第3話 impression-2nd

 俺の通う高校、清臨せいりん高校は関東でも都市と田舎を足して二で割ったような町、たかの台に建つ学校だ。進学校で校内の施設は何年か前に一新され教師たちは学校を盛り上げようと必死らしい。生徒数は500人くらいで最近はクラブ活動にも精を出している。文武両道を目指す忙しい高校だ。


 俺は30分かけて学校に到着し自教室である、二年三組に入る。俺より前に入った男子が大声で「おはよう」と叫ぶ。それに呼応するように、数人の男子も叫び返す。室内の雰囲気は活気に満ちていた。友人同士で話し合い、時には笑い合い、交流を深める生徒が多いから当然の光景だった。


 対して俺はというと、教室にいるどの生徒からも何の挨拶も交わすことなく無言で入室する。周りはそれに何の反応も示さない。だがそれも無理はない。何故なら自分のクラスで話す生徒がいないからだ。


 俺はこの学校に入学して以来、ほとんどの生徒と会話をしていない。だからといってイジメられている訳ではない。単に俺が誰とも接触しようとしないために起こったことだ。話をしなければ、その人物を知る由もない。今となっては俺の名前を思い出せない奴もいるだろう。けどそれで良い。日比野明に近付く必要はない、そう他人に思わせることで、俺はほぼ空気の存在を生み出した。さすがに教師は例外だが、その雰囲気はクラスだけでなく同級生全員にも伝わっている。このまま俺が卒業するまでこの状況が続けば良いと思っている。このまま何事もなく時が流れてくれればこれ以上に嬉しいことはない。


 ただ俺の存在が迷惑になっているのならそれは問題だ。その迷惑は知らない他人から恨みを買うことになり、そんな誰かに恨まれたまま生きるのは苦し過ぎる。「お前のせいでクラスの雰囲気が台無しだ」と睨む奴が良い例だ。そんな敵としか言えない生徒を増やしてもこっちに利になることなど一切ない。


 俺が目指すのは誰にも認識されず、常に孤立していても他人になんとも思われない存在になること。俺だって誰かに恨まれたりするのはご免被りたい。だから休み時間は机に突っ伏して眠っているし、そうでなくとも本を読んで時間を潰し、授業は真面目に受けて帰宅する。

 これが俺の姿。もちろん今年もそのスタイルを崩すことはない。誰の迷惑もかけず、俺のやり方で生きる。それが俺の目標。


「明、ちょっと良い?」


 そんな固い信念を持つ俺に話しかけてくるのは、この学校では傾以外にはこいつしかいない。


「……委員長」


 花巻鈴子はなまきりんこ。二年三組の学級委員長でスポーツ万能少女。所属している陸上部では最速のスプリンターとして他校にも名が通っている。ベリーショートの黒髪でしなやかな体つきはまさにスポーツ選手と言ったところ。格好良さの中にある可愛さとやらが男子人気はもちろんのこと、一部の女子からも熱烈なファンがいるんだとか。

 そんな人気者が俺みたいな根暗な奴に話しかける理由がただの他人ではないから。


「委員長って言い方、距離感じる」

「委員長ってのは事実だ」

「照れ隠し? 私と話すのなんていつものことなのに。古い付き合いじゃない」

「俺は波風立てない生き方がしたいだけだ。そこに付き合いの長さは関係ない」


 鈴子は気付いているのか知らないが、さっきから男どもの視線が面倒臭くなってきている。気にしなきゃそれまでだが、一回意識するとなかなか無視できない。


「話はそれだけじゃないの。この前の健康診断表、まだ出してなかったわよね?」

「それなら傾にもう渡してある」

「先生を顎で使うのは止めなさいって、あれだけ言っているのに」

「委員長には関係ない」

「次に委員長って言ったら急所蹴り上げます」

「鈴子さんには関係ないはずですが」


 普段の俺なら無視していたが、鈴子は以前にも俺の急所を蹴り上げた前科があるので素直に従った。


「明、その言い方もそうだけど、そんなんじゃ友だちできないわよ? 部活動にも入らないし、委員会活動にも参加しないし」


 このやりとりは今に始まったことじゃないが、今日はやけに噛み付いてくる。いつもなら一回返事したらすぐに帰っていくのに。


「また心配か?」

「そうよ、あんたは放っておくとすぐに一人になるんだから。そんなことは絶対にさせないからね」


 俺たちの関係を一言でいうなら幼馴染になる。お互いが四歳くらいの時に知り合いで、半ば無理やり友だちになってしまった。


「頼むから傾と同じこと言わないでくれ。あいつから再三言われてんだ」

「止めろって言っても言うこと聞かないからじゃない。言われるのが嫌ならさっさと友だち作りなさい」

「お前は俺の母親か」

「何言ってんの。親友でしょうが」


 ない胸を張って偉そうにする鈴子に俺が大きな溜め息を吐いていた時、教室中が騒ぎ始めていたことに気付く。


「朝宮優だ! 見に行こうぜ」


 何人かの男子連中が揃って廊下に出て行く。彼らが急いで外に出たのは、この学校の美少女を見に行くためだ。


 朝宮優あさみやゆう。現在学内で知らない者はいないと言われるほどの有名人だ。腰まで届きそうな長く艶やかな黒髪は常に手入れが行き届いていて、端正な顔立ちは見る者の目を引き、白魚のような白い肌は同性の女子たちの憧れにもなっている。この学校にいる全ての生徒が彼女を愛し、男子に至っては「彼女と話せるなら、死んでも良い!」と豪語する奴も少なくない。


