第10話 activity-4th

 昼休みが終わり午後の授業も消化し終えた後、俺は放課後の時間を本館西側二階にある情報処理室で過ごしてた。授業ではもちろんのこと、放課後もパソコンの使用許可が下りれば短い時間だが使うことのできる情報処理室には50台以上のパソコンが設置されており、多い日だと3分の2以上の席が埋まる。

 私的理由プライベートで使われることのないよう学校側で細工しているので、この教室にやって来るのは本当に勉強するためにやって来る生徒だけ。静かに宿題をするにはもってこいな場所なのだ。


「ふう、こんなもんか」


 俺は午後の授業で出された宿題を終わらせて一息をつく。

 データを保存をし、パソコンの電源を落として身支度を整えて情報処理室を後にした。まっすぐ一階下駄箱まで移動し、そのまま校門を抜けようとしたら見知った顔を校門前の噴水で視界に捉えた。


「あいつは、磯村か」


 その女子は今日の昼休みに劇のことを教えてくれた後輩だった。学校指定の体操服に身を包んでいるところを見るとまだ部活動中らしい。走り込んできた運動部のように息を切らし、汗を拭っている。


「よく放課後まで部活ができるもんだ」


 部活動をしたことがない俺からすれば、余程の理由がない限りは学校に長々といたいとは思わない。それは部活動にも言えることで、そもそも俺自身にそこまで何かに夢中になる事柄がない。あったとしても家でできることに限定する。もっと言えば一人でできるものに線引きする。そしてそんな限定的な部活はどこの学校にも存在しないので、自然と俺は部活動に参加しないという選択肢しかなくなる。


「ま、別に挨拶はしなくていいだろ。忙しそうだし」


 俺は磯村を素通りして帰路に就こうとした。


「日比野先輩。お疲れ様です」


 しかし向こうは部活中ということをも意に介さず、挨拶するために俺の正面に立った。能面のような一切表情を変えない挨拶はどこか異質なものを感じさせる。ただ素通りしようとした俺に対しても挨拶したところを見るに、根は良いやつなのだと理解できた。


「わざわざ挨拶なんてしなくてもいいのに」

「こうして私が挨拶すれば、先輩は私のことを無視しづらくなるかなと思いまして」

「そこに関しては無駄だぞ。俺はどれだけ他人に恩を売られても、貸しを作っても無視できる自信がある」

「胸を張って言うことではないかと」

「張ってないぞ」

「では自信を持って言うことでは、と言い換えます」


 眉一つ動かさず俺との会話を続ける磯村。体育館の時もそうだったが、この後輩はどうして俺と話したがるのだろう。


「つまらないことを聞くようだが、俺お前とどこかで会ったことあったか?」

「なんですかその直球のナンパは? 申し訳ないですが部活が終われば家に帰って今日したゲネプロの再考をしなければならないので」


 彼女が口にした新出単語に俺は戸惑った。げねぷろってなんだ?


「おわかりではないと思うので説明しますが、ゲネプロとは簡単に言うと本番に近いリハーサルです」


 磯村の説明でわかったことだが、ゲネプロとは本番前の最終調整みたいなものらしい。


「今日は外部から私たちの練習を見てくれる方もいらしたので、緊張も一入でした」

「外部って、他所よそから先生が来るのか?」

「他の劇団で指導している演出家の方です。部長のお知り合いらしく赤山先生という方です」


 赤山という名前に俺はうっかり「え」と言いそうになった。演技に滅法厳しい人物だったのは今でも記憶に新しく、朝宮とも知り合いだというのは昨日の夜に伺った際にたまたま知ったばかりだ。

 ただしここで妙な言動をすれば磯村にも勘違いを起こさせるかもしれないので、赤山講師のことは知らない体で話を進めた。


「ただ間の悪いことに今日は部長が不在で」

「部長が不在でも別の人間が仕切ればいいじゃないか。副部長とかいるだろ」


 言いにくそうに磯村は「はい」と答える。


「単刀直入に聞くが、ゲネプロはどうだったんだ」

「どう、とは?」

「良かったのかってことだよ」


 磯村は溜め息を一つ吐いて吐き捨てるように答える。


「おそらく、今までで一番出来の悪いゲネプロでしたね」

「そこまでか」

「酷いなんてものじゃありませんでした」


 磯村含める演劇部が普段部活動でどれだけの努力をしてきたのかはわからないが、身内同士で酷いなんて言葉で済まされないと言わしめるほどなら、その言葉通りの結果を見せてしまったんだろう。


「赤山講師からは散々ダメ出しを受けて、何人かは『死んでしまえ』って言われたほどですから」

「死んでしまえって……」


 だがあの講師なら言いそうだな、と俺は内心納得する。それだけ演技に真剣だという裏返しとも取れるから。


「私もそう思いましたし」

「過激だな」

「ちなみに副部長は死ねと言われた内の一人です」

「頼むから殺さないでくれよ……」


 表情があまり変わらないやつだから、本当に殺しそうで怖い。それだけ本気なんだろうけど。


「そもそも練習が足りないんです。登場人物の台詞を覚えるだけなら小学生でもできるっていうのに、みんな自分の台詞を覚えるだけで他の役者の動きなんてまるで見ていないんです。演劇は自分以外に多くの人間が登場し、会話し、時には動作を重ねる高度な集中力を求められるのに自分の台詞を覚えたら後のことは杜撰ずさん過ぎて!」

「わかった、わかったから少し落ち着け」


 朝宮の情報と今俺の目の前の磯村との違いに混乱しそうになる。こいつ本当に何も話さないのか?


