第7話 午後の講義とイヤなヤツ
太陽が真上に差しかかり、リバン総合訓練所の施設は熱気を帯びていく。
午前の戦闘訓練が終わり訓練生たちは汗と埃に塗れた体を引きずりホールを後にする。
戦闘訓練棟にはシャワールームが設置されているが、
人数分はないので多くの訓練生は寮に戻り大浴場で手短かに汗を流す。その後は寮内の食堂で昼食を取り午後の講義に臨むのだ。
食堂では疲れ果てた新訓練生たちが昼食を前にしており、体力のある者が大量の食事を平らげている横で体力の劣る訓練生たちは食事が喉を通らないことも多かった。
「エレナ様、よくそんなに食べれますね?」
食欲の湧かないアリスはテーブルの向かい側でモリモリと食事を平らげるエレナに目を丸くしていた。
アリスの隣には学術科で一足早く講義を受けて来たフローラが合流して一緒に昼食をとっている。
エレナの隣にはリーナが座り静かに昼食を取っていた。
「あれだけの訓練よ?ちゃんと食べないと持たないわ」
そう言ってエレナはビュッフェスタイルの料理をお皿に山ほど乗せていた。
「わたし…食欲なくて…」アリスはいつもの感覚で盛り付けた料理のほとんどに手をつけられないでいた。
「アリスが食欲ないなんて、信じられない」隣に座るフローラが驚いて言った。「よっぽど訓練が厳しかったのね…」
そんなフローラにリーナが口を挟む。
「アリスさんが食欲ないのは訓練が厳しかったからじゃなくてフレデリック様のことで頭がいっぱいだからじゃないかしら?」
ニッコリと微笑むリーナ。
「なっ!リーナ様!そんなことありませんよ!」アリスは勢いよく立ち上がり大袈裟に否定するが、顔が真っ赤に染まっていて満更でもないことを物語っていた。
「そうそう、アリスってば模擬戦でフレデリック様に手を差し出されて心を奪われちゃったのよね」
「エ、エレナ様!?」アリスはエレナへと振り返る。
「へ〜フレデリック様ね。イケメンだもんね〜模擬戦でそんなことになってたんだ〜」フローラがアリスを覗き込む。
「フ、フローラまで…!」アリスは顔を真っ赤にしてプルプルしていた。
「フレデリック様は関係ないです!」そう言うや否やアリスは目の前のパンを口に放り込んだ。
数分後。食欲がないと言っていたアリスのお皿の料理はすっかりアリスのお腹に収まっていた。
「フレデリック、質素な料理だが訓練の後には美味く感じられるな」レオポルドはナイフとフォークで切り分けたチキンソテーを口に放り込みながら隣のフレデリックに言い放った。
「レオポルド様、そのような物言いは料理人に失礼ですよ」フレデリックはスプーンでスープを掬う手を止めレオポルドを嗜める。
レオポルドの向かい側には寮の同部屋の二人がレオポルドの顔色を伺いながら料理に手を伸ばしていた。
「ふん。真面目だなお前は。」レオポルドはフレデリックを一瞥すると向かい側で黙々と食事をする二人に声をかける。「なあ、フィンとバートラムもそう思うだろ?」急に話しを振られたフィンとバートラムは咽せながら適当な相槌を打った。
レオポルドは二人の返事に満足し高笑いをするとフレデリックに向き直る。「見ろ。あいつらもお前が真面目すぎるって言ってるぞ」そんな主人の高笑いを聞きながら、フレデリックは溜め息をつくのだった。
「向こうにいるのはリーナ様か。お?おまえの模擬戦の相手もいるぞ」レオポルドはリーナたちの姿見つけフレデリックに合図を送った。
「おまえ、あの平民女の手を取っていたな。ああ言うのが好みか?」レオポルドは卑下た笑みを浮かべていた。
「レオポルド様…身分など関係ありません。レディに失礼ですよ。」フレデリックは再び溜め息混じりに嗜める。レオポルドはそんなフレデリックの小言を聞き飽きたとばかりの表情で聞き流すのだった。
訓練生の昼食タイムは慌ただしく過ぎていき、午後の講義が始まる。
学術棟の一室に集まった訓練生たちは思い思いの席に座り講義の開始を待っていた。
教団の目の前にリーナ、エレナが隣同士で座り、カイルはリーナの後ろの席に座った。
オリバー、サミュエル、アリスもその後ろに続く。