 そんな彼女の人気は学内だけに留まらず、学外にも影響力を与えている。理由は野外活動の多い部活に入っているからだ。その部活は演劇部。彼女は創部以来一つたりとも賞を取ったことのない弱小部を変革させた。彼女の加入により、それまで名前もわからなかった演劇部の名は学内中に知れ渡り、今では学外の大会でも強豪校を総なめにしている。演技力だけでなく、人を従えるカリスマ性も持ち合わせているので勝ち取った賞は数知れない。

 朝宮が廊下を歩くだけですでに数人の女子に囲まれ、その光景を男子たちが羨ましそうに見ている。持っている人間とそうでない人間にはここまでの差があるのだ。


「あんたは湧かないの、劣情?」

「興味がない。てか劣情って言うな」


 鈴子と他愛無い話をしていると、廊下の方から黄色い声援が聞こえてきた。


「鈴子も見に行けば?」

「それよりも友だち作りしっかりしなさいよ。私も時間あったら手伝うから」

「……本当に勘弁しろって」


 肩を落とす俺のことなど知りもせず鈴子は俺に説教する。本当に傾にお小言を言われてるみたいだ。

 そんな中、予鈴ギリギリになって登校してきた女子連中が嬉しそうな笑みを浮かべて教室に入って来た。「朝宮さん、綺麗だったなぁ」とか「私もあんなに可愛かったらなぁ」など女子連中が口々に言い合う。他の生徒たちもそれぞれの感想を言い合いながら続々と教室に帰って来る。


「鈴子はどうなんだ?」

「何が?」

「朝宮優を見て自分にないものを求めるものなのか」

「あのね、私は私でしかないんだから、自分に足りないものがあるなら自身を高める努力をするだけよ。朝宮さんは綺麗だし、優秀な子だけれど、それを羨んだって何もならないでしょ」


 委員長の委員長らしい発言に俺は真面目に感心してしまった。


「なんか、すごいな鈴子は」


 心からの言葉に鈴子は鳩が豆鉄砲でも食らったかのような面白い顔をしていた。


「そう?」

「まるで戦士みたいな発言だ」

「なんで戦うイメージが付加されるのよ! せめて向上心があるとかにしてよ」

「俺の中の鈴子は敵を倒して勝利を得る、ってイメージがあるから」

「私、これでも女の子なんだけど……」


 鈴子が本気でへこんでいると、またしても廊下の方が騒がしくなっていた。しかも今度はさっきまでの黄色い声援じゃない。どちらかというと悲鳴に近い。


「いつまで騒いでるんだ。もうすぐ授業だって言うのに」


 廊下の騒がしさはピークに達していた。そしてその原因が視界に入って来た。


「朝宮さんね」


 確かにあれは朝宮優だ。可愛らしい年相応の女子の愛らしさを醸し出しつつ、どこか気品めいたものを感じさせる出で立ちは彼女くらいしか生み出せない。


「クラスが違うはずなのになんでこんなところに」

「次の授業がこの階のどこかの部屋を使うんじゃない?」


 だが彼女以外のクラスメイトの姿が見えない。移動するなら周りが放っておかない。なんてことを考えていたら、廊下の方から多くの視線を感じた。視線の方に目を向けると、朝宮が俺の方をじっと見ていた。ちなみに多くの視線というのは朝宮以外のギャラリーの視線だ。


「明。あんた思いっきり見られてるわよ」

「わかってるよ」

「あの子に何かしたの?」

「するか。何回も会ったわけじゃないのに」

「じゃあ一回は会ったんだ」

「揚げ足を取るな。同じ高校に通ってるんだから廊下のどっかで会ってるだろ」


 小声でやり取りしていたら、朝宮の方から立ち去って行った。他のギャラリーたちも朝宮の後を追って離れて行く。


「一体何だってんだ」

「思い返してみなさいよ。知らぬ間に余計な恨みでも買ったんじゃない」


 言われるがまま考えると気付いたことがあった。


「……そういえば」

「何? やっぱり何かあった?」

「鈴子、最近ちょっと太」


 その後の言葉を言えぬまま俺は鈴子から肩パンチを食らって会話は終了となった。結局、朝宮が何のために来たのかはわからず仕舞いだった。

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