全部、ほんとうだよ



「瑞希?」


 了弥は真っ暗な家に灯りをつける。


 何処行ったんだ、あの莫迦女、と思いながら。


 早くに帰ったはずなのに。

 まあ、またなにやら怪しい動きを見せていたからな。


 それにしても、なんで、俺にはなにも言わないんだ、と思いながら、荷物だけ、瑞希のお気に入りのソファに投げ、彼女のスマホに電話したが、出なかった。


 いや、出ない、というより電源が落ちているようだった。


 電池切れか?

 それか、山とか地下に居るとか?


 いや、今どき、スマホが通じない地下なんてあるか?


 なにかこう……


 そこはかとなく、嫌な予感が、と思いながら、神田にかける。


 だが、神田も出なかった。


 まさか、一緒なんじゃないだろうな、と思い、神田の職場にかけてみようかと一瞬思ったが、それもどうかと思い、思いとどまる。


 どうしたもんかな、と思いながら、ソファに腰を下ろした。


 カーテンが開いたままの大きな窓から木々が風に揺れるのをぼんやり眺める。



 


 ところで、バレてるよね? と朝日は訊いてきた。


 いや、さすがに気づいた。

 思ったより時間も経ってなかったし。


「佐藤くん、私になんにもしてないよね?」


 口ではひどいことを言っていたが、目を覚ましたあと、キスするのでさえ、迷っていた。


 朝日は溜息をつき、

「まあ、バレるかなーとは思ったんだけど。

 途中まで脱がせたあと、迷ってる間に、君、目を覚ましちゃったから」

と言ってくる。


「珈琲飲んだからだよ。

 私、珈琲飲むと、しばらく眠れないの」


「そりゃ、失敗だったね。

 匂いが強い飲み物の方がバレなくていいんだけどね」


 次は失敗しないようにするよ」

と言うので、いや、次はなくていい、と思っていた。


「佐藤くん、いつもそんなことやってるの?」


「やるわけないじゃん。

 僕、そんなに女の子に不自由してないし」


 まあ、そりゃそうか……。


「でも、向こうから言ってくる子には、ひどいこと出来ても、君みたいな人にはちょっとね」

と朝日は言う。


 いや、それもどうなんだ、と思う発言だった。


「ねえ、佐藤くん。

 なんで、あんなことしたの?」


「言ったじゃない。

 君が僕を騙したからだよ。


 僕と結婚してくれるって言ったのに、ケロッと忘れてるから」


「いやあの、全然私と結婚したいように見えないんだけど」


 そのとき、鉄板に載ってハンバーグがやってきた。


「佐藤くん、目玉焼き、半分あげようか」


「じゃあ、ポテトサラダあげるよ」

とお互い満足な物々交換が終わる。


「意外に美味しいね、ファミレス」

と言う朝日に、


「ファミレスがじゃなくて、此処のファミレスが美味しいんだよ」

とまるで自分の手柄であるかのように瑞希は言った。


「なに勝ち誇ってるの?」

と朝日が可笑しそうに笑う。


「いや、私、この系列のファミレス、結構好きなんだ」


 場は意外に和やかに進んでいるのだが。


 ……だが、しかし、訊かねばなるまいっ、と覚悟を決めた瑞希は、食後に、一口、紅茶を飲んだあとで、朝日に訊いた。


「あのー、なんで、佐藤くんがうちの鍵持ってたの?」

「君がくれたから」


 いや、もう貴方の言うことはなにも信じられないんですが、と思いながら、窺うように見ていると、朝日はフォークを置いて溜息をつく。


「嘘。

 拾ったの。


 君は鍵を落としただけ」


「えっ?

 じゃあ、バーカって書いたの、佐藤くんっ?」

と身を乗り出すと、はあ? と言われる。


 自宅のトイレのトイレットペーパーにバーカと書かれていた話をすると、朝日は笑い出した。


「なにそれ、僕じゃないよ」


「ええーっ。

 でも、うちの鍵持ってるの、佐藤くんなんだよねっ?」


「そうだけど。

 そんな子どもみたいなことしないよ」


 だよねえ……。


「夢遊病なんじゃないの? 相楽さん」

とまで言い出した。


 私が寝ぼけて、マジックを探し出し、バーカ、と書いたとでも言うのか。


「いや、待って。

 誰かがそれ書いたのって、朝出てから、仕事終わって帰ってくるまでの間なんだけど」


「なんかのホラーみたいだね。

 家の中にそっとカメラ仕掛けときなよ。


 誰も居ないはずの昼間に、相楽さんちの押入れが開いて、包丁持った見知らぬ男が出てきたり、ソファの下から男が出てきたりするかもよ」


「……なんてこと言うのよ。

 ますます家に帰れなくなるじゃないの」


 朝日は、

「ああ、今、家に帰ってないんだ?