ここからは合同の講義のためフローラを含む学術科のメンバーも一緒だ。
エイダンは一番後ろの席に隠れていた。
レオポルド、フレデリック、その他二人は窓際の後方に。窓際の前方にグリマスとベアトリスが並んで座った。
最初の講義は歴史である。
歴史の担当教官が教室に入ると挨拶もそこそこにリバンの歴史について講義を初めた。
「皆さんご存知の通り、このリバンには伝説的英雄が存在します。」
「エルミス帝国の東部防衛拠点とされるリバンはエルヴィラ・オーレリア・リバンという伝説的英雄によってその名を冠されました。」
教官は伝説的英雄の偉業を熱弁していく。
その功績は語り継がれ多くの人々に根付いているため特別な知識ではなかったが、最初の歴史の講義としては外せない内容なのだろう。
しかしながら、平民にとっては意外な事実も含まれているようで、貴族にとっては常識に近い内容に驚きの表情を見せる平民訓練生もいた。
「…とまあ、さまざまな逸話が語り継がれておりますが、その大半は後に作られた創作がほとんどです。」
「え?創作なの?」カイルも驚いた平民のひとりだった。
「そうです。彼女が優れた戦術家であり政治家であったことは事実で、リバンの成り立ちに欠かせない人物であることは間違いありませんが」
「未来を予知する能力があったとか、竜を調伏したとか、戦場で不死身だったとか、これらはみな創作です」
教官は続けて説明した。「しかし、彼女の実際の功績はそれらの伝説にも劣らないものでした。エルヴィラは多くの戦闘で無敗を誇り、リバンの地を強固な防衛拠点に築き上げたのです。」
「戦術理論の講義では彼女の残した戦術を学ぶことになります。皆さんもしっかり学んでください。」
一気に現実に引き戻された気がして訓練生たちは緊張感を増していった。
「本日はリバンの成り立ちに触れ、英雄エルヴィラの話しをしましたが、皆さんご存知の通りここには英雄の子孫であるリーナ様が在籍しております。」
ここに来て、リーナの表情が曇った。
しかし、リーナの後ろにいる訓練生たちは、そのリーナの表情に気づくはずがなかった。
隣のエレナだけがリーナの表情に気づいていた。
それ以上言わないで欲しい…そんなエレナの願いも虚しく、教官は言葉を続けていった。
「リーナ様はこの訓練所に首席で入寮された方です。英雄の再来と言われるに相応しい優秀な人材です。皆さんはそのようなリーナ様と同期として訓練に励めることを誇りに思ってください。」
平民の訓練生たちは教官の言葉に感じ入りリーナを讃える者もいた。
しかし、貴族の訓練生たちには響くどころかリーナを蔑むきっかけを与えているようだった。
それが、リーナには大きなプレッシャーとなってのしかかっているのだった。
初日のカリキュラムが終了し、訓練生たちが寮棟へと戻る道のりで、リーナの歩みは重かった。
歴史の講義の後、同期の訓練生の視線が気になって仕方がなかった。
街の人たちに期待の目を向けられるのは慣れたつもりだった。学校でも同級生たちと上手く行ってたと思っている。でも改めて意識させられるとそれを振り払うことは難しかった。
エレナがリーナの隣を歩きながら、彼女の顔をちらりと覗き込む。
「リーナ様、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ、エレナ。ただ少し考え事をしていただけ」
リーナは小さく微笑み返した。
少し後からカイルたちがついて歩く。
「リーナ様…わたしたちが想像出来ないくらい重圧があるんじゃないかしら…」フローラが心配そうにリーナの背中を見つめ呟いた。
カイルは今までリーナの重圧なんて考えたこともなかった自分を恥じていた。
「リーナのために何か出来るだろうか…?」
カイルは心の中でそう自問しながら、リーナの背中を見つめていた。
「これはこれは、英雄の再来と称されるリーナ様ではありませんか!」背後からの唐突な言葉にリーナたちは振り返った。
「レオポルド…様」声を掛けて来た者の名を呟くリーナ。エレナは警戒感を露わに身構えた。
