第5話 impression-4th

 うちの学校の図書は充実している。他の学校と比べたわけじゃないが、別館の中に図書室だけのフロアを造るほどで、一つの項目で何百という量の本が検索されるほど本が蓄えられている。ジャンルも豊富で論文めいた堅苦しく分厚い本もあれば、漫画のような薄めの本もある。しかも集約しているのは国内の本ばかりでなく、海外の作品や英語版、スペイン版、フランス版、と言い出したらきりがないほど。


 そんな何処までも広がる書物の世界は俺の暇を潰してくれる数少ない場所だ。授業が終わって、俺が真っ先に向かったのも図書室で、面白そうだと思ったものは片っ端からピックアップして読んで行くという行動を繰り返す。そうすれば勝手に時間が過ぎていき、今日も気が付けば退館時間のアナウンスが流れるまで入り浸っていた。


「そろそろ傾の要求にも答えてやるかな」


 俺は授業で使われる参考書の科目別ごとに分かれている書籍の棚に入った。そこには多くの授業用参考資料と、その科目にまつわる専門書が数多く並べられている。

 国語の棚に目を通して傾がほしがっている本を探していると、目に飛び込んできたのは、今朝俺を凝視していた朝宮優だった。辺りを見渡して何かを探しているようだったが、どうにも本を探している雰囲気ではない。

 気にはなったが俺はすぐに本の探索に意識を集中させる。すると目的の本を視界に捉えた。


「「見つけた」」


 俺の声と誰かが重なった。声のする方に顔を向けると朝宮が目の前に立っていた。


「見つけました」


 目を輝かせて俺の様子を伺う彼女は今日で二回見ているというのに、綺麗な黒髪やその端整な顔立ちは何度見ても飽きなかった。

 ただ俺は学校一の美少女に話しかけられるような関係を築いた記憶はない。だから俺は訝しげな目で言い返した。


「見つけた?」

「はい。あなたを」


 朝宮の発言に俺は疑問符を浮かべる。とにかく俺から言える言葉は一つだった。


「正確には一人になったあなたを見つけた、と言った感じですが」

「何のことだか知らないが、多分人違いだ」

「いえそんなことはありません。日比野明君、ですよね」


 フルネームを言われたのは久しい。とりあえず俺は「そうだが」と返す。すると「やっぱり」と美少女は今にも飛び上がりそうなほど喜んでいる。


「紹介が遅れました。私の名前は朝宮優と言います。モーニングの朝に宮殿の宮。優は優秀の優です」


 なんで英語混じらせたんだ? なんで〝きゅう〟でんなのに〝みや〟って呼ばせたんだ? そしてゆうしゅうだったら〝有終〟もあるし〝憂愁〟もあるぞ。多分頭が良いって方の〝優秀〟だと思うけど。


「自己紹介ありがとう。だが今俺は忙しいんだ。世間話だけに来たのなら遠慮してほしい」

「いえ、私は世間話をするためにここに来たのではありません」


 こっちの「近付くなオーラ」をものともせずに話すところをみると、本当に人違いではなさそうだ。


「じゃあ何の用だ? まさか鈴子、委員長の手先か?」

「委員長? あなたの言う委員長さんが誰なのか知りませんが、誰かの手先ではないです。ここには私の意志で来ました」


 会ったことも片手の指で数えられる程度なのにどうやって俺を見つけたのかわからない。頭の中に「?」を浮かべていると答えは相手から返ってきた。


「あなたのことを探していたら野乃石先生と話していたところを見かけたので、先生に伺ったら教えてくれたんです。『日比野なら図書室にいるぞ』って」


 無断で俺の情報を売りやがった傾には後で制裁を加えるとして、確かに朝宮は俺とクラスが離れている。よって鈴子とも接点はない。傾に聞いたというのは本当のようだ。


「一体何が目的だ?」

「目的と言いますか、少し言いたいことがあって」


 居住まいを正し、小さな咳払いをして朝宮はこう言った。


「日比野君、一か月前の文化祭で演劇部の劇を先頭で見ていたでしょう?」

「よく覚えてらっしゃる」

「一番前はお互いに見られやすい場所ですから。演者もお客さんも」


 納得の理由を話す彼女の表情はどこか怒っているように見えた。


「それでその文化祭の劇がどうかしたか?」

「どうかしたかじゃないです。あなた先頭で見ておきながら居眠りしていたでしょう!」


 彼女から投げかけられた言葉に俺は否定することなく「あ」とだけ返す。

 あれは十月の初め頃、俺たちの学校で行われた文化祭の劇であろうことか一番前で見ておきながら途中で力尽きて眠ってしまったのだ。彼女の登場は鮮明に覚えているのだが、その後の内容を一切覚えていない。帰りには鈴子に寝ていたことをいじられた。


