「独白」

「あなたのお兄さんはすごいね」


 何度も聞いてきた言葉。

 小さな町であるフクキ町は噂が広がる速度がはやい。

 私もそう言われることに慣れるのは早かった。


 オオツカ・ケイ


 私の兄は小学校の頃からずば抜けていた。いろいろな意味で。スポーツをすれば区域大会で優勝。勉強に打ち込めば、フクキ町では歴代4人目となる区域大学入学者となり、自由思想派のクラリス教授のもとで学んだ。


 自由思想を重視していた両親にとって、文武両道を体現する兄は自慢の息子だった。

 私にとっても、兄は自慢であり憧れであり、同時にライバルでもあった。


 私はそんな家庭で育った。

 両親は常に私と兄を比較し、私が少しでもミスをしようものなら、兄の名前が出た。


「あなたのお兄ちゃんを見習いなさい」


 それでも、今日までずっと元気に私がやってこれたのは、兄が私を助けてくれたからだ。


 どうして失敗するのかをデータを取って分析し、正しい方向へと進む道筋を、一緒に実践しながら、教えてくれた。


 兄にはいろんな悩みごとも話した。

 どんなに小さいことでも、どんなに「くだらない」と親に言われることでも、兄は真剣に聞いてくれた。


 私は兄を理解していたし、兄も私を理解していてくれたと思う。


 そんな兄が唯一、理解できないことをした。

 オースタニア議会のもとで働くこと、東亜N区域庁に入会したことだ。


 自由思想派の両親は兄の進路に驚愕し、それ以来、兄と両親が話していることを見たことはない。


 自由思想を学んでいた兄が自由思想連盟に入り、自由思想を研究する。


 そういう世界もあったはずなのに、なぜ兄が興味を示してすらいなかったオースタニア議会に入会したのか。


 私はその謎を解きたくてクラリス教授に近づいた。

 兄を最も近くで教え、最も近くでオースタニア議会に入会する兄の姿を見たクラリス教授なら、何かを知っているかも知れないから。


 今日はクラリス教授が自由思想連盟の会合で講演をする。


 純粋に教授の講演に興味もあったし、自由思想連盟のことをより知るのにはいい機会だ。


 スリッポンを履いて、使い慣れている白いオースタニア議会配給バックを肩にかける。

 髪をポニーテールにすれば、準備完了だ。


「行ってきまーす」


 玄関の扉をゆっくり開ける。


「気をつけてね。無事に帰ってきてね」


 と、母が心配そうな声で背中を見送ってくれた。


「だいじょうぶ」


 元気を込めて、母に返事をして、玄関の扉を静かに閉める。

 母は兄の件から私のことが不安になったみたいだ。母は心配性になり、私も議会に入会するのではないかと思われている。

 母の笑う顔も、あれ以来見ていない。


 母のためにも、兄の真意を知らなくては。

 朝九時を指す配給時計を見る。

 講演が始まるまで、あと2時間ちょっとある。


 近くのカフェで配給キップを使うのもいいなと思った。


 大学の課題もあるし、カフェで時間をつぶすのもわるくない。


 この町にあるカフェはいくつかあるが、どのカフェも配給されたコーヒー豆を使っているので、味はどこも同じだ。少し違うとしたら、駅近くのゲオルグコーヒーショップは、いつも豆が酸化しているから、酸っぱいことが特徴なくらいなことだろう。


 私がいつも行くのは、大型消費センターの2階にある小さなカフェだ。


 いつものカフェラテとモンブランズコットを注文し、大学の課題の前にちいさな幸せを感じようとしたとき、キッチリとしたスーツ姿の女性に声をかけられた。


「オオツカ・ナオミさんですね。東亜N区域庁窓口応対課のナナミと申します。こちら、失礼してもよろしいでしょうか」


 だれ、なぜ、どうして。

 いろいろな疑問が浮かんでは、O議会の生産計画を守っていたはずだという認識があった。


 どうぞ、と促すと、ナナミと名乗る女性は、机を挟んで私の前の椅子に腰掛けた。


「あのっ、わたし、なにか生産計画に反することをしましたでしょうか。た、たしかに、私は今月、あんまりお肉を食べなかったっていうか、あ、でも、代替消費を……」


 と、聞かれてもいないことを話していると。


「オオツカさん、落ち着いてください。オオツカさんの消費について用があるのではありません。オオツカ・ケイさん。あなたのお兄さんに関するご質問がありまして、本日、お伺いに参りました」


 兄に関すること。その時、私の脳裏に兄の行く末に一抹の不安をおぼえた。


「わたしの兄が何かしましたでしょうか」


「いえいえ、そう構えなくて大丈夫です」


「で、でしたら、自由思想に関することですか。私は、兄とはここ最近、あってはいませんが、過激派のフリーダムに入っているとは思えません。ですから……」


「オオツカさん、大丈夫です。まず、落ち着いてください。あなたのお兄さんは私たち区域庁の職員として、立派に活動していますし、フリーダムについては、東亜N区域では、活動の兆候や活動が認められていません。ですから、お兄さんが関わっていることは無いでしょう」


「じゃ、じゃあ、今日はどんなことで……」


「お兄さんの普段の生活について、お伺いしたいのです」


「兄の、普段の、生活……」


「はい、その生活についてです」


 少なくとも収容施設や更正院に送られるわけでは無いみたいだと、私は感じた。


 でも、兄の普段の生活が知りたいだなんて、数字を重視する議会職員とは思えないな。なんだろう。


 そう思っていると、ナナミが確認を取ってきた。


「このあとのご予定は大丈夫でしょうか。少しばかり、そうですね、1時間ほど、お話を聞かせていたたきたいものですから」


「わたし、このあとは特に予定は……無い、です。けれど、母が心配性ですので、1時間以上は……」


 とっさに嘘をついた。何故かは分からない。


 本能的に嘘をついた。


 そして、私に対する聞き取りは、いつもの言葉から始まった。


「では、1時間少し前に切り上げます。幼少の頃から伺えればと思いますが。それにしても、あなたのお兄さんはすごいですね」

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