リーナは微かに顔をしかめたが、冷静さを保とうと努めた。「何かご用でしょうか、レオポルド様?」
「なに。英雄の子孫と話しがしたかったまでですよ」
レオポルドは肩をすくめた。
「リーナ様が英雄の子孫であることは皆が知るところだ。だが、再来などと持て囃されるのは如何なものかと思いませんか?」レオポルドは卑下た笑みをリーナに近づける。僅かに後ずさるリーナ。
「レオポルド様、そのような話は無用です」とエレナが鋭い目で言った。
レオポルドはエレナを一瞥し、再びリーナに視線を戻す。「模擬戦でベアトリス様に勝ったぐらいで英雄の再来などと…わたしなら恥ずかしくて表を歩けませんよ」
「レオポルド様!」レオポルドの後ろに控えていたフレデリックが声を上げる。
「…貴様…!」エレナの眼光が鋭さを増した。
不意にレオポルドがリーナの顎に手を添える。
「とは言え美しさは英雄に引けを取らないようだ。力のある男性を婿に取るには良いかも知れんな」
その瞬間、リーナに触れるレオポルドの腕を取り、捻り上げる者がいた。
「うぐっああっ」レオポルドは腕の痛みに苦悶の表情を見せる。
「リーナに触るな」それは怒りの表情を見せるカイルだった。
「貴様…!平民の分際でこの俺に…!」レオポルドは腕を極められた状態でカイルに睨みを効かせる。
「レオポルド様おやめください!カイル殿も手を引いて貰えないだろうか?」フレデリックがレオポルドとカイルの間に割って入る。
カイルはレオポルドの腕を離すとリーナを守るようにレオポルドに立ち塞がった。
「レオポルド様、おふざけが過ぎます。」フレデリックがレオポルドを一喝するとレオポルドは渋い表情でその場を離れる。
「ふん。リーナ様は平民の人気が高いようだ…行くぞ!」捨て台詞を残すと、レオポルドと一行はリーナたちを追い抜き寮へと向かう。
最後にフレデリックがリーナを振り返り一礼をして踵を返していった。
リーナは自分を守ってくれたカイルの背中を見つめていた。あの時もそう。そして今回も。
わたしが怖くて仕方ない時に守ってくれるのはこの背中だった。無意識にリーナはカイルの背中に手を伸ばしていた。
「リーナ様!大丈夫ですか!」エレナたちの声に我に帰るリーナは伸ばしかけた手を引き戻して自分の胸に押し当てた。
早鐘のような心臓の鼓動が手に伝わる。
これは怖かったせい?それとも…
「リーナ…大丈夫か?」カイルはリーナへと振り返ると心配そうに覗き込んだ。
「大丈夫よ、カイル。ありがとう」リーナはカイルを前に顔が火照ってくるのを感じて顔を背けた。
アリスもフローラも心配そうに声を掛けてくれるけど、
リーナは心ここに在らずだった。
「ごめんなさい、みんな。変な事に巻き込んでしまって…」少し落ち着いたリーナはエレナたちに頭を下げる。
「リーナ様は何も悪くないですよ!」アリスが慌てて答える。「悪いのはレオポルド様よ!」みんながその意見に頷いていた。
「それにしてもあいつ、最悪なヤツね」エレナが拳を握り締め声を震わせていた。
「でも…フレデリック様はやっぱり紳士的な方だわ…」怒りのエレナと対照的にアリスは恋する乙女の瞳を輝かせていたのでした。
「フレデリック様は気の毒だな…主人があれでは苦労も多いだろう」これまで無言だったオリバーが口を開く。
「あんなのが主人だったら、わたし耐えられないわ!」エレナがオリバーの意見に賛同して声を上げた。
「主人がリーナ様でよかった〜」エレナはリーナに抱きついて胸に顔を埋める。
「きゃっ!ちょ、エレナ!なにするの!?」リーナはエレナの奇行に慌てて逃れようとする。
「逃しません!リーナ様!」エレナはがっしりとリーナにしがみつき離そうとしない。
さっきまでの嫌な空気はエレナの奇行で笑いに変わっていくのだった。
リーナはエレナから逃れながらも、仲間たちの笑顔に心が軽くなるのを感じていた。「みんな、本当にありがとう」と心の中で感謝するのだった。
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