第9話 activity-3rd
昼休みは相談室に
清臨高校の校舎は上から見るとコの字型になっており階は四階まである。これを本館とし、もう一つの離れている円柱状の建物を別館と呼称している。先ほどまで俺がいた相談室は本館北側の一階にあり、別館二階の体育館はその逆の南側にある。ちなみに別館三階は図書室になっている。
「解放中、のはずだよな」
昼休みの間だけ体育館は全ての生徒たちが利用できる共有スペースになる。もちろん館内は飲食禁止だが、運動をするためなら球技でもなんでもし放題だそうだ。
体育館の広さには限度があるので入館のための人数にも制限があるが、そこは生徒会の人間が調整して可能な限り平等に分配している。
そして体育館解放中は扉の前に『解放中』の立札を立てているのだが今日はその立札がない。
気になった俺は体育館の重々しい扉が開け、中に入ると暗がりの館内に壇上だけライトが当てられた風景が目に入る。暗がりでわからないが照らされたライトの下で何人かの生徒がポーズを取っている。壇上だけなく俺が視界に捉えただけで館内には十人くらいの生徒がいる。
「あの、すみません。今この体育館は演劇部が使っているので、利用は別日にお願いします」
申し訳なさそうに話しかけて来たのは一人の女子。黒髪のショートボブで身長が150くらいの小柄な彼女は演劇部の部員のようで、体育館に入った俺にやんわりと退館を勧める。
普段から多くの生徒が昼休みの体育館を使っている中で、一般生徒や体育会系の部員以外でよく体育館を使うのが演劇部だ。清臨高校の演劇部が今まで手にした賞は3年の間に10を超えその全てが優勝。
今のように体育館を一つの部活が占有するというのは本来ありえないことだが、結果を残し続けた演劇部に他生徒はおろか、教員たちも口を挟めないというのが今の現状だ。
「……そんなに睨まれても困ります」
「ああ悪い、睨んだつもりじゃないんだ。それとここを利用しようとは思ってない。ただ解放中の立札がなかったから気になって入っただけだ」
体育館に入った経緯を話すとショートボブは「そうでしたか」と納得する。
「練習中、なのか?」
「はい。今やっているのはしらみとり夫人という劇で、自身は裕福な土地を持つ貴族の女とその女に部屋を貸している大家の言い合いから始まります」
「言い合いって、穏やかじゃないな」
俺の問いにショートボブは短く頷く。
「言い合いの理由は家賃の滞納です」
「貴族なんだろ? 金はあるだろう」
「自称なんです。ちなみにその女性の仕事は娼婦です。そしてその二人の言い合いに割って入って来る自称作家の男の話ですね」
聞いたことがない話だが、聞く限りその娼婦と男はどこか胡散臭い。
「自称の二人が本物の貴族なのか作家なのかは作中では語られません。ですが誰がどう聞いてもその二人は嘘を吐いている」
「今初めて聞いた俺でもわかるよ、そんなこと」
「でも思うんです。何故その二人はそんな嘘を吐くのか」
「嘘を吐く人間の心境なんてそこまで大したことじゃないと思うがな」
「私もそう思います。ですがもしそうじゃなかったとしたら」
ショートボブは俯き考え出す。
「劇中で女は貴族だということを大家に嘘だと見抜かれる場面もあるんです。そしてその自称作家はそんな話は無意味だと言って庇うような行動に出ます。でもその作家も家賃を滞納していて、しかも作家としての活動を全くせず、飲んだくれている姿を毎日見ていると大家になじられます。それでも二人は自分が貴族だ、作家だと言いきる。そこまでして嘘を吐く理由が私にはまだわからなくて」
真剣に考えるショートボブに俺は感心を覚えた。劇に携わるならこのくらい当然なのかもしれないが、俺にはその線引きができないので単純にすごいと思った。
「すごいな、そこまで話に入り込むっていうのは」
