絶交だよ


「あーあ、潰しちゃって」


 カウンターに伏せてしまった瑞希を見て、香月が言う。


「いやあ、潰すつもりはなかったんだけどね」

と言うと、香月はこちらを睨んで、


「彼女、お酒弱い?」

と確認するように訊いてきた。


「さあ? 弱いんじゃない?」

と笑うと、ほんとに? と言う。


「……なに疑ってるんだよ」


「了弥に電話する。

 迎えに来てもらえ」

と香月は言ってくる。


「いや、僕が送るよ」

「朝日」


「余計なこと言うと、絶交だよ」

と言うと、いや、お前、絶交って……、と香月は言う。


「子どもか」


「なに相楽さんみたいなこと言ってるんだよ。

 タクシー呼んで。


 それから、僕、相楽さん、背負うから、乗せてよ」


 手を貸せ、と言うと、渋々、瑞希を背中に乗せてくれた。


「う、重いなー」


「酔ってたり寝てたりすると、軽い女性でも重たいよ。

 諦めて、了弥を呼べ」

と香月は溜息をつく。


「やだね。

 今日は絶対、僕が相楽さんを持って帰る」


 なにか言いかける香月に、

「心配しないで。


 相楽さんにはなにもしないよ。

 彼女が同意しない限り。


 痛い目見せたいのは、了弥だけだから」

と言うと、いや、それもどうなんだ、という目で、香月は見ていた。


「お前、それ、逆恨み……」


「うるさいな。

 釣りはいらないよ」

と代金より一万多く置いていこうとするが、


「この程度の金で犯罪の片棒を担ぐのなんて嫌だね」

とポケットに金をねじ込んでくる。


「うちのおばあちゃんもお前のファンなんだよ。

 あんまりおかしなことしてくれるなよ」


「おかしなことなんかしないったら」


「そうかな?

 お前、結構、その子気に入ってない?」


「だったら、尚更しないよ」


 なんで? と問われる。


「なんで? お前の方がおかしいよ。

 了弥並みにおかしいよ。


 じゃあねっ」


「おい、タクシーまだ来てないぞ」


「うるさいっ。

 説教野郎とこれ以上なにも話したくないから。


 了弥にも神田にもなにも言うなよ。

 言ったら」


「言ったら?」


「お前の人のいいばあちゃんに、お前の学生時代の悪行、全部バラすっ」

と脅しになるんだかならないんだかわからないことを言った。


「あのばあさん、きっと、菓子折り持って、女の子たちに謝って歩くんだろうな……」

と呟きながら、戸口に向かうと、わかったわかった、とばあちゃんっ子の香月は溜息をつきながら言い、ドアを開けてくれた。


 別れ際、

「信じてるぞ、朝日」

と目を見て言われたが、いや、まず、お前自身が女の子に誠実になってから言えよ、と思う。


 だが、揉めるのも嫌だったので、

「わかってるよ」

とだけ言って店を出た。




 こちらを気にしてはいたが、この時間は店を任されているので、香月は仕事に戻ったようだった。


 タクシーはまだ来ていない。


 確かに重い。

 瑞希と言えども。


「相楽さん、相楽さん」


 起こしてはまずいと思いながらも、落とすわけにはいかないので、呼びかける。


「ごめん。

 せめて、首に手を回して、体重、背中にかけてくれないかな?


 ……うっ。


 違うっ。

 首絞めるんじゃなくてっ」


 起きてんじゃないだろうな、と思いながら言った。


 うんうん、ごめんごめん、となにがごめんなんだか、瑞希は謝っている。


 条件反射か?


 また、すぐに気持ちの良さそうな寝息が聞こえ始めた。


 その温かさを首筋に感じて、ちょっと微笑む。


 店の前の公園のベンチには酔っ払いが寝ているが、今日は騒いでいる学生もおらず、静かなものだった。


 公園の木々の上、ビルの谷間に見える低い月を見ながら、

「相楽さん、月、綺麗だよ」

と思わず言うと、


「……そうだねー」

と絶対見てもいないのに、言ってきた。


 適当だなーと思いながらも、その適当さがなんだか今は、心地よかった。


 重いから早く降ろしたいと思っていたはずなのに、こちらに向かってくるタクシーの灯りを見たとき、少し残念に感じている自分が居た。

 



