第2話 同期の仲間たち
リバン総合訓練所。
敷地の中央には荘厳なメインホールがあり、先程入寮式が行われたばかりだ。
そのメインホールを囲むように各種訓練棟が配置されている。
学術棟、戦闘訓練棟、魔術訓練棟、そして寮棟。
学術棟は通常の学科授業を行う教室や図書館があり、さまざまな講義が行われる。
戦闘訓練棟では剣術や弓術といった実践的な戦闘技術の訓練が行われ、鋭い掛け声が響いていた。
魔術訓練棟では特殊な防御壁が展開され、訓練生が魔法を暴発させても被害が出ないように処置が施されているのだ。
そして寮棟には教官室、食堂、大浴場が設置され、訓練生たちは4人一部屋が割り当てられた寮生活を送る。
そんな寮の一室で、カイルは困惑の表情を浮かべていた。
「エイダン?…何してんの?」
アフロ気味の天然パーマで思春期真っ盛りの様なエネルギッシュな顔をした少年がカイルの手を優しく包み込むように握りしめていた。
「いや、これがリーナ様の温もりかと…」
エイダンは真剣な表情で答える。
「キモいんだけど?」カイルは顔を引き攣らせ、困惑の表情を露わにする。
「おまえ、校庭でリーナ様に手を握られてたじゃねえか!俺にも分けろ!」
意味不明な発言をしながらエイダンはカイルの手に頬ずりをしだす。
「うわわっ、なにすんだよ!?」カイルは慌てて手を振りほどき、後ずさった。
「逃げんなよ!」エイダンはカイルに詰め寄る。
「エイダン、いい加減にしなよ」
そんな二人のやり取りがうるさかったようだ。
椅子に座って戦術教本を読んでいたオリバーがメガネを押し上げながらエイダンを制止した。
「そうだよ、男同士で何やってんだよ」
机に向かって何やらペンを走らせているサミュエルも抗議の声を上げる。
サミュエルの抗議には僕も含まれているのか?
カイルは理不尽な気持ちでサミュエルを見た。
「そう言うおまえはさっきから何書いてんだ〜?」
エイダンがサミュエルに矛先を変える。
「手紙だけど」
サミュエルは書きかけの手紙を隠すようにして答えた。
「おまっ!あれか?地元の許嫁の手紙か!」
「う、うるさいな!おまえには関係ないだろ!」
カイルはエイダンの魔の手から逃れられホッと息をついた。入寮初日から何やってんのかと気が重くなる。
リバン学習訓練校。略して学校の頃からの同級生で変わり映えしない面子だったが、学校では共同生活をしていた訳ではない。
こいつらと寮生活するのか…
手紙の奪い合いをしている二人を横目にカイルはため息をついた。
オリバーは諦めたのか読みかけの本に目を戻していた。
エイダンと別の部屋にして欲しかった…
憂鬱な気持ちを抱えながら、カイルは手付かずの荷物を整理するのだった。
アリス・ハドソンとフローラ・マーティンは、割り当てられた部屋の前で硬直していた。
アリスは肩にかかる茶髪を揺らしながら、ドアに貼られた名前のリストを指差し、口を開く。
「ねえ、フローラ?これマジ?」
呼ばれたフローラは明るい金髪を指先で弄びながら答えた。
「マジ…だと思うわ」
アリスが指差した先には、我らが領主の娘の名と、その従者の名が書かれていた。
その下には続けて自分たちの名前が書かれている。
「わたしたち平民よ?貴族様と寮生活するの?」
「…するんだと思うわ」
アリスは淡々と応えるフローラに一瞥を投げた。
「待ってフローラ。私たち貴族様たちと一緒に生活できるの?」
「…アリスが不敬を働く未来が見える」
アリスは息を呑み、フローラに向き直った。
「ちょっと、それってどういうこと?」
「だって、アリス。あなたいつも思ったことをすぐ口にするから。貴族様に対しても余計なこと言ってトラブルになるんじゃないかって…」
アリスは一瞬、口を閉ざし考え込んだ。
が、すぐに笑みを浮かべた。
「わかった気をつけるよフローラ。でも、リーナ様とエレナ様は学校でも知ってるし、そんなにひどい人たちじゃないよね」
フローラは鼻で笑い、アリスの肩に手を置く。
「あー!鼻で笑ったな!やめてよね!」
