第3話 訓練の始まり

リバン総合訓練所の最大の施設、戦闘訓練棟。

そのメインホールの一画に新訓練生たちが集まっていた。


入寮式で着用した緑を基調とした制服ではなく、貸与された訓練用装備を身に纏い、それぞれの得意とする武器を携えている。

訓練用の防具は軽量化されているとはいえ、ヘルメット、胸当て、腰当て、肩当て、腕当て、脚当てを全身に装備すると、その総重量は10kgにも達する。


新訓練生たちはこの重厚な防具を着用し、これから始まる厳しい訓練に備えていた。

隣の区画では、すでに先輩訓練生たちが日々の訓練メニューを開始しており、その様子を新訓練生たちは固唾を飲んで見守っていた。

先輩たちの動きは鋭く、正確で、彼らがこの訓練所でどれほどの努力を重ねてきたかが一目で分かる。


カイルは、そんな先輩たちを羨望の眼差しで見つめていた。

強くなりたい。その一心だけでここまで来た。

いや、ようやくスタートラインに立つことができたのだ。入寮が目的ではない。卒業が目的なのだ。


カイルらの目に映る先輩訓練生は22人。

その数は彼らが一年前に入寮したときの38人から大幅に減少していた。一年間で16人が退寮したことになる。それはこの施設の訓練が如何に過酷であるかを物語っていた。


ふと視線を感じたカイルは隣を見やった。

同時にリーナと視線がぶつかる。

「先輩達の動き、すごいわ」そう言ってリーナ苦笑いを浮かべた。

ヘルメット越しからでも伺える青く澄んだ瞳は憧れの人を見つめるような眼差しで先輩訓練生を見つめていた。


「全員整列!」

先輩訓練生の動きに見惚れていた新訓練生らは、突然の怒号に慌てて列を正す。


防衛部隊隊長兼、戦闘学科主任教官オルンである。

2メートルを超す巨体が目の前に立ちはだかるとまるで壁のようだ。その圧倒的な存在感に新訓練生たちは息をのんだ。

そして、その両隣には3人の副教官も控えている。


新訓練生が列を正すのを待って、巨体は口を開いた。

「わたしは戦闘学科主任教官のオルン・フェレウスだ。ここではお前たちの指導を行うことになる。」


オルンはゆっくりと新訓練生たちを見渡し、続ける。


「そして副教官たちも紹介しておく。剣術担当のロドリック・ミドルトン。弓術担当のサラ・ベネット。戦術・戦略担当のロレンス・ウィルソン。」


副教官たちは名前を呼ばれると一歩前に出て軽い会釈をしていく。

3人の副教官たちを紹介するとオルンは続けた。


「これからお前たちに戦闘技術の全てを叩き込む。ここでは甘えや怠惰は許されない。全力で挑まなければ、すぐに淘汰されるだけだ。」


オルンの低く響く声がホール全体に響き渡り、新訓練生たちの背筋を正す。その言葉の重みが、ここでの訓練の厳しさを物語っていた。


「最初の一ヶ月で、お前たちの覚悟と実力を見せてもらう。少なからず耐えられない者が出るだろう。だが、残った者は強くなる。そして、この施設での訓練を通じて、自分の限界を超えるのだ。」

