良い方ですから」


 布団に入ることなくベッドに座りこむ朝宮。見た感じだと話しているのもしんどそうだ。そして今さらだが、今の彼女はパジャマ着だ。こちらは薄いピンク色で上から紺色のカーディガンを羽織っている。如何にも病人らしい服装である。


「ちょ、こっちを凝視しないで下さい!」


 枕を投げつけられた。病に伏しているのに、顔面にクリーンヒットさせた朝宮の技量には素直に感服する。


「けど安心した。風邪が酷くなって声が出ないなんてなったら笑い話にもならない」

「あ、あなたは本当に私の心配を」

「してなきゃ家にまで見舞いには行かないだろ? でも部活の連中とか来ただろうから、俺の見舞いは必要なかったか」

「あなた、だけです」


 恥じらいを含んだ声で、彼女は答える。


「お見舞いに来たのは、あなただけ。他の人は誰も来ていないんです。部員には事情を話していましたし、来ないように言い含めましたから当然ですが、噂の渦中である私に近付こうなんて思わないでしょう」


 噂の件を考えれば演劇部の連中が一番堪えているはずだ。そんな状態で部員の人間が朝宮の家に来るはずがなかった。


「面白がって私の家の周りをうろついていた人たちは何人かいましたが、全員無視しましたし、あまりにしつこい人たちは母が撃退したそうですから」

「お前のお袋さん、すごいな……」


 同年代でも悪い噂に群がる馬鹿はいる。俺もその一人だと疑われたわけだが、最悪俺も朝宮のお袋さんに撃退されていたかもしれない。


「……あ、ありがとうございます」


 演劇部の連中や朝宮のお袋さんとバッティングした時のことを考えていたら、朝宮から何かを言いたそうにしてたので、思考を止め耳を傾ける。


「嬉しかったです。こんな状態で私の知らない間に学校中で悪い噂が流れて、かなり参っていたので。日比野君が来てくれて幾分か気が晴れたというか」

「それは、まぁ、どういたしまして……」


 皮肉一つ言えず俺はただただ普通の返しをした。妙な間が俺たちの空気を包んでいき、妙な間は俺たちのいる部屋の中を満たしていった。


「とはいえ! 私は軽い女じゃないですから! 弱っているとはいえ正常な判断ができないほど揺らいでいる訳ではありません!」


 いきなりテンションMAXでとてつもない拒絶を朝宮にされ、俺はドン引きした。


「た、確かに嬉しいな、とは思いましたよ。でもそれは吊り橋効果の可能性だって否定しきれなくも、ごほっ!」

「まだ体調が万全じゃないのに無茶するな。今はゆっくり休むことがお前の仕事だろ」


 朝宮を寝かせて布団をかけてやる。こんな元気な病人もいないだろう。


「まったく。今までこんなに落ち着きなかったか? 普段はもうちょっとお淑やかだった気がするが。学校や外では猫被ってたな」

「うるさいですね。ここは私の部屋で私は病人ですよ」

「病人ならさっさと寝ろ」

「……そんなにすぐには眠れない」

「子守歌をご所望なら相手が悪かったな。俺は歌詞すら知らん」

「歌はいいですから、何か話をして」


 あろうことかもっと高度な要求をしてきた。病気なのを良いことに俺に無理難題を吹っかけて楽しんでいるのかと疑いまでかけたくなってきた。


「話って何を話す? 桃太郎とかか?」

「……あなたのこと」


 朝宮が求めていたのはくだらない俺に関することだった。


「昨日どんな夕食を食べたのか、別の誰かとどんなお話をしたのか。なんでも」

「そんなこと聞いてどうする?」

「意味なんてありません。ただあなたの話を聞きたいだけです」


 ただ聞きたい。朝宮は熱に浮かされた状態でそう言った。


「面白くないぞ。俺のことなんて」

「言ったでしょう。意味なんてない。だからお話して。聞いたら眠るから」


 吐き出しそうになった溜め息を堪えて俺は少しだけ深呼吸する。

 緊張しているんじゃない。俺のことを聞きたがってる物好きのために少しだけちゃんとしようと思った、それだけだ。


「昔々、あるところに一つの家族がありました」

「いきなり。しかも紙芝居形式なんだ」

「文句があるなら打ち切るが?」

「ああ、大丈夫だから。打ち切らないで先生」

「誰が先生だ」


 気を取り直して俺は続ける。ちなみに病人を楽しませる気などまったくない俺は、話に緩急をつけることなく淡々と進めている。ただ朝宮の眼差しはそれこそ次の話を心待ちにしている幼子のようで。


「父親と母親は若くして子宝に恵まれ、二人が学生の間に男の子は生まれました」


 朝宮はへえ、と新情報に面白がる。


「そして子どもが生まれた後、父親は二人の前から姿を消しました」

「え……」

「母親は知りました。父親は自分と子どもを捨てたのだと」


 朝宮は熱のせいで少し紅くなっていた頬を徐々に青くしていく。


「残った母親は男の子を一生懸命育て、来る日も来る日も仕事をしながら必死に我が子を愛しました」


 言葉を失った朝宮はこれ以上聞きたくないと思ったのか、布団を頭から被ってしまった。


「しかし、母親は心が弱く寄り処がなければ生きていけない人でした」


 構わず話は進ませたが、朝宮は話の中断を要求しなかった。


「ですので我が子に暴力をふることにしました」

「なんで!」


 朝宮は布団を引き剥がし俺に詰め寄る。


「話の途中だ。昔話は黙って聞くもんだろ」

「だからって!」

「病人は黙って話を聞け」


 納得がいかないのも、理不尽だと思うのも無理はない。ただ朝宮がここまで食ってかかって来るとは思わなかった。朝宮は渋々布団をかぶり直し聞く体勢に入る。


「どれだけ殴ってもどれだけ蹴り上げても、我が子は自分を頼るしかない。生きていくには母親の言うことを守るしかない。そう思った時、母親は我が子に手加減なしの愛をぶつけることにしたのです」


 聞くに堪えない、そんな表情が朝宮の顔からは伺えた。


「母親の愛が振るわれてから半年。母親も子どもも壊れかけていました。どんなに愛を振るっても子どもは自分についてきましたが、母親は振るった愛の分だけ心にひびが入り、日を追うごとに傷付いていく我が子を見るに堪えなくなっていました」


 しかしそんな表情ももう少しで見納めになる。

 何故ならもう少しでこの話は終わるからだ。


「母親は自身でこの物語に幕を下ろそうと決意しました。しかし今まで傷付けた我が子を置いていくのは忍びなかったので、子どもも一緒に連れていくことにしました」


 勘付いたのか朝宮は「まさか」と呟く。


「母親は自分の子どもと一緒に、天国へと旅立とうとしたのです」

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