ちょっと気持ちわかるね
「起きて。
起きて、相楽さん」
誰かに何度も呼ばれ、瑞希は目を覚ました。
まだ暗いよ、と思ったのだが、家のカーテンとは違う、立派な遮光カーテンが閉まっているせいだった。
「起きてよ、早く。
ご飯食べに行くよ」
見ると、既に身支度を済ませた朝日がベッドに腰掛けていた。
「食べに行くって何処に?」
と言いながら、起き上がったまま、ぼんやり座っていた。
「近くのホテルのバイキング」
「……なんで?」
とようやく振り返る。
「いろいろ食べられるから」
いや、そりゃそうだけど。
「朝から野菜とか切るの面倒じゃない。
あそこなら、なんでもあるから」
そりゃそうだけど、泊まらずに食べたら、かなり高いよね? と思ったのだが、
「奢ってあげるから、ほら、早くして。
会社遅れるよ」
と急かされる。
「あー、そうだそうだ、会社。
なんか昨日からいろいろあったから、勝手に休日な気持ちだった」
了弥に怒られるところだった、と思いながら、
「ありがとう、佐藤くん」
と言うと、
「朝日」
と朝日は言った。
「朝日でいい。
ちょっと今、急激に名字が嫌いになったから」
とよくわからないことを言う。
「じゃあ、朝日くん。
私も瑞希でいいわ」
「嫌だよ、君は相楽さんだよ」
「なんで?」
「相楽さんにしときたいから」
さあ、行こう、と手を引きかけ、朝日は何故かやめた。
「ほら、早くして。
ご飯食べたら、服買ってあげるから」
と言ってくる。
「え、なんで?」
「そのまま行く気?
家帰ってる時間ないでしょ」
と寝乱れたスーツを見て言う。
いや……服買ってる時間の方がない気がするんですが、と思っていると、
「嫌だって言うんなら、うちのおばあちゃんの昔の服着せるよ」
とよくわからない脅しをかけてくる。
そもそも、おばあちゃんの服が此処にあるのか? と思っているうちに、車に乗せられ、連れて行かれた。
朝日に連れて行かれたのは、案の定、ビジネスホテルの朝食などではなかった。
駅近くの大きなホテルで、早くから開いている店に連れて行かれて、服を買われて、着替えさせられ、スカイラウンジのバイキングに連れて行かれた。
なんだかこう、なすがままだな、とガラス張りのエレベーターから、あまり下を見ないようにして、外を見ながら瑞希は思う。
朝日はエレベーターでは沈黙し、スマホを一人、チェックしていた。
「あのー、洋服代、返すから」
と話しかけると、即行、
「いらない」
と言う。
「でも……」
「いらないって言ったらいらないよ」
「だって、私がおにいちゃんに払ってる家賃の三倍だよ、この服」
と言うと、朝日はそこで初めて笑い、
「身内なのに、結構取ってるんだね、家賃」
と言う。
そうなのだ。
親は、家は住まないと傷むから住んでもらった方がいいんだから、タダにしてやりなさいよと言ってくれたのだが、おにいちゃんには容赦なく踏んだくられている。
お義姉さんがこっそり、
『瑞希は浮いた家賃を貯めておこうなんて人間じゃないから、自分が貯めておいて、結婚するときに渡すって言ってたわよ』
と教えてくれたのだが。
……どうだろうかな、と思っている。
そう義姉には言っておいて、実際に渡してくれるときには、何割か取りそうだ、あの兄は。
それにしても、壁一面にバーカとか書かれなくてよかった、と思う。
兄に修繕費として、幾ら取られるかわかったもんじゃないからだ。
スカイラウンジに入るまで、あんまり食べる時間もないのに、こんな高いところもったいないなあ、と思っていた瑞希だが、中に一歩入った途端、朝日に言っていた。
「佐藤くん、私、今日、会社休むわ」
はい? と朝日が振り向く。
いつも旅行で泊まったときに食べる朝食バイキングもそう悪くないのだが。
此処は、種類も見た目も全然違う。
「もう仕事行かない。
此処に座ってゆっくり食べる」
とりあえず、あのパンを端から制覇して、壺に入ったスープを全制覇して、ふわとろオムレツとスクランブルエッグを両方作ってもらって。
それからそれから……。
「どんなに頑張っても君のお腹には全部収まりそうにないけどね。
それから、佐藤くんはやめてって言ったでしょ」
と言う彼と一緒に案内された窓際のテーブルに座る。
「全部食べられないのはわかってるわ。
でも、なんかもう、見てるだけで幸せなの。
あのチーズとか」
自分で好きなだけ切れるようになっているチーズの塊が何種類も木の器に盛ってある。
「私、此処に住むわ」
と宣言すると、
「住んだら?」
と笑って、朝日は立ち上がる。
「僕はお粥にするけど、相楽さんは?」
一緒に取ってきてあげようか? と訊いてくれる。
「大丈夫。
私はやっぱり、パンにする」
行ってきますっ、と張り切って立ち上がると笑っていた。
「あー、今日は朝から幸せだった。
紅茶も美味しかったなー。
あのブランドの紅茶、ああいう普通の紅茶も美味しいのね」
今度買おうっと、と朝日の車で機嫌よく言うと、
「……なんか、普通の朝だね」
と朝日は言ってくる。
「え? 全然普通じゃないよ。
最高だよ。
朝から、たっぷり食べられて」
いや、そうじゃなくて、と朝日は言う。
「絶対、今朝は君に罵られると覚悟してたんだ。
君から電話があったときから。
それがなんでこうなるわけ?」
「なにか罵られるようなことする予定だったの?
