「可能世界の侵入者」
不正入町者予備軍の「後始末」のあと、私は自分のデスクに戻り、更生に関する書類を作成していた。
かなり集中していたようで気付けば、活動調整によって定められているノルマ労働時間を超過していた。
これから先は来月分の生産労働として換算され、ひとまず今月の給与は定額分しっかり払われる。
本日の終業まで残り1時間。
残りの時間ですることと言えば、私たちの間で「ネスティング」と呼ばれる余剰労働を生産計画内に過不足なく収まるように労働調整書類を作成する作業だ。
月末の生産調整で「予定通り」に生産計画が行われていることを全オースタニア議会市民に、そしてビッグ・マムに報告する為に区域庁ごとに行っている「数合わせ」である。
一見、単純に見える作業だが非常に面倒くさく、かつ、失敗が許されない。
オースタニア議会では、議会成立直後から、ありとあらゆる労働を数値化し、統計データを取っている。統計データは区域ごとに分けられており、労働十二進法という分類で更に細分化される。それらデータを元に「ネスティング」をするのだ。
例えば、通勤。車を使う者であれば、常に走行量と使用燃料の量が外付けの記録装置で記録され、区域庁に通信で送られる。
「いったい、この労働者は経済を推進するためにしっかり燃料と車両を消費をしているのかどうか」
それがチェックされ、該当市区町村の生産計画の生産量と比較した際に、もし消費量が低ければ他の市区町村から余剰の消費を「移譲」することで生産計画通りにする。
逆に消費しすぎているのならば、その余剰消費を他の市区町村に「移譲」する。
こうしてオースタニア議会評議員たちが制定した生産計画を達成するのである。
「ネスティング」にはコツがいる。まず互換不可能な生産労働、消費労働があることを知り、それに対応する労働を事前に把握しておくことだ。トラック運転手の輸送労働が足りないときに、小説を作成する労働を充てることはできない。労働十二進法により、この2つは系統が異なるからだ。
逆にトラック運転手の輸送労働とタクシー運転手の代替運転労働ら互換出来る。どちらも系統を同じにしており、使用する消費物において共通するからだ。
ここまで考えて、「ネスティング」の面倒くささに改めて辟易するが、ビッグ・マムの栄光のためには必要なことだ。
心を無にして、労働、労働。
「お疲れ様でぇーす」
窓口応対課フロアの殺伐とした空気に似合わない声が響く。
面倒事が増えた。
元気な挨拶とともに白いワイシャツの袖をまくり、まだ日に焼けていない腕を見せる彼は私のデスク横の同僚、オオツカである。
「お疲れ様です」
心を無にした私がオオツカに自動操業で挨拶を返す。
「ナナミさん! おつでーす。」
「今週の食肉配給は問題なく終えられましたか?」
「ええ、もちろんっすよ、ご年配の方の食肉消費労働量がフクキ町、ハソン町、コサク市を中心に高まりつつあるんで、鶏か豚かのどっちかで「言い訳」作って、ネスティングする必要があるかもですけど」
「それに関しては私も注視していましたので、ちょうどネスティングしているところです」
オオツカ・ケイ。23歳。
名門の「区域N大学」卒である彼は自由思想派の主導的存在であるクラリス教授のもとで学んでいたが、自由思想派としては珍しくオースタニア議会にすすんで貢献していきたいと大学卒業と同時に入会した。
私はオオツカが非常に苦手である。
彼は仕事ができないわけではない。むしろ、入会間もない経歴にしては優秀な仕事ぶりで、特に外回りでの「言い訳」の作成量が膨大で、生産計画を絶対視する区域庁にとっては、なくてはならない存在になりつつある。
だが、そんな彼にも(私だけが思っているだけかもしれないが)欠点がある。
彼は異様に人との距離感が近い。
彼が窓口応対課に配属された日。彼は私の個人情報を言葉巧みに誘導し、聞き出そうとするし、書面を見ながらの説明の際も私の頭と彼の頭の間が目薬一本分の距離しか開けないし、初めての「言い訳」の案件では独断専行で行動し、対象人物と飲み仲間になっているなど、とにかく、ありとあらゆる点において、彼は踏み込まないであろうところにまで、他人に踏み込む。
そういうところが予定調和で物事が進む美しさを重視し、個人など些少な問題に過ぎないと考える私に苦手意識をうませる。
とはいえ仕事である。
彼に悪気があるわけではないのだろう。これもすべて、ビッグ・マムの予定通りである。きっとそうである。
「そういえば、先ほど、来てた男、やっぱり更正院送りです?」
「ええ、そうですが。何かありましたか?」
「いやぁ、実は言うと、外回り案件の「言い訳」で彼を必要としていましてね」
前言撤回。何故、事前に言わない。
だが、疑問がある。
「その当時、「評議室へ案内」のメッセージがモニターで確認できましたので、活動調整で彼を利用する「言い訳」はそもそも発案されていないのではないですか?」
「言い訳」は好き勝手には作れない、ビッグ・マムがすべてを決める。そこに誤りはない。
「ええー、いやぁ、でも、あ!ほら!これですこれ!」
手渡された発案書には「イヴァン・ジャブロンカ」の名前があった。
疑問と解決が浮かび、それを口にした
「同性同名の方が他に?」
「いや、出生番号をみてください」
「……確かに私が応対した人物の出生番号と同じですね。であれば、モニターのメッセージは?」
私の担当する窓口に向かい、モニターを起動する。
通知履歴を漁る。メッセージは確かにあった。となると、考えられるのは……。
「外部から何者かが機関ネットに侵入した可能性があります」
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