第6話 impression-5th
俺は朝宮に連れられて都心の繁華街、新宿にやってきた。百貨店や専門店、飲食店などの商業施設が多く立ち並んでいる中、俺たちは表通りから外れて住宅街に寄った裏道を進んでいく。
裏路地を進むこと10分くらいで洋館のような建物に出くわす。中に入ると研究所と書かれた看板が俺たちを出迎える。
「ここはあくまで稽古場だから、関係者じゃなくても入館は大丈夫ですよ」
朝宮はそう言うが、明らかに朝宮以外の人間たちの俺を見る目が鋭い。冷やかしなら帰れ、とでも言うような目だ。
「日比野君はここで待っててください」
言われたのは稽古場の入り口すぐの隅。そして手渡されたのはパイプ椅子。俺は言われるがまま椅子を組んで座っていると、すでにやって来ていた数人の男女が木箱や正方形の木の台を持って慌ただしく移動していた。彼らはあらかじめ貼られていた緑色のテープの線に沿って、慎重に箱や台を置いていく。残った数人は事前に持って来ていた服に着替えたり、手製の花や装飾品を取り出したり、台本を持って話始める。
「始めるぞ」
短いが野太い声が稽古場に響く。入室したのは五十代くらいの髭の男性だった。
「君か、朝宮君が言っていた見学者は」
髭の男性は俺にそう尋ねる。朝宮は前もって俺を見学者として劇団に通していると言っていたがその通りだった。俺は立ち上がり深くお辞儀する。
「赤山修一です。本当ならここの事務所に一報入れてもらうのが規則なんだが、そこのところは後で彼女にきつく言っておくよ。君はリラックスして見てくれると良い」
一方的な会話だったが、その間に彼らの準備は終わったようでいつの間にか全員が体育座りをして待っていた。
「それじゃあ始めるが、知っての通り発表会までもう日がない。この期に及んで昨日みたいな台詞も覚えていない奴がいればすぐに出て行ってもらう」
張り詰めた糸のような緊張感の中、
「で、どうでした?」
稽古終了後、俺と朝宮は稽古場近くの公園で朝宮チョイスの微糖缶コーヒー片手に焦げ茶色のベンチに座っていた。明るい声で感想を求める朝宮とは裏腹に、俺は気疲れを起こしていた。
「……すごかったよ、いろいろ」
言葉足らずな感想しか出ないのは、本当に言葉通りすごかったからだ。まず赤山講師が最初に言った通り、台詞が一瞬でも出ない生徒が出れば「出ろ」の一言ですぐに帰らせた。何人かは大きな声で謝罪していたが赤山講師はその生徒の代わりをすぐに呼び出して、そのまま稽古を続けていた。その間も台詞が言えていても「今の動き何?」とか「よくそんなのでやってきたとか言えたな」とか生徒たちの努力を全否定するような返しが続いた。
「赤山さんはね、こうした方が良いっていう具体的なアドバイスはしないんです。ただこのシーンでその動きはないだろ、っていう漠然とした否定しかくれない」
「その否定だけで、次に何するのかわかるのか?」
「わかんない。でもわかろうとする。そうしないと役をもらえないから」
クラス間でもどんな役が自分に回って来るかわからないので、台本が手渡されれば読み込み、その裏にある真意を掴まなければならない、らしい。赤山講師いわく「馬鹿にはできない」ことなんだそうだ。
「動きが上手い人もいるけど、知識や経験、何より理解しようとする気がないと偶然でできた演技ってことになるからそれはNG。最近はその動きもまともにできないって講師はぼやいていたけど」
「朝宮は、どっちなんだ?」
「私は小さい頃から演技に触れていたから自信はある。それでも動きは悪いって言われっぱなしだけどね」
朝宮の言う通り、彼女も稽古中は多くのダメ出しを受けていた。ただ朝宮の場合は受けたダメ出しにすぐ適切な回答を出すので稽古そのものの中断はなかったように思える。
「俺はそれなりに上手く動けてたと思うけどな」
「それなり、か。素人目の君から見てもそれなりじゃあ、講師の言う通りまだまだなんだろうな」
「俺はそんなつもりで言ったんじゃ」
「そんなもこんなも意味合いは一緒なんです。どっちにしても今日は私もできたって充実感はなかったから」
朝宮は持っていた缶コーヒーに口をつけ、溜め息を一つ漏らす。
「学校から出て、外で稽古すれば私もまだまだなんです。学内でどれだけちやほやされても、外で認められないと意味ないですから」
夜空を見上げる朝宮の声色は少し暗い。
「学校じゃ演技の天才とか言う人もいるんですけど、そういうの聞くと少しムカッと来るんです。その人は心からそう思ってくれているんですけど、どうしても自分の力量とその人の言葉を比べるんです。そして自己嫌悪をする」
嫌になりそうです、と最後に付け加えて朝宮はまた溜め息を吐く。
「でも、この前の文化祭でした『ジャンヌ・ダルク』は別でした」
「納得のいく演技ができたのか?」
「いえ、そういうのではなく、先頭で見てくれた人がとても良い反応をしていたので自信がついたなと」
そこで朝宮は言葉を止めて、俺の顔を見る。
「なんだ?」
「自覚ないんですか?」
「何が?」
「なら余計に嬉しいですね」
「何が⁉」
気になって仕方がないのだが、朝宮は嬉しそうに缶コーヒーの中に残ったコーヒーを飲み干す。
「私、演技には一切手を抜きたくないんです。だからジャンヌのことも可能な限り調べたんです。彼女に関する本、文献、彼女を取り扱った舞台の映像資料色々です」
「そんなのすぐに調べられるわけじゃないだろう。学生なんだから勉強とかテストもあるし」
「ええと、まあそれはおいおいしますので」
そんな言い訳をする奴は絶対おいおいしない。どうやら朝宮は勉強にそこまで熱心というわけでもないらしい。
ただ俺は朝宮のそんな生き方を羨ましいと思った。
「テストを棒に振るようなやり方はどうかと思うが、何かに一筋ってのは尊敬する」
「あ、いや、それほどでも」
「だから朝宮の演技中に居眠りしてしまったことを改めて謝る。悪かった」
立ち上がって深く頭を下げると、数秒ほど静寂が広がった。頭を上げると朝宮はどこか不思議そうな顔をして俺を見ている。
「なんだ、俺の顔に何かついてるか?」
「い、いえ、まさかそこまで深々と謝罪されるとは思わなかったので」
「俺は自分が悪いと思ったらちゃんと謝る人間だぞ」
普段誰かと話す機会なんてないから謝ることもないんだがな。
「ただ、私にだけ謝られても困りますね。舞台はみんなで作るものですし」
「それもそうだな。だけどもう舞台とか見る機会ないだろうし」
その一言の後、朝宮は何事かを考え始める。しかも思考が終わった途端、不敵な笑みを浮かべた。
不安を感じ、俺はベンチから立ち上がる。
「もう九時過ぎか。俺は帰るけどそっちは?」
「私もこのまま帰ります。日比野君と一緒の方角ですからエスコートしてください」
「心配しなくてもここまで来て別々に帰るなんてことはしないよ」
「やっぱり日比野君って優しいですよね」
「一人にして事件とかに巻き込まれたら寝覚めも悪いし」
「日比野君ってほんっとうに捻くれてますね」
その後の道中も俺は聞きたくもない演技の話を朝宮から聞いた。最初の方は面倒だと思っていたが、これもペナルティだと思いこんで俺は朝宮とともに家路に着いた。
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