大人の店だな……


 うっ。

 大人の店だ……。


 瑞希はその店を一歩入ったところで立ち止まる。


 壁には洒落た酒瓶がずらっと並んでいるし、店内の照明は薄暗く、客層も落ち着いている。


 いつもみんなで騒いで呑むような店とは全然違う。


 こういう雰囲気の店は、忘年会のあと、上司に連れられて、みんなで行ったくらいだ。


「帰りたそう」

とこちらを見て、朝日が笑う。


 余裕の朝日を見上げ、さっきまで、ファミレスでお子様メニュー満足そうに食べてたくせに~、と恨みがましく睨んでしまう。


 カウンター席に着くと、如何にも夜の街の男といった感じのバーテンダーが微笑んで、

「佐藤先生、今日の彼女、可愛いね」

と言ってくる。


「今日の彼女とか言うなよ」

と朝日が素っ気なく言う。


「こいつは、香月司こうづき つかさ、大学のサークルで一緒だったんだ」

と朝日は彼を手で示す。


「えっ? そうなんですか?」


「此処でバイトしててそのまま居ついちゃったんだ」


 佐藤くんの大学って何処だっけ?


 たぶん、どっかいいとこだろうに。

 親御さんは、なにも言わなかったんだろうかな、と余計なことを考えてしまう。


「ねえ、相楽さんは、お酒、なにが好き?」

と後ろの棚を見ながら朝日が訊いてきた。


「いや、私は、こういうお店はあんまり来たことないし。

 よくわからないんだけど。


 普段は、安いワインとかしか呑まないし」

と言うと、


「ふーん。

 じゃあ、どんなお酒が嫌い?」

と訊いてくる。


「あー、水割りとかかな。

 味も良くわからないし」

と顔をしかめると、


「じゃあ、水割りで」

と言う朝日に、香月は、おいおい、という顔をする。


「いや、この相楽さんはこう見えて悪い子なんだよ。

 ちょっと、おしおきしなきゃ帰す気にならないから。


 それ呑んだら、帰っていいよ」

と笑顔もなく言ってくるが、今日最初に会ったときより、ずいぶん表情は柔らかかった。


 えーっ、と言いながら、まあ、それで鍵も返してもらえるのなら、と思っていた。


 あの日は酔ったが、本来、そんなに酒に弱い方でもない。


 でも、一応、呑む前に、了弥に連絡を入れておこうかな、とチラと思ったのだが。


 今、何処でなにをしていると言えばいいのか思いつかなかったので、やめておいた。


 香月と話しながら、苦手な水割りをちょびちょびと呑む。


「香月、大学の話はなしだよ」


 そう朝日は彼に向かい言った。


「お前、いきなり、僕のしょうもない失敗談とか話し出すから」


 一拍置いて、はいはい、と香月は笑う。


「いいじゃない。

 女の子は完璧な男より、ちょっと駄目な男の方が好きなんだよ」


 ねえ、とこちらを見て言うが、いやあ、佐藤くんの場合、駄目な男って言うより、ヤバイ男のような気が……と思っていた。


「美味しい? 相楽さん」

と問うてきた朝日に、


「……美味しくない」

と答える。


 香月には悪いと思ったが、朝日に訴えるように顔をしかめて、そう言った。


 だが、朝日は楽しそうに笑っているだけだ。


 本当に困った人だ、と思いながら、

「あのお手洗い何処ですか?」

と香月に訊く。


「そっちですよ」

と薄暗い店内の更に暗い隅の方を香月は示す。


 ちょっと怖い、と思いながらも、まさか付いてきてもらうわけにも行かないので、一人で行った。


 昔から、どうも水割りを呑むと、トイレが近くなっていけない。




 暗がりを怖そうに見つめたあとで、瑞希は覚悟を決めたように、立ち上がり、そちらに行った。


 それを見ながら朝日は笑う。


 扉が閉まったあとで言った。


「確か、水割り呑むと、トイレが近くなるって言ってたんだよね」

と同窓会の夜に聞いたことを呟くと、