隣に立つ副教官たちが、それぞれの表情で新訓練生たちを見つめていた。


「それでは、訓練カリキュラムを発表する。サラ副教官頼む。」

「承知しました。主任教官殿」

指名されたサラ副教官は踵を返し背後の掲示板に歩み寄ると、掲示板に貼られたカリキュラムを指し示しながら、訓練生たちへと説明していく。


基本動作の反復練習から始まり、体力・持久力トレーニング、柔軟性・体幹トレーニングと続いていく。

ここまででざっと80分。

15分のインターバルを挟み模擬戦を40分。

最後に15分クールダウンを行い、計2時間半の訓練カリキュラムが終了する。


多くの新訓練生は予想以上の厳しい訓練メニューに動揺を隠せずにザワついている。

「これ…毎日やるの…?」

「キツくないか…?」


新訓練生たちの騒めきを意に介せずサラ副教官は続ける。

「カリキュラムの内容は1か月ごとに難度が上がります。でも大丈夫よ。サボらなければ着いて行けるように組まれているから」

不安そうな新訓練生たちに、サラ副教官はニッコリと微笑んだ。


その中の数人の男子訓練生はその大人の微笑みに胸をときめかせずにいられなかった。

サラ副教官が説明を終えると、脇で聞いていたオルンが前に出て付け加える。


「訓練時間は半年ごとに30分伸びるからな。おまえたちが卒業する頃には4時間だ。覚悟しておけ。」


動揺する訓練生たちは愕然とした表情でオルン教官と訓練カリキュラムを交互に凝視するのだった。


新訓練生たちは一通りウォームアップを終えると基本動作訓練に入った。

訓練用の木剣を両手に握りしめ、上段から振り下ろす。

「えい!」「やあ!」と初々しい掛け声がホールに響いていた。

「腕の振りが甘いぞ、もっと力を込めて振れ!」オルン教官の声がホールに響き渡る。

「はいっ!」

教官の指摘に訓練生たちは腕に力を込める。全員が一斉に動きを修正し、さらに力強く木剣を振り下ろした。


リーナも掛け声と共に木剣を振り下ろす。

既に額に汗が滲み栗色の髪が頬に張り付いていた。

オルン教官はリーナの横で足を止めると、その動作を凝視する。

リーナは巨体のプレッシャーに負けないよう、一段と声を張り上げ木剣を振った。

「もっと腰を入れろ。動きが安定する。」

「はいっ!」

オルン教官の指摘にリーナは即座に反応し腰を低く構えた。その動きは一層力強く、木剣が空を切る音が鋭く響いた。


一通りの訓練メニューを終えた訓練生たちはタオルで汗を拭きながら水分補給をしたり、栄養補給の軽食を口にして体力回復に努めていた。


「お疲れ様、カイル」リーナは息を切らししゃがみ込んでいたカイルに近寄り声をかけると水筒を差し出した。

「あ、ありがとうリーナ」カイルは水筒を受け取ると勢いよく喉を潤していった。


「はぁ〜生き返る…」一息ついたカイルはそう言って天を仰いだ。

「初日から厳しかったわね」

リーナはカイルを見下ろしながら苦笑いを浮かべる。

「そんなこと言って、リーナは全然平気そうだよね」

「そんなことないわ、結構ギリギリよ」

リーナは笑いながらも、額に滲んだ汗を拭った。


「リーナ様!いろいろ果物が用意されますよ!」

エレナはテーブルに用意された軽食を物色しながら声を上げている。


カイルが立ち上がり、リーナと一緒にエレナの方へ歩き出すとエイダンがよろめきながら近寄ってきた。

「カイル…その水、俺にもくれ…」

カイルは手に持った水筒を見やる。

「これ?少ししか残ってないけど…?」言いながら水筒を振るとチャプチャプと軽い水音が響いた。


「いいからくれ!」エイダンは必死な顔でカイルに迫った。その勢いに押されたカイルは水筒をエイダンに差し出す。

ばしっと勢いよく水筒を奪ったのは、リーナだった。


「リーナ?」予想外のリーナの動きにカイルもエイダンも戸惑いの表情を見せる。


「エイダン。水筒なら向こうにあるから、わたしが持ってきてあげるわ」

リーナはカイルから奪い取った水筒を胸に抱えニッコリ微笑んだ。

「あ…いや、リーナ様、その水筒でいいんです…」

「これはダメ」エイダンの言葉を遮るようにリーナはきっぱり言い放つ。

「別の水筒持ってくるから待ってなさい」言うや否や駆け出すリーナ。


「リーナ、どうしたんだろ?」カイルはリーナの行動を不思議に思い呟く。

「…くそう。カイル、きさまだけリーナ様と間接キスしやがって」隣でエイダンが恨めしそうな目でカイルを睨んでいた。

「は?か、間接…?あれは新品の水筒だろ?」カイルはエイダンの言葉を慌てて否定した。