アリスは不満げにフローラを見つめたが、フローラは肩をすくめただけだった。
ともかく。いつまでもこうしているわけにはいかない。アリスは意を決してドアに手を伸ばした。
その瞬間、ゴスっと言う鈍い音と共にアリスは指先に激痛を感じた。
「うぐっ!」
予想外の痛みにアリスは呻き声を挙げる。
「あ、ご、ごめんなさい、大丈夫?」
激痛のする手を押さえながらしゃがみ込んだアリスは、謝罪をする声の主を見上げた。そこには心配そうにアリスを覗き込むエレナの姿があった。
制服姿で心配そうに見つめる彼女の表情は鋭い目つきには程遠い優しさが感じられた。エレナはすぐにアリスの手を取り、その傷を確かめる。
「本当にごめんなさい。扉を急に開けるなんて、配慮が足りなかったわ」
アリスは痛みに顔を歪めながらも、エレナの真剣な表情を見て、少しほっとした。
「だ、大丈夫です…ちょっとびっくりしただけで…」
その時、リーナが部屋の中から顔を出した。
リーナもまた制服姿のままだったが、入寮式の緊張感はなく、予想外の出来事にただ心配そうな表情を見せていた。
「エレナ、何があったの?」
「リーナ様、扉を開けたらこちらの方の手にぶつかってしまって」
「え!大丈夫なの?」
リーナもまた心配そうにアリスに駆け寄る。アリスは慌てて立ち上がり、恐縮しながら頭を下げた。
「リーナ様、エレナ様、お気遣いありがとうございます。少し驚いただけで、本当に大丈夫です」
フローラも一歩前に出て、アリスを支えるように肩に手を置いた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
リーナは優しく微笑んで答える。
「いいえ、大丈夫ですよ。少し手を見せてください」
そう言ってリーナはアリスの手を取ると、赤く腫れつつある患部に指先を添える。
ふわりと青白い光が滲んでリーナの指先に魔法陣が展開され、温かさが広がっていく。
アリスは痛みが和らぐのを感じ、驚いた表情でリーナを見上げた。
「回復魔法…?リーナ様…、平民のわたしなんかに…」
アリスの言葉にフローラもまた驚きの表情を浮かべた。リーナは微笑んで頷いた。
「怪我をした人を放っておくわけにはいきませんから。アリスさん、フローラさん、これから同じ部屋で生活するのですから、気兼ねなく声をかけてくださいね」
アリスとフローラは再び驚き、目を見開いた。
「リーナ様、わたしたちの名前を覚えてくださっていたんですか?」
リーナは微笑んで頷いた。
「もちろんよ。学校で一緒だったでしょう?」
エレナも軽く頷き、アリスとフローラに視線を向けた。「そうね。これからよろしくお願いしますね」
言いながら二人へと手を差し伸べる。
アリスとフローラは緊張しながらも、リバンの将来を担う二人と握手を交わしたのだった。
入寮初日の夕食。
リーナとエレナ、アリス、フローラの4人は寮内の大食堂にいた。
入寮した訓練生32人と多くの先輩訓練生。
そして数名の教官たちもここで食事をしている。
大食堂は広々としており、長いテーブルと椅子が整然と並んでいる。
訓練生たちは各自トレイに食事を取り、友人や同部屋の仲間と共に席へ向かっていた。
リーナはその列の中で、食事をトレイに乗せて席へ向かうカイルを見つけ、手を振った。
「カイル!」
彼女の声が広がる大食堂に響き、カイルはリーナの方を振り返った。それと同時に、大食堂内の多くの視線がリーナたちに注がれる。
一緒にいたアリスとフローラは、自分たちも注目を浴びているような気がして冷や汗を流した。
カイルも冷や汗を流していた。周りの視線もだが、隣で異様な視線を向けているエイダンが怖かったからだ。
「カイルも今から食事なのね。一緒に食べましょう」
リーナはカイルの元まで歩み寄り、優しく微笑んだ。
隣ではエレナが険しい顔つきで睨んでいる。
「あ、ああ。いいね。そうしようか」
カイルは少し緊張しながら答える。その隣で妙な顔をしている訓練生たちにリーナの目が向いた。
「エイダン、オリバー、サミュエルも。あなたたちがカイルと同部屋なの?」
