第4話 impression-3rd

 午前中の授業が終わり、昼休みのチャイムが鳴り響く。多くの学生たちは自分のクラスで昼食を取るが、俺は買っていた惣菜パンを手にして自教室から出て行く。向かった先は学校の屋上。本来なら生徒の出入りは禁止されているのだが、俺は誰にも見つからないよう気を配り、屋上のドアに手をかける。ドアそのものに鍵はかかっておらず、老朽化が進んでいてかなり重くなっているが、上に上げながら勢いよく押すと開けることは可能だ。多分教師連中は鍵なしでも重い扉を開けてまで屋上に行こうとする生徒はいないと思ったんだろう。

 俺は屋上の真ん中に座り込み、惣菜パンに舌鼓を打っていると、屋上に別の誰かがやって来た。


「こんなところで一人で飯なんて、お前は本当にぼっちなんだな」


 来たのはなだれだった。こいつの両手にもコンビニの袋がぶら下がっていた。


「お前、つけてきたのか?」

「昼休みになったら何処にもいないって聞いてたからな。まさか屋上にいたとは思わなかった」


 聞いたのはおそらく鈴子りんこだ。しかも一番知られたくないやつにばれてしまった。傾は俺の隣に座り込んでコンビニ弁当を取り出す。


「他の教師に報告でもするのか?」

「いや、こんなに気持ちの良いところ失くすのはもったいない。今回は目を瞑ってやるよ。その代わり俺にも使わせろ」

「それ脅してるよな?」

「明。お前花巻と喧嘩したってホントか?」


 話を変えて何を言い出すのかと思ったら、今日の鈴子との言い合いのことだった。俺は知らんふりを決め込もうと「なんのことだ」と答える。


「言い訳すんな。もう色々話聞いたから。さすがに女子に向かって太ったって聞くのはご法度だろ?」


 俺は盛大な舌打ちをする。鈴子が洗いざらい喋ったようだ。


「何度も言うが、俺はお前の教師なんだ。教員を安心させるのは生徒の仕事だと思うんだが」

「また説教か?」

「説教じゃない。俺はただお前が心配なんだ」


 今は十一月だがその寒さとは別物の寒さを感じた。こいつがこんなこと言うのには必ず理由があるに違いない。


「昼飯が不味くなる話題をするな。お前がここに来た理由くらい察してる。朝の件だろ」


 傾は絵に描いたような大笑いをして見せる。


「やっぱりお前には敵わないな。だが心配ってのは嘘じゃない」

「どこまで暇なんだか。お前も鈴子も」

「お前よりは、お前の状況の悪さを受け止めてると思うけどな、彼女」


 傾が袋から出したのは鮭弁当だった。割り箸を豪快に割って、米をかっ食らう。


「このままだと、他のみんながお前に何の興味も示さなくなるぞ。今でさえ他の生徒から変な目で見られていることくらいお前にはわかるだろう?」

「変な目は改善するさ。俺が望む状態は無関心だからな」


 立ち上がり、俺は傾に問いかける。


「例え俺が誰かと友だちになったとしても、そいつが嫌な思いするだけだ。ならそうなる前に、関係を絶った方が良い」

「だが、それを乗り越えないと何も始まらないぞ」

「知った風な口利くんじゃねえ!」


 声を荒らげる。俺らしくないと自分でも思う。いつもの俺なら何を言われても無視するのに、傾だと調子が狂う。


「確かに、俺はお前のような状況に立たされたことはないから、知った風な口は利けない。だがな、それを理由にして他人との関係を絶ってしまえば、お前は本当に孤独になる」

「ああ、知ってるよ。孤独は俺のあるべき姿だ」


 真顔で言ったことが傾にとって信じられなかったのか、弁当を食べることも忘れて驚愕の目で俺を見つめる。


「本気で、言ってるのか?」

「俺は、いつかはお前とも縁を切るつもりだ」


 風の音が聞こえる。とはいえそんなに強い風が吹いている訳じゃない。頬をくすぐる程度の風だ。けどそんな風の音が耳に入るほど、俺たちの周りの音は完全になかった。


「……どうやら、俺はまだまだお前のことわかっていなかったみたいだな」

「お互いのことを完全に理解することなんてのは夢物語だ。ただ少なくとも高校にいるまではあんたの世話になるつもりだ。その前に今までの恩はなんらかの形で」

「よし、なら俺はお前のことをもっと知るよう努力するぞ!」


 俺の言葉を遮って、傾は大声で宣言する。

 うざかった。本当にうざかった。


「おい、なんでそういう結論になるんだ。ここまできたら俺には関わらないって話にならないか?」

「え? それこそなんでそういう結論になる? 俺がお前のことを知らなかったからこういう食い違いができたんだろ? ならこれからお前をより知ることでその食い違いも改善されていくだろう。それにそう簡単に縁が切れると思うなよ。俺はお前が思うよりもねちっこくしつこいんだ」


 傾の変な所でポジィティブになる思考を甘く見ていた。まさかここまで自分に都合の良いように解釈できるとは思っていなかった。


「確かにお前の苦しみを理解できるのは同じ苦しみを持った人間だけだ。そこは俺でもわかる」


 ただな、と傾は続ける。


「苦しみを自分の中に入れ込んだまま過ごすっていうのは、やっぱり寂しいし辛いことだと思うんだ」


 桜色に仕上がった鮭を切り分けて口の中に運ぶ。その後すぐに傾はペットボトルのお茶に口をつけ胃に流し込む。


「お前は特にそういう苦しみを幼い頃から知っている。だから他人との距離の取り方にどうすれば良いのか迷ってしまう。迷うくらいならいっそ諦める。それがお前のやり方なんだろうさ。でも何処まで行けば相手に迷惑をかけないのか、何処までなら他人に踏みこんで良いのか、そういうことを手探りで模索するのが生きるってことだと俺は思うんだ」


 言いたいことを言い終わったからだろうか、傾は俺の隣で寝転がる。


「教師が、生徒の前で寝転がるとは良いご身分だな」

「教師は生徒よりやることが多くて大変なんだ。たまにはこうやって寝転がることも必要なの」


 口元にご飯粒付けたまま笑顔で答える。


「それと、図書室の件、頼むな」

「止めたんじゃなかったか?」

「一生のお願い」


 俺と傾の関係は後一年で終わる。それがわかっていても、俺は傾との関係をすぐ清算する気持ちにならなかった。

 何処まで行っても、俺はまだ子どもだった。希望にすがり付き繋がりを求める。

だから、こんな言葉を返すんだろう。


「気が向いたらな」

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