第13話 sincerity-2nd
朝宮絡みの学内騒動のおかげで、午前中は朝宮の話で持ちきりだった。様々な憶測が飛び交い授業中でも多くの生徒がああだこうだと言い合っていたが、昼休み中に校長が直接校内放送で朝宮の欠席が体調不良によるものだということと、掲示板に施された異変は事実無根の虚偽だと言い切った。放課後には各クラスの教員たちが念押しの朝宮無実の知らせを伝えたことで、一時の平穏が戻った。
しかしながら、校長を含めた教員たちの朝宮無実の知らせにおそらく証拠はない。朝宮には連絡を取ったとも言っていたがそれも嘘だろう。
一時の沈静の代わりに学内に小さな嘘を撒いたわけだ。ただしその小さな嘘はバレた際の爆発的な糾弾もはらんでいる。今回の騒ぎの証拠を掴み取ることで問題そのものをチャラにしようとしているんだろうが、万が一証拠が見つからず、騒ぎそのものが真実だったなら学校全体の問題に発展する。
(教員連中、思い切ったことするな。でもこれで時間は稼げそうだ)
放課後、俺は帰る支度を整えて教室を後にしようとした。
「ストップ、明」
しかしそれはできなかった。俺を呼んだのは鈴子だった。
「悪いが、急ぎじゃないなら明日にしてくれ」
「残念だけど、あんたの要求は飲めません。ま、手早くすればすぐに終わることだから」
そういう鈴子の右手には箒、左手にはちり取りが握りしめられた。鈴子が何を言いたいのか、そんなことはわかっている。
「教室の掃除だろ。でも今日は見逃してくれ」
「一人を優遇するわけにはいかないの。ここはしっかり掃除してもらうんだから」
ちり取りを差し出してくる鈴子にあからさまな拒絶の顔を示す。
「俺一人が抜けても大した不足にならないって。今日そんなに汚れてないし」
「ああもう、屁理屈言ってないでさっさとやる! 駄々こねる分帰りが遅くなるわよ」
最後は箒と塵取りを押し付けて、自分はさっさと黒板に向かおうとする。
「待てって。ほんとに急がないといけないんだよ」
「待たない。ほらさっさとする」
鈴子はその言葉を最後に掃除に集中し始めた。ああなったら誰が何を言ってもその仕事が完遂されるまで集中を切らさない。しかも俺たちのやり取りを見ていた周りの生徒たちは俺をさっさと掃除をしろと目で訴えてくる。
「……わかったよ、やりゃいいんだろ」
誰に言ったわけでもないが、声を出すことで掃除の参加を表明する。ただし適当にすれば鈴子はやり直しを要求するので最短でなおかつ完璧な清掃を遂行する。
目に見えるごみはもちろんのこと埃一つ残さない掃除を徹底した。他の連中も俺が掃除した部分から後ろに追いやった机と椅子を前に移動させて元の位置に戻していく。
清掃開始から15分が経ち、教室の清掃が終わった頃にトイレ清掃組も帰って来て両方の清掃確認を鈴子がしていく。
「オッケー。とりあえず目立った汚れ、ゴミなんかはなさそうだから、これで終わりにしましょう」
周りを見渡して鈴子がそう告げる。その報告に掃除当番だった生徒たちは「よっしゃ」とか「一緒に帰ろう」とか口々に言い合う。もちろん俺には口々に言い合う人間はいないので、掃除用具を早々に片付けて鞄を手に教室を後にする。
「待ちなさいっての」
しかし鈴子は俺の肩をしっかりと掴んでまたしても足止めをする。さすがにこれには腹が立った。
「……いい加減にしろ。お前の遊びにいつまでも付き合う暇はないんだよ」
「掃除は遊びじゃないんだけど」
毅然とした態度で俺に難癖をつけるのは委員長らしいが、この時ばかりはさすがに面倒を通り越してウザかった。
「なんなんだ。用事があるなら手早くしてくれ」
「あんたこそ何をそこまで帰りたがってるのよ? 今日はバイトの日じゃないでしょ」
「お前、俺のバイトのシフト知ってるのか?」
「明のバイトはホテルで出勤日は金土日でしょ。時間は金曜日だと十七時から二十二時まで。土日は朝十時から十五時までだったっけ? だから水曜の今日は何もない。でしょ?」