エイダンが不敵な笑みを浮かべながら答える。
「そうなんだよ、リーナ様。カイルと俺たち、運命共同体ってやつさ」
サミュエルは緊張しているのか目線を逸らしてモゴモゴ呟いている。
オリバーはメガネを押し上げ、静かに呟いた。
「さすが…ぼくらの名前を覚えておいでとは」
「もちろんよ覚えているわ」その言葉にリーナは笑みを浮かべるのだった。
席についたカイルは周りを見渡した。
テーブルの向かい側にはリーナが座っており、その左隣にはエレナが、そのさらに左にリーナの同部屋のアリスとフローラが座っている。カイルの右隣にはエイダン、その隣にオリバー、サミュエルが並んでいた。
目の前には、自ら運んできた夕食がトレイに乗っている。夕食のメニューは、香草を使ったローストチキンの一切れ、黒パンとバター、シンプルな野菜スープ、そして季節の根菜サラダ。デザートには小さなリンゴが一つ付いていた。
黒パンにバターを塗って頬張ると、しっとりとしたパンの食感が口いっぱいに広がり、バターの濃厚な風味がそれを包み込んだ。
素朴だがほんのりとした甘さを感じながら、カイルは向かい側に座るリーナへと目を向けた。
丸齧りした自分とは違い、リーナはパンを一口サイズにちぎって優雅に口に運んでいた。
そしてナイフとフォークを手に取るとローストチキンを丁寧に切り分け口に運ぶ。
その姿に、カイルは思わず見惚れてしまうのだった。
そんなカイルの隣では、エイダンがズルズルと音を立ててスープを飲んでいる。
片手には齧ったパンが握りしめられていた。
向こう側を見れば、アリスが口いっぱいに頬張りながら幸せそうな顔をしている。
「フローラ!フローラってば!」
「何よアリス…食事中にはしたないわよ?」
スプーンでスープを掬う手を止めフローラが返す。
「こんな美味しい夕食初めて!入寮して良かった!」
アリスは満面の笑みを浮かべた。
アリスの声を聞き、リーナとエレナは顔を見合わせて微笑んでいる。
カイルは食事をするのも忘れ、目の前のリーナとエレナを見つめていた。
彼女たちと出会って6年になるんだな…
あの頃はこんな日が来るとは思いもしなかった。
出会っていなければリバンの学校に通うこともなかっただろうし、みんなと訓練施設に入寮することもなかっただろう。
そうしたらこんなに楽しい食事も味わえなかっただろうな…。
カイルは過去を思い出し腕に残る傷跡をそっと撫でた。幼い頃に起きたあの事件は、傷跡と共に今でも彼の記憶に鮮明に残っていた。
「カイル、どうかした?」リーナの声がカイルを現実に引き戻した。
「え、ああ、何でもないよ。ただ、みんなとこうして一緒に食事ができて嬉しいなって思ってただけさ。」カイルは照れくさそうに微笑んだ。
リーナも微笑みを返し、「私たちもカイルと一緒に過ごせて嬉しいわ。これからも頑張りましょうね。」と優しく答えた。
リーナとは対照的に、エレナは相変わらず鋭い目つきでカイルを睨んでいた。「カイル、あなた、また過去のことを思い出していたんでしょ?」エレナは冷静な口調で言った。
カイルもリーナも、手を止めてエレナを見やった。
カイルは、それでもすぐに笑みを浮かべた。
「エレナには隠し事はできないな。でも、本当に何でもないんだ。ただ、君たちとここにいることが幸せだと感じていただけさ。」
エレナは少し眉をひそめたが、やがて口元に小さな微笑を浮かべた。「そうね。でもリーナ様の隣は譲らないわ」
カイルはエレナの言葉に苦笑しながら答える。
「分かってるよ、エレナ。」
リーナはそんな二人のやり取りを微笑ましく見つめそっと呟いた。「わたしはいつかあなたに隣にいて欲しいな…」
その呟きは大食堂の騒めきに掻き消され誰の耳にも届きませんでした。
食堂の賑わいの中で、リーナたちのテーブルは笑顔と温かい言葉で満たされ、大食堂全体に和やかな雰囲気が広がっていくのでした。
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