ああ、薬盛られたか……」
でもよく考えれば、ぐっすり眠れた以外に実害もないし。
いや、待て。
キスされたんだったな、そういえば、と今頃になって思い出す。
やはり、薬の影響でぼんやりしていたのかもしれない。
「どうしよう。
急に佐藤くんをはっ倒したくなってきた」
朝日だってば、と訂正したあとで、
「やれば? 今。
車ぶつかるかもしれないけど」
と言ってくる。
「降りてからよ」
「会社の前で車から降りて、僕を殴るの?
さぞかし、話題の人になるだろうね。
っていうか、了弥も見るんじゃないの、それ」
そうだ。
了弥に結局、なにも言わずに、外泊してしまった。
昨日は連絡できる雰囲気じゃなかったし。
まーずーいー。
人様のおうちにお邪魔させていただいている分際で、無断外泊とか。
成敗されてしまうっと思っているこちらの顔色を見て、朝日は笑う。
「どうしたの?
幸せな朝から、一転、真っ青な朝になってるよ」
「なに楽しそうなのよ。
朝日くんも謝まってよ、一緒に」
「誰に?
まさか了弥に?
頭おかしいの?
百歩譲って、君には謝ってもいいけど。
了弥には絶対嫌だよ」
待て。
私に謝るのに、百歩も譲らないと謝れないのか。
神様、やっぱり、この人おかしいです、と思っていると、朝日は話題を変える。
「そういえば、相楽さんは、あんまり和食は食べなかったけど、好きじゃないの?」
「ううん。
和食バイキングも好きだけど。
今日はパンが美味しそうだったから」
と言うと、
「そうなんだ?
和食だけの美味しいところがあるんだよ。
今度……」
と言いかけやめる。
「なに?」
と言うと、いや、やめとく、と言う。
「言ったじゃない。
僕、女の子にのめり込むの嫌なんだよね」
「……今の話題、朝食バイキングだよね。
朝食バイキングにのめり込んでるって話なんじゃないの? それ」
と言うと、朝日は、はあ~? という顔をしたあとで、
「ほんっとうに相楽さんは困った人だね。
わかったわかった。
了弥の気持ちがちょっとわかったよ」
と言ってくる。
なんなんだ……。
「ミイラ取りがミイラにならないうちに君に近づくのはやめとくけど、でも。
これは没収ね」
と赤になったところで、瑞希のキーケースから、予備と書かれたプレートのついたキーを外す。
「あっ、いつの間にっ。
てか、なんでっ?」
「いや、なんかいろいろ腹立ってきたから。
僕が振り回されただけじゃん、結局」
そういえば、結局、豪華な朝食奢ってもらって、服まで買ってもらったな、と思う。
それも自分じゃ、素敵だなーとショーウインドウを眺めて通り過ぎるだけのような高い服を。
「謝まってよ」
「いや、さすがにそれはなんか違うと思う」
と揉めている間に会社の前に着いた。
「ちょ、ちょっと、真ん前に乗りつけるのは……」
誰が見てるかわからないのに、と慌てると、
「いいじゃない、別に。
君は彼氏も居ないし、独身だし。
なにも問題ないじゃん」
とさらっとグサッと来ることを言ってくる。
最後の最後でトドメを刺してくるな、もう~と思いながら、
「鍵、今度返してね。
まあ、さと……朝日くんが持ってるのなら、安心だけど」
と言うと、
「なんで?」
と言う。
「だって、知らない人が持ってたら怖いけど、知ってる人なら大丈夫じゃない」
もう家に戻ろうかな、と呟くと、朝日は呆れたように、
「あのね、相楽さん。
知ってる人の方が危ないときもあるんだよ。
君はもうちょっと人を疑った方がいいよ。
了弥も神田も疑いなよ。
二人になにかされそうになったら、連絡して」
防犯ブザーをあげようか、と言ってくる。
いいや、危ない人ランキングで言えば、朝日、神田、了弥の順なのだが。
何故、危ない張本人がブザーを持てとか言うのやら。
誰を呼べと言うのか、と思いながら、訊いてみる。
「ねえ、もう一度、確認してみるんだけど。
なんで朝日くんが鍵持ってたの」
「君がくれたんだってば」
「またそんな……」
「君のマンション、防犯カメラがあるよね」
どきりとしていた。
その事実から、ずっと目を背けていたからだ。
「確認して。
行ったときは覚えてないけど、帰りは覚えてるんだ。
ロビーを通った時間。
タクシー捕まるかな、と思って時計見たから。
早く確認しないと、録画データ消えちゃうよ。
そんなに長くは取ってないだろうから」
2時15分だよ、と朝日は言った。
「彼氏がロビーで鍵を落とした気がすると言ってるんで、その時間の辺りだけ、ピンポイントで見せてくださいって、管理人か警備会社に言ったら、見せてくれるよ」
そう教えてくれる。
確かにそう言えば、見せてくれそうだと思いながら、見たくないなあとも思っていた。
いや、確認したいのは確かなのだが。
いざ、本当に目の前にその事実が突きつけられるかと思うと、なかなか心構えができてこない。
そこに映っているのが朝日でも、そうじゃなくても。
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