俺のバイト時間を正確に語る鈴子に戦慄した。そこまで詳細に話したことはなかったと思うが。
「何驚いてるのよ。前に聞いたでしょ。バイトしてるのかって」
「聞かれたかもしれんが、そこまで説明したか?」
「したのよ。しつこく聞いたから」
鈴子に言われて俺は思い出す。あの日は授業の合間の休憩時間だったか。次の授業の準備をしていたら急に鈴子が「明って今何のバイトしてるの?」と尋ねて来たのだ。あの時もあれこれ話しかけてきたから面倒だった。
「そういえば、意味もなく俺のバイト先のこととか聞いてたな」
「意味はあったわ。あの時の話でどういうバイトしようか迷ってたのが解消されたから」
「自分のバイト決めに俺まで巻き込むな」
文句を言っても鈴子は「もう遅いわ」と笑みを浮かべる。
「部活があるんだから無理にバイトしなくても」
「無理じゃないわよ。これでも自分用のお金は自分で溜めようって思ってるんだから」
さすが委員長は志が高くいらっしゃる。思ったことをそのまま伝えると苦笑いを浮かべて否定する。
「大した話じゃないわ。そうするしかないからしてるだけ」
「なんだそれ? お袋さんはお前が入用ならお金くらい貸してくれる人だろ?」
鈴子の母親は娘がお金に困っていたら嫌な顔しないで貸してくれる良い母親だったはずだ。共働きをしている鈴子の両親は娘のことを気遣っているし、父親だって今は単身赴任中だが、月に一回は家に帰ってきて家族サービスしていたはずだ。
「そうはいかないの。両親は優しいけど、その優しさにいつまでも甘えることはできない」
「ご立派なことで」
「だからそうじゃないって。その分両親からも期待の眼差しで見られてるんだから、良いことばかりじゃないの」
そりゃそうだろ、と俺は返す。学校でクラス委員長をし、学業も中の上はキープしており、陸上部では皆から信頼される成績を残しているのだから期待も一入だ。これで期待するなと言われても無理な話だ。
「話はこれで良いだろ、じゃあ俺行くから」
「今から行くところって、朝宮さんのところ?」
鈴子の言葉に俺は足を止め、彼女が俺を引き留めていた理由がわかった。
「聞いたところで鈴子には関係ないだろう?」
「朝宮さんの噂が本当かどうかはわからないけど、わざわざ面倒なことに首を突っ込むことはないわ。そういうことは明が一番嫌ってることじゃない」
「今回は嫌う嫌わないの問題じゃない。面倒なのは確かだがお前が俺を引き留める理由にはならない」
「心配だからに決まってるじゃない」
当然だろう、そんな言葉が続きそうな返答が俺の鼓膜を震わせる。
「明、わかってる? 今朝宮さんに近付いたら変な勘違いだってされるかもしれない。もしかしたら余計なことをして明が傷付くかもしれない。そんなの」
「忠告感謝するよ。ヤバくなったらとっとと引き上げるさ」
俺は鈴子に感謝の言葉を送り、意地悪くこう言ってやる。
「それにだ、お前が言ったんだぞ。友だち作れって。今のところその友だちに一番近いかもしれない人間を助けるのだって友だち作りの一環だろ?」
「それ、本心?」
その声にわずかながらに鈴子の怒気みたいなものを感じ取った。俺はそれを無視する。
「ここで嘘吐いてどうする?」
溜め息とともに吐き出された言葉に、鈴子はつまらなそうに唇を尖がらせる。
「これ以上引き留めるのは無駄みたいね」
「わかるのか?」
「何年付き合ってきたと思うの? 明は面倒臭がりで人付き合いもしたがらないけど、一度決めたら頑固なのよ。自覚ある?」
「薄々は感じてた」
「ならこれを機にしっかり自覚しておいて。じゃあ行って来なさい。友だちなら朝宮さんを助けなさいよ」
「言われずともそうするつもりだ」
鈴子の励ましを受け、俺は学校を後にする。
まず行かなきゃならないのは。
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