「いいや違うね。あれは確実にリーナ様が口をつけた水筒だった」エイダンは確信を得た表情でカイルに迫った。

「そんなこと…」カイルは言葉に詰まり、顔が赤くなった。


その時、リーナが新しい水筒を持って戻ってきた。「はい、エイダン。これで喉を潤して。」

エイダンは渋々と水筒を受け取り、「ありがとうございます、リーナ様…」と呟いた。


「エイダン!貴様ー!!リーナ様に物を取りに行かせるとはどう言う了見だぁ!?」さっきまで果物を物色していたエレナが鬼の形相で突進してきた。

「ひいっ」エイダンはそれを見たとたん逃げ出す。

唖然とするリーナとカイルの側を疾風の如く駆け抜けて行くエレナ。


「…あの訓練の後なのに、体力あるな…二人とも」カイルは感心したように呟く。

追うエレナと逃げるエイダンの様子を眺めながらリーナとカイルは顔を見合わせて笑うのだった。


「リーナ様、お疲れ様でした。カイルもお疲れ様。」

エレナとエイダンの追いかけっこを堪能する二人にフローラが声をかけた。


「フローラも、お疲れ様」リーナもフローラに労いの言葉をかける。

「リーナ様、わたしはここまでなので、お先に失礼します」そう言ってフローラは頭を下げる。

「え?まだ模擬戦が残ってるんじゃ…?」カイルが首を捻るとリーナが指摘した。

「フローラは学術科だから、一緒に訓練するのはここまでよ?」

「ほら、他の学術科のメンバーも引き上げて行くわ」

リーナが指差した方を見ると数人のメンバーが教官に挨拶して訓練棟から出て行く所だった。


「そうか学術科は基礎訓練までなんだ…」

「そうよ。基礎だけでも限界だから、この後の授業が不安」そう言ってフローラは苦笑いを浮かべる。

「わたし達も頑張るから、あなたも頑張って」

リーナの言葉に大きく頷き、フローラはその場を後にした。


「…思いの外動けるヤツがいるな」

「そのようですね、グリマス様」

リーナたちとは離れたテーブルの側に立ち、インターバル中の二人組。


グリマスと呼ばれた男子訓練生はダークブラウンの短髪を掻き上げながら、鋭い緑の目で、走り回る二人を眺めていた。

ところで、とグリマスは隣でリンゴの皮を剥いている女子訓練生に問いかける。

「模擬戦だが、ベアトリス、おまえは誰とやりたい?」

リンゴの皮を剥く手を止め、セミロングの黒髪の奥に光る青い眼を細めながらベアトリスは答えた。

「同じ従者同士、エレナ様とやってみたいですわ」


「待てー!エイダン!」「お助け〜!」

「貴様らそんな元気があるなら模擬戦の初戦はお前らに決定だ!!」


「今日は出来ないようだな…」様子を眺めていたグリマスは呟く。

「…いくらでも機会はあります」ベアトリスは表情を変えずに答える。


「…それにしても、他の連中はなぜこのテーブルに来ない?」グリマスは気になっていた事を口にする。

「それは、伯爵家のご子息たるあなた様の威厳に押されているからでしょう」ベアトリスは剥き終わったリンゴをグリマスの口元に差し出しながら答えた。

グリマスはベアトリスが串に刺して差し出したリンゴにそのまま齧り付く。


「なるほど。それは致し方ない。同期の訓練生同士、交流を深めるのもやぶさかではないのだが…」

「…致し方ありません。グリマス様の威厳は簡単に消せる物ではありませんから」

変わらぬ表情でベアトリスは答えた。


「まあいい。友人ごっこをしに来たわけではないからな」グリマスはリンゴを齧りながら続けた。

「ええ、ここにはあなた様に相応しい者はおりませんわ」ベアトリスは静かに微笑んだ。


少し離れた場所で休憩する訓練生たちは、テーブルに陣取る二人を眺めながら囁いていた。

「あれってシュタインフェルド伯爵家のグリマス様と従者のベアトリス様だろ?」

「あの二人、婚約してるって噂だったけど本当みたいだな…」

「だな。訓練中にいちゃつきやがって…見ろ!リンゴあーんってしてる!」

「くそう!羨ましいぜ!」

「でも、あの二人の実力は本物だって聞くぜ。特にグリマス様の剣術は抜群らしい。」

「そりゃあ、伯爵家の跡取りだからな。徹底的に鍛えられてるんだろうさ。」

「ベアトリス様もすごいって話だよ。従者同士、エレナ様との模擬戦が楽しみだな。」

「それより俺はリーナ様やグリマス様の模擬戦の方が気になるぞ」

「それもそうだな!」


訓練生たちは自分の事よりリーナやグリマスの模擬戦が楽しみのようだった。

短いインターバルが終わり、訓練生同士の初の模擬戦が始まろうとしていた。

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