 鍵がなくなったから、怖くて?」


 じゃあ、今、何処に居るの? と訊いてくる。


「と、友だちの家」

と言うと、ふうん、と言ったあとで、


「まあ、そのトイレットペーパーの件はともかくとして、鍵は僕が持ってるよ。

 帰って大丈夫、という保障はできないけどね」

と言う。


「ねえ、結局、これって、どういう話なわけ?

 私が佐藤くんに落とした鍵を拾ってもらったって話?」


「違うよ。

 君が酔って、僕に結婚してあげるって言ったくせに、ケロッと忘れてるって話。


 僕は君の鍵を拾って、結婚しようって言う人の鍵だから、そのうち、連絡くれるだろうからと思って待ってたんだけど。


 いつまで待っても、君は、なんにも言ってこなかったって話でしょ?」


「待って。

 じゃあ、あの晩泊まっていったのは、誰なの?」


 この話を具体的にしたのは初めてだったと思うのだが、朝日は顔色ひとつ変えずに、

「だから、僕だよ」

と言ってきた。


「……佐藤くんだったら、朝まで居たんでしょ?

 鍵は何処で拾ったの?」


「君の部屋」

「それ、落ちてたって言わないんじゃない……?」


「そうかもね」


 瑞希は頭を抱えた。


「待って。

 佐藤くんの話、なにが本当かわかんないんだけど」

と訴えてみたのだが、朝日は笑い、


「そうだね。

 みんなそう言うよ」

と言う。


 神様、この人、なんなんですか。

 どうにかしてください~っ。


 いっそ、全部なかったことにして、今すぐ家に帰って、了弥と珈琲を飲みながら、DVDを見たい、と思ってしまった。


「大丈夫だよ、相楽さん。

 僕が君の家に泊まったのも、鍵を拾ったのも本当だよ」


 いやいや、大丈夫じゃないし。


 いやいやいや。

 拾ったって、それ、うちの床に落ちていたか、私のバッグの中に落ちていたって言う話じゃ……。


 落ちてないし、それっ!

と思ったとき、朝日が言った。


「相楽さんちの本棚には、枯れたエアープランツがあるよね」


 エアープランツ、どうやって枯らしたの? と訊かれる。


「うう。

 あれ、おにいちゃんのなんだけど。


 エアープランツだから大丈夫だと思って、放っておいたら、枯れちゃったの」


「いや、ある程度は水やらないとそりゃ枯れるよ。

 植物なんだから」

と朝日は言うが。


 いや、この場合、問題はそこではない。


 何故、彼が、誰にも話していないうえに、よく見なければわからない枯れたエアープランツの存在を知っているのかということだ。


「だから、あの晩、泊まってったの、僕なんだってば」

「またまた」


「なんで、またまたなの?」


「佐藤くん、モテるじゃない。

 別にうちになんか泊まらなくても」


「それは、相楽さんが結婚をエサに僕を誘い込んだから」


 嘘、弾みだよ、と朝日は言った。


「でも、結婚してくれるって言ったのは、ほんと。


 最近、一人暮らしが寂しくなってきたんだよねって言ったら、あっ、じゃあ、私が結婚してあげようかって言ったよ、笑いながら」


 ……だんだん話がリアルになってきましたよ。


 酔って、そう言うことはあるかもしれない、と思った。


 でも、それって、その場の勢いっていうか、ジョークっていうか。


 大抵の場合、そこで、みんなが、どっと笑って終わりってパターンなんじゃ……。


 それだけで、あそこまでのことをするのは、ちょっとおかしいような。


 まだ、隠している別の理由があるんじゃないかな、と思ったとき、

「まあいいよ」

と溜息をついて朝日が言った。


「正気の相楽さんは僕とは結婚する気はないようだから、鍵を返してそれで終わりってことで」


 なんだろう。

 薬まで飲まされたのに、私が極悪人のような気がしてきた……。


「鍵返してあげるから。

 せめて、もう一軒、呑みに行くの、付き合ってよね」

と軽く睨まれる。


 



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