「当たり前のことです。それに部長はもっとすごい。一つ一つの動きに無駄がないというか、劇の登場人物がこの世界に現れたみたいに感じるくらいその人物になりきるんです」
「それは、良いことなのか?」
「まったく一緒というわけにはいかないですけど、部長はその中にも部長自身の特徴を追加されるので面白みが増すんです。お伝えするのが難しいんですが、部長であって部長でない登場人物がそこには現れるんです」
「わからないな」
「見ていただいたらわかります。言葉では表現できない世界を演じるのも、劇や舞台の醍醐味ですから」
そこで互いの会話は途切れ、俺はショートボブに向けていた視線を舞台の方に向ける。
「あの、今さらですけどお名前聞いても良いですか?」
「日比野明。二年だ」
「私は一年の
「そうだが、どうかしたか?」
「いえ、その」
ショートボブこと磯村が言い淀んでいる間に壇上から叫び声が聞こえて来た。
「ああ! もしかして日比野君!」
声を上げて俺の名前を呼んだのは今最も会いたくないやつだった。というか演劇部だとわかった時点で俺はここからさっさと立ち去るべきだった。
「なんだ。来てたなら言ってくれればいいのに」
「……朝宮」
「え、どうしてそんな嫌そうな表情?」
「自分の胸に手を当てて聞いてみろ」
そう言うと朝宮は本当に胸に手を当て始めた。
「……心音が聞こえます」
「聞こえなきゃ死んでるだろ」
「……わからないんですけど」
「思い出せって言ってんだよ。お前がこの二日で俺にしてきたことを」
「そんなこと思い出す必要もないです。私の所属する劇団の練習を見てもらいました。その記憶は今でも覚えています。その他は、何かしました?」
素で言っているのだとわかっていても腹が立つ発言だった。朝宮のせいでこの半日いらない気を使い果たしているのだから。だがそんなこと言ってもこいつはおそらくわからないだろう。
「そんなことより、今私たちがしている劇なんですけど」
「しらみとり夫人だろ」
「知っていたんですか? 私は大家のワイヤ夫人を演じています」
「それは知らんけど、登場人物のことも知ってる。そこの後輩に色々と教えてもらったから」
視線を送ろうとしたら、いつの間にか隣にいた磯村は姿を消していた。
「後輩って、どこにいるんです?」
「あれ、さっきまでここに。磯村っていう後輩だったよ」
「磯村さん……」
不思議そうな顔でどこかを見る朝宮はすぐに俺に視線を向け直す。
「もし本当なら、日比野君に友だちがいないっていうのが本当なのか疑いたくなります」
「お前も知っての通り、友だちはいない」
「磯村さんって、部活でもあまり人と話したがらないんです。必ず一緒の友だちがいるってわけでもないですし、そんな彼女が初対面のあなたと話すだなんて」
確かに少し暗さがある女子ではあったが、友だちがいないようには見えなかった。初対面の俺にもあれこれ話してくれたし。
「そんな感じしなかったぞ。あいつ、えっと磯村だったか。劇のこと知らない俺にしらみとり夫人について詳しく解説してくれたんだ。わかりやすく丁寧だったから理解もできた」
「それは、また」
磯村との会話を説明すると、朝宮の頬が徐々に膨れていくのがわかる。外から空気でも入れられているようだ。
「ただ女と自称作家の嘘だったか、なんにしてもその二人のことがよくわからないと言っていた」
「ふうん」
「……顔むくんでるぞ」
「気のせいでしょう。もしそうだとしても、あなたには関係ないことです」
「おい、人と話す時は顔を見て話せ。どっち向いてるんだ」
「知りません。劇を見たければそのままどうぞ。私は今日出番ありませんが、磯村さんとお話したければご勝手に」
急に不機嫌になって朝宮は俺のもとを離れて行った。
「なんだったんだ?」
それを機に話す相手もいなくなったので、俺は体育館を静かに後にした。
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