「やっぱり! 一番前にいながら眠るなんてどういう了見ですか!」

「あの時は委員長に連れられて観に行っただけなんだ。あの劇も見に行くつもりはなかった」


 正直に話して自分の印象を下げる必要もなかったが、ありのままあの日の状況を伝えることにした。


「つまり、友人に連れられて見たくもない劇を見せられたと?」


 溜め息一つ吐き朝宮は肩を落とした。理解はしてもらったようだが今度は落胆に近い表情を浮かべる。とはいえ俺に反論の余地はない。どんなに興味がなくともあの場において眠るという選択肢は演者にとって無礼極まる行為なのだから。


「で、俺は何をどうすればいいんだ? こっちとしては謝罪以外にすることがないんだが」

「謝罪は結構です。そもそも来る気がなかった人にそんなことさせるのは違うと思いますから」

「じゃあ落としどころを決めよう。俺はあんたに今後一切関わらない。あんたが出る劇にも顔を出さない。それが互いのためだろうし、あんたもそう言いたいんだろう?」


 さっきまで怒っていた朝宮の意見は理解できるし、自分の努力を居眠りしていたなんて理由で蔑ろにされては文句の一つだって言いたくなる。だから彼女の気持ちに沿った提案をしたのだが、彼女の方が狼狽え始めた。


「待ってください。何故そうなるんですか?」

「いや俺、演技中に最前列で居眠りしただろ」

「そうです。いくら舞台に興味がなかったとしても、最前列で居眠りだなんて」

「だから顔も見たくないかなって。なら近付かないで」

「それ以外の解決法を模索してください」


 単純な謝罪は望んでいないのに、距離を置く以外の方法を取れと言われ、俺はどうするべきなのかわからなくなって唸ってしまう。金でも払えば良いのかと思案するが、さすがに金が発生するほどの悪事を働いたとは思っていない。


「ようやく見つけられたんですから……」

「見つけた?」

「女の子の独り言を聞かないで下さい!」


 朝宮の命令とチョップを前頭葉で受け止めるが、残念ながら彼女の独り言はしっかりと耳に入っていた。ただ再び掘り返せばチョップ以上の反撃が返ってくることは目に見えていたので黙っておく。


「お前の怒りは十分理解した。金を要求するなら時間はかかるがいくらか払う。でも俺とは関わるな。お前は知らないんだろうけど、俺は」

「知ってます。いつも教室で独りぼっちで浮いてますよね」


 意外なことに朝宮は今の俺の状況を理解しているようだ。


「それも傾から聞いたのかわからんがその通りだ。俺はクラスじゃ誰とも話さないし、話す気もないんだ。そんな男子に付きまとう理由なんてないだろ」

「そうですね。でもこのままお互いに何も知らないでさよならするのは何かが違う気がします。それとお金で解決する気は毛頭ないのでご心配なく」


 金で解決できるなら安い買い物だったのだが、この朝宮は俺との関係をここで切りたくないように思える。こんなまともな友だちさえ作れない男に何をそこまでこだわるのか皆目見当もつかないのだが。


「そうだ。日比野君、この後時間あります?」

「え、いや」


 この咄嗟の返しに曖昧な答えで返したことが裏目に出る。


「なら私に付き合ってください。それで文化祭での件を水に流します」


 どう考えても時間の無駄になる予感しかしなかった俺はすぐに「用事があること忘れてた」と告げる。しかし朝宮は不満全開の表情で答える。


「今、いやって言いましたよね? まさかこの期に及んで嘘吐いてこの場をやり過ごそうとか思ってません?」


 その予想は的中していた。満点だった。俺は何も言い返せずそのまま黙ってしまう。


「私の中のあなたの評価、どんどん下がっていきます」

「もともと高くなかったからそろそろマイナスになるだろ。そんなやつを連れ回すくらいなら」

「それ以上口答えするならもっと面倒なやり方でお返しをしてもらいますよ?」

「面白い。いったいどんなお返しだ?」

「あなたは極端に目立つことが嫌そうなので、私と付き合っているという噂を」

「さあ行こう! すぐ行こう! さっさと行こう!」


 俺は聞きたくもないもう一つの案を遮り、朝宮の後を追った。

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