「反出生主義」

―O議会歴275年6月19日


 フクキ町に来たときのはじめての感想は、灰色だった。東亜N区域の町はどこも似た色と形をしていた。


 私が生まれ、育ち、働いたハソン町も、この町と変わらない景色だった。


 昨日、私に会いに来た男がいたが、彼も私と同じような感想を持っているだろうか。


「ジャブロンカ。ジャブロンカはいるか、いたら返事をしろ」


 大柄な男が私のいる収容室へとやってきた。

 私の今いる場所は、コンクリートむき出しの壁に、外から太陽光を取り入れる窓がひとつ。はめごろし窓で、換気はできない。


 唯一、この部屋の入口のドアに設けられた換気口が外の空気といえるものを、取り入れてくれるのみである。


「牢屋」。その言葉がピッタリくる1人用の部屋で私は、簡素なベッドの上に、膝を抱えて、部屋の前にいる男の声を聞いていた。


「おい、ジャブロンカ。返事をしろ。お前に用があるんだ」


 男は私の「牢屋」のドアをドンドンと叩いた。


「います、いますよ。お願いですから、怒鳴らないでください」


「なら、返事をしろ。ドア越しじゃあ、こっちは大声で喋るしかないだろう。開けるぞ」


 作られたばかりの更正院のドアは音も立てずに開いた。


「ジャブロンカ、お前に朗報だ。ビッグ・マムの御慈悲により、おまえにマキナ化手術を施すことが決定した。無償でだ。おまえに適正な電子訓練データをインストールし、フクキ町での活動に役立ててもらう。ついて来い」


 私は抱えていた膝をはなし、床に足をつけた。素足にコンクリートの冷たさが伝わってきた。体温が奪われる。寒い。


「はやくしろ、マキナになるのは、おまえだけじゃないんだ。あとがつまる」


 男がカツカツと、オースタニア議会が毎年、計画生産する厚底のブーツを鳴らしながら、私に近づいて、私の両脇を抱えあげて無理に立たせた。


「いくぞ」


 私が男のあとにつづいて、「牢屋」を出る。

 ここは中心に監視塔があり、塔の周りをぐるっと回るように円の形に配置された「牢屋」が並ぶ。


 西暦の時代、ある学者が考案した収容施設は、オースタニア議会のもとで、その機能を効果的に発揮し、私たち市民を収容する。


 5分ほど歩いて、監視塔へとつながる唯一の通路に着いた。通路を歩き、塔のもとにたどり着くと、扉があった。


 扉のすぐ右側にボタンがあったので、それがエレベーターだと理解するには、時間はかからなかった。もっとも、それが下がるのか、上がるのかは見当もつかなかったが。


 男がボタンを押し、中に入るように促す。


「このエレベーターの先で案内係についていけ。おれは他のやつを連れてこなきゃならん」


「あの、ボタンが無いんですが」

 中に入ったが、階層を示すボタンが無い。


「このエレベーターは一方通行だ。中央制御室でコントロールするから、おまえはただ乗っていればいい」


「はあ、わかりました」


「じゃあな」


 男はそう言うと、エレベーターの外、私の死角で何かを操作する。

 エレベーターのドアが閉まり、動き出す。


 エレベーター特有の浮遊感からこのエレベーターが下に向かって動き出したことが感じられた。


 カーン。


 チリーンでも、ポーンでもなく、おたまで机を叩いたような音がして、エレベーターが止まる。扉が開く。人影。


「こんにちは、ジャブロンカさんですね」


 白衣にメガネをかけたショートボブヘアの女性がエレベーターの前に立っていた。


「どうぞ、こちらへ」


 私は案内に従い、真っ白い通路を歩く。

 床は黒色のフローリングで照明の光が白い壁に反射し、黒い床に吸い込まれていく。


 女性が立ち止まる。こちらです、と言い、手で白い壁に触れる。

 その瞬間、壁に亀裂が走ったかのように四角に溝が入る。プシューっと空気が抜ける音がして、四角に割れた壁が左右に分かれ、たくさんの機器が置かれた部屋があらわれる。中には人間もいた。男だ。


「では、ジャブロンカさん、こちらに横になってください」


 男の指示に従い、簡素なつくりのベッドに横になる。


「今からマキナ化手術を行います。2時間後には、ジャブロンカさんは今までとは全く違う人に生まれ変わります。記憶などは残りますので、安心してください。では、麻酔を注射しますね」


 男がそういうと、プラスチック包装された注射針を取り出し、小瓶に入った液体を注射器に吸わせる。


 生まれ変わるか……。


 もしも人生をやり直せるチャンスがあるなら、私はそのチャンスを売って、この世に生まれないことを望みたい。生まれたがゆえの苦痛、ストレスを味わい尽くした人生であった。

 そう考えると、マキナ化手術を無償で行わせ、新たな人生を歩ませるビッグ・マムは悪魔にも思えた。


 男が私の腕を触り、どこに刺すかを決めたらしい。


 小さな痛み。薄れゆく意識。


 それが私、イヴァン・ジャブロンカとしての最期の記憶であった。

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