 なんか爆睡してた、と思いながら、瑞希は目を覚ました。


 暗い部屋の中、横だけに灯りがある。


 なんだろう。

 隣が妙にあったかいけど、と思いながら、横を向くと、スタンドの灯りで、朝日が本を読んでいた。


 へっ? と思い、そちらを見たが、朝日は、本を読みふけっていて、こちらに気づかない。


「あのー……佐藤くん?」


 なんで、同じベッドに寝てるの? と思った。


 あのベッドだが、今度は瑞希も服をちゃんと着ていた。


「あー、起きたんだ?」

と振り返りもせず、朝日は言う。


「今度は、カプチーノが効いちゃったのかな?」

と言うので、


「ええっ? またなんか呑ませた?」

と言うと、うん、と悪びれもせず言ってきた。


「君がトイレに立った隙に、水割りに入れたの。

 普段呑まないから、味が違っててもわからなかったでしょ」

と言う。


「……今、時間が戻ったのかと思った」


 さっきと同じ光景だったからだ、と思い言うと、朝日は笑う。


「君も懲りないし、僕も懲りないからだよ。


 言ったじゃない。

 君は人を信じすぎだし、僕はいい人じゃなさすぎだし」


 そこで、ようやく、キリがついたのか、本を閉じた。


「ところで、これ、貸してよ」

とその本を見せて言う。


「あ、やっぱ、それ、私の本?」


 勝手に鞄を開けたな? と睨むと、朝日は、

「忘れないうちに鍵を返しておいてあげようと思ったんだよ。

 君のキーケースにつけておいた」


 あとで確認して、と言う。


 あとと言わずに今確認しよう、とベッドから出ようとしたが、腕をつかまれる。


「誰が此処から出ていいって言ったの?」

「なんで、私が佐藤くんの命令聞かなきゃいけないの?」


「意識がないのに、なにもしなかったんだよ、二度も」


 感謝してよ、と朝日は言う。


 いやいやいや。

 そもそも、それ、貴方が薬を飲ませたからだよね、と思った。


「まあ、僕、基本、君みたいな人には手は出さないんだけどね。


 好きにしてくださいって言う子は好きにしていい。

 好きですって言ってくる子も好きにしていいって思ってるんだけど」


 いや……そのどれも良くはない気が……。


 相楽さん、と朝日は腕をつかんだまま言う。


「君が目を覚ますまで待ってたんだよ。

 知らない間にっていうのは可哀想かなって思って」


 いやいやいや。

 知らない間も知ってる間も嫌だとも。


 スマホでも鳴らないだろうか、と視線を巡らす。


「無理」

と朝日は言った。


「君のスマホ、切ってるから。

 僕のは残念ながら切ってないけど。


 急患出たら困るから」


 へえ、と思った。


 やっぱり、お医者様だな、と。


「此処で今、自分が助かりたいがために、急患出ないかなとか思ったら、君の方が鬼だよね」


「なんでそう、さりげなく、こっちが加害者みたいな感じにするの……?」


「加害者だからだよ。

 ……君がじゃないけどね」

と言った朝日が瑞希の腰の横に手をつき、キスしてくる。


「いいって言ってよ、相楽さん」


 いや、なにを?


「僕、さっき、香月に誓っちゃったから。

 君がいいって言わない限り、手を出さないって」


 ……妙なところで真面目だな、この人、と思った。


「いや、それを言うなら、キスするのはいいわけ?」


「キスしないとまでは言ってないよ。

 それくらいは許してよ。


 薬だって、ちゃんと時間空けて飲ませてあげたのに」


 いや、それ、感謝するところですか?


 神様、この人、おかしいです、と思ったとき、スマホが鳴った。


 朝日のだ。


 朝日が舌打ちをする。


 おいおい、急患に舌打ちとかしちゃいけないんじゃないの、と思ったが、どうやら、違う電話だったようだ。


『もしもし、朝日か』

とよく通る声が聞こえてくる。


「香月~っ」


『電話しないとは言ってない』


 ……似てるな、この二人、と思った。


「僕が急患かと思って出るのはわかってただろっ」


 あっ、相楽さんっ、とこちらを振り返って言う。


 瑞希は机の上にあった鞄からスマホを取り出す。


 さっと電源を入れた途端に鳴り出した。


 了弥かと身構えたが、未里だった。


 朝日は、まだ香月と揉めている。


「もしもし?」

と出ると、


『もしもし、瑞希?

 夜中にごめん~』

と言ってくる。


『どうしても気になってさ。

 佐藤朝日と連絡とってないよね?』


 いや、今、ベッドの上に居るけど、と腰掛けて電話している彼を振り返る。


『……私ね、昔、ちょっとだけ、佐藤くんと付き合ってたことがあるんだ』


 未里は声をひそめて、そう言ってくる。


 はい? と思った。


 そして、気付く。

 この間は、旦那が側に居たようだから言えなかったんだな、と。


『コンパやったときに、友達と来たのよ。


 あれっ、佐藤くんじゃんって、ちょっと盛り上がって、少しだけ付き合ったんだけど』


 顔もいいし、頭もいいけど、あの人おかしいよ、と言ってくる。


 ええ。

 それは今、実感してますよ、と朝日の声が聞こえないよう、少し彼から遠ざかりながら瑞希は思っていた。


『これ以上、僕の自由を阻害したら殺すって言われたんだよ。

 変だよ、あの人』


 ……変だよね? と思ったとき、朝日がこちらを振り向き、言った。


「相楽さんっ、誰と話してるの?」


『えっ? 今の誰っ?』


「か、会社の人っ。

 飲み会で移動中なのっ」

と言い訳したが、はっきり聞こえていたら、バレているかもしれないと思った。


 隠さずに、助けを求めるべきだったかもしれないが。


 なんでだろう。


 何故だか、朝日をかばってしまっていた。


「明日、また電話するから、ゆっくり聞かせてね」


 あ、うん、という未里はなにやら不安そうだった。




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