「ちなみに、その考えは他の部員に言ったのか?」

「言っても聞かないんです。一度同じことを同級生に言ったら一週間くらい無視されました」


 どうやら朝宮は磯村が自分から距離を取っていると思っていたようだが実際は違っていた。磯村は磯村なりに部にとって良い結果をもたらそうと頑張っただけなのに、その頑張りは仲間には伝わらず、挙句に悪意をもって返されたしまった。


「お前、良いやつなんだな」

「良いやつ? 私がですか?」

「俺なら何も言わない」

「説得もしないんですか?」


 磯村の質問に俺は「ああ」と答える。


「何言っても駄目そうな人間には説得してやろうなんて思いもしない。で、言って聞きそうな人間は俺が言う前に自分からなんとかする類いだからやっぱり何もしない」

「無関心ですね、他人に」

「他人だからな」


 関わりたいとも思わないから俺は最初からそういうグループの中には入らない。そこを説明しただけなのに、磯村は呆れたと言わんばかりの溜め息を吐く。


「でも、私の部に限っては日比野先輩の言うようなやり方をすれば良かったと思います」

「今からでもやればいいじゃないか」

「すでに何人かは私と話そうともしないので、そういう意味では今の状態がベストなのかもしれません。結局みんな本気でやってはいないんです」


 磯村の望んだ結果ではなかったが、それでも彼女は部の向上を今でも願っている。だからこそ自分の部の人間に苛立ち、やきもきしているんだろう。そんな彼女の向上心に俺は素直に感心する。


「お前みたいな部員がたくさんいれば、部も変わるかもしれないな」

「その一人が部長である朝宮先輩なんです。私と部長だけではこの先の部の未来は明るくないです」


 磯村は肩を落として本当に落胆する。


「部活での朝宮ってどんな感じなんだ?」

「また唐突な質問ですね」

「大した理由はない。部活での朝宮ってどんな人間なのか、そう思っただけだ」


 俺の考えに興味があるのか、磯村は「なるほど」と答える。


「部長、朝宮先輩はとにかくご自身に厳しい人なんです。部活中はもちろんこと、学外でも赤山講師の演技指導を受けていると聞いてます。演技なさっている姿は見ている人の心を掴むって感じでしょうか、とにかく引き込まれていくんです。一つ一つの動きに無駄がありませんし、もしこの人物が存在するならこう話すだろうなとか、そう動くだろうなって思えるんです」


 それは俺も身をもって実感している。初めて朝宮の舞台を見た時は目が離せなかった。


「周りの部員からはかなり信頼されています。演技のことで注意するのは副部長が主で、むしろ朝宮先輩は演技に悩む私たちを励ましたり、アドバイスをくれたりしていつも元気をくれて」

「あいつも良い先輩なんだな」

「ですので、今日のゲネプロも楽しみにしていたんですが、部長が来られないと聞いて驚きました。こういう大事な日には必ずいらっしゃるんですが」


 確かにゲネプロに現れないとなると周りの緊張も高まるだろう。しかも朝宮は部長であり舞台の主役。そんな大役が来ないなど本来あってはならないことだろうに。


「何か聞いているのか?」

「ご自宅の都合、としか。くしゅん!」


 磯村の可愛らしいくしゃみが聞こえた。時間も六時半。寒さもそろそろ我慢の限界といったところだ。


「部活中に悪かったな。俺はもう帰るよ」

「今していたのは自主練なんですけど、そうですか。お気遣い感謝します」

「大層な言い方するな。俺は自分が帰りたいと思ったから帰るだけだ」


 俺はそのまま右足を一歩前に出して歩き出そうとした。その時に磯村から「待ってください」と呼び止められる。


「先輩は何故最後までお話を聞いてくださったんですか?」

「お前が俺を呼び止めたんだろうが」

「でも先輩の性格なら私に呼び止められようが無視して帰ってしまってもおかしくなかったと思うんですが」


 彼女の質問に俺は素っ気なくこう答える。


「単なる気まぐれだ」

「さすがに先輩のことを知らない私でも、今のは嘘だってわかりますよ」

「その心は?」

「こんな寒い場所で私の話を聞き続ける理由がないからです。先輩なら切りのいいところでさよならを言っていた可能性だってありました」


 なかなか的を射た見解だ。一つ下の後輩とは思えない。


「俺のこと知らないお前が、知った風な口を利くんだな」

「悪いですか?」


 嫌味一つ言っても引かないところは本当に後輩っぽくない。同学年でも知りもしない生徒から嫌味一つ言われれば長々と話を続けようとはしないはずだが、本当に肝が据わっている。


「俺、普段必死になってるやつが急にサボってるなんて聞いたら叱ってやりたくなるんだ」

「えっと、部長のことですか?」

「他に誰がいる?」

「まだ部長がサボってるとは」

「後輩が迷惑してるぞって言えば、少しは堪えるだろ。それにさっき朝宮のことを聞いたのもそれが理由だ」


 ついでに最近のことで嫌味も言えるしな、とは言わないでおいた。


「……先輩って」

「なんだよ」

「くっさいですね」

「え、俺臭うか?」

「はい。こっちが恥ずかしくなるほど。もしかしてヒーロー願望とかあります?」


 磯村の感想を聞いて意味を取り違えたことを知る。


「今後はそういう言い方は控えるよ。確かに恥ずかしいし」

「でも、そういうのも良いですね」

「良いのか?」

「女子の独り言を復唱するのはどうかと思います。今後は止めることを進めます。それでは」


 磯村は逃げるようにその場を立ち去った。そのあまりの速さに、俺は声をかけることも引き留めることもできなかった。

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