「朝日、ああいう子はやめといた方が」

と香月がたしなめるように言ってくる。


「別に悪いことしようってんじゃないよ」

と笑うと、


「お前が悪いことしようってんじゃなく、此処に女の子を連れてきたことないと思うが?」

と上目遣いに窺いながら言ってきた。


「俺は犯罪の片棒担ぐの、嫌だからな」


「わかってるよ。

 僕も、相楽さんのことは嫌いじゃないしね。


 でも、相楽さんってさ。

 了弥が好きな子なんだよ、知ってた?」


 え、という顔を一瞬したあとで、

「そうか。

 それで大学の話はするなと言ったのか」

と香月は言った。


「あの話をするなって意味じゃないよ。

 相楽さんはたぶん、僕と神田と了弥が同じ大学だってことも知らないんだ。


 神田も進んで当時の話、したがらないだろうからね」


「お前、了弥を恨んでるのかもしれないけど、あの子には関係ないだろ?」


「……恨んでる、か。

 恨んではない気がする」


 大真面目に考えてみたあとで、朝日は言った。


「自分でもよくわからないんだよね。

 ああ、ほら、客が呼んでるよ」

と香月を追い払う。


 香月はまだ振り返りながらだが、そちらに行った。


 まあ、香月のことだから、了弥に連絡するとか、そういう無粋な真似はしないだろうが、と思う。


 香月は、職業柄なのか、いつも中立に立って見守っている感じだから。


 瑞希が戻ってくるまで、少し時間があったし、話の長い客だったらしく、香月も戻っては来なかった。


 ちらと瑞希の鞄を見る。


 相楽さんは、スマホの電源を落としておいたのに気付いてないみたいだし。


 どのみち、今、此処に居ることを了弥には言えないだろう。


 そう思っていたとき、瑞希がトイレから出てきた。


 笑いかけ、

「あとちょっとで無くなるね」

とグラスを見て言うと、


「うんっ。

 頑張ったっ」

と拳を作って言う。


 はは。可愛いな、と珍しく素直に思い、笑った。


 ほんと、君にはなんの恨みもないんだけどさ。


「じゃあ、もう一杯呑んだら終わりね」

と言うと、瑞希は、ええーっ、と声を上げる。


「……誰が一杯でいいって言った?」

と睨んでやると、


「確かに言ってませんけど~。

 でも、佐藤くんってさー。

 顔、超可愛いのに、睨むと怖いよねー」

と愚痴り始める。


 ずいぶん酒が回ってきたようだな、と思う。


 そんなに弱くはないようだが、あまり呑まない酒だからだろう。


 あの日も、ちゃんぽんにしなければ、酔わなかったはずだ。


 いや、気を抜いてたからかもしれないな、と思う。


「僕ねえ、可愛いって言われるの、嫌いなんだよね」


「だって、可愛いもん。

 私より絶対可愛い」

と主張してくる瑞希に、


「それはそうかもね」

と言ってやると、ええーっ、という顔をする。


 自分が言ったくせに、と笑った。


 こっちが笑いながら揉めているのを見て、香月は少し、ほっとしているようだった。


 そのまま、少し普通にしゃべる。


「鍵はね、相楽さんが僕に握らせて。


 いつでも来て。

 とりあえず、今夜来てって言ったんだよ」


「もう~っ。

 酔ってたって、私がそんなこと言うわけないじゃないっ」


 佐藤くんの話、何処までほんとかわかんない、と瑞希が、また言う。


 しゃべると喉が乾くのか、彼女は苦手なはずの水割りをちゃんと二杯目も呑んでいた。


「……全部ほんとだよ。


 そうだよね。

 君の同意なしなんて、犯罪だもんね。


 そんなことしたら、さぞかし、胸が痛むことだろうね」


 うん? と瑞希がこちらを見る。





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