此処は何処?

  

 なにか悪夢を見たな、と思いながら、目を覚ますと、側に立つ誰かが自分の顔を見ていた。


「おはよう。

 って、夜だけど」

と言ってくる。


 誰だ?

 この芸能人みたいな人、と一瞬、思ったあとで、瑞季は、はっとした。


 そうだ。

 佐藤くんっ、と飛び起きる。


「え……」


 此処、何処?


 見覚えのない寝室だった。

 片付いているようなそうでもないような。


 そう感じるのは、デスクの上や棚に雑多なものが飾られているからだ。


 ちょっと待って……。


 此処、何処?

 なんで、私、こんなところに?


 確か、真相を確かめようと思って、佐藤医院に行って、佐藤くんと話しながら、近くの彼のマンションまで、一緒に歩いていって。


 車の鍵忘れたから一緒に上まで上がってって言われて。


 あの同窓会の日の、私の記憶にない部分。


 クラスでいつもみんなを笑わせてくれていた戸田くんが宴会で披露した話を面白可笑しく再現してくれて。


『ちょっと着替えてくるから、これ飲んで待ってて』

 って言われて、淹れたての珈琲を渡されて。


 最近は了弥の美味しい珈琲を飲み慣れてるから、何処で飲んでもイマイチなんだけど、これはいい香りだなって思って。


 ……記憶がない。

 そこから先の。


「ごめんねー」

と全然、悪くもなさそうに朝日が言う。


「そんなに大量に入れたつもりはなかったんだけど。

 相楽さん、普段、薬飲まない人?」


 効きすぎだよ、とよくわからない文句を言ってくる。


「途中で目を覚ます計算だったのにな。

 最後まで寝てるんだもん」


 ……最後までって?


 なにかあまり……いろんなことを確かめたくないような。


「相楽さん、お腹空いた?

 なにか食べに行く?」


 出血大サービスだよ、と朝日は言った。


「こんなこと普段言わないんだからね。

 僕終わったら帰れって言うから」


 それはとんだ鬼畜だな、とまだ、ぼんやりしたまま思っていた。


 今にもファンサービスで手を振りそうなアイドル顔でこれか。


 未里が近づくなと言ったはずだ。


「僕を騙したから悪いんだよ」

と朝日は言う。


 可愛い顔が能面のようにつるんとして冷たく感じられて怖い。


 ベッドに手をつき、身を乗り出してきた朝日は唇にキスしかけてやめた。


 額に軽く唇で触れ、

「行こう。

 僕、お腹空いたから」


 何処でも君の行きたいところでいいよ、とそこだけやさしく言ってくる。


「君はちょっと人を信じすぎだね」


 そう言いながら、朝日は側の椅子にかけていた上着を取った。


 なんだろう、この状況。

 あんなうっかりな朝は二度とないと思っていたのに。


 でもなにか……。


 ちょっと気になる……と思っていると、朝日は、

「早くして、相楽さん」

と何故か急かしてくる。


「僕は出ててあげるから」

と言って、本当に部屋を出て行った。


 慌てて近くにあった鞄を取り、スマホで時間を確認する。


 まだそんなに時間は経っておらず、了弥からの着信もない。


 瑞希は少し考えた。

 しばらくして、ノックが聞こえる。


「相楽さん?」


 スマホを突っ込み、瑞希は、

「ごめん。

 もうちょっと待って」

と言った。





 服を着て、外に出ると、朝日はリビングのソファに座って、なにやら熱心にパンフレットを眺めていた。


 ……なに見てるんだ? この人、と思って近づくと、真横から覗かれて初めて気づいたようで、朝日は、うわっ、と声を上げた。


「ああ、ごめん。

 支度終わった?


 何処でもいいよ。

 何処行きたい?」

と訊いてくる。


 さっきはひどいことを言っていた気がするのに、なにか気を使っている風でもある。


「……ファミレス」


 はい? と朝日は言った。


「どっか近くのファミレスでいい。

 あんまり食欲ないし」

と言うと、


「本気?」

とパンフレットを閉じながら言ってくる。


「本気ってなんで?」


「いや、僕が何処でもいいから連れてってあげるって言うと、みんな遠慮なく高いところ言ってくるから」


 そう言う朝日に、瑞希は部屋を見回し、うーん。そりゃ、言うかもね、と呟いた。


 これだけリッチな部屋とか見せられたら。

 シックな色合いの落ち着いた部屋だが、なにもかもさりげなくお金がかかっていそうだ。


 その視線に気づいた朝日が立ち上がりながら言う。


「そんなにお金なんてないよ。

 ただ、貯金しないから。


 もらっただけ使ってるから、あるように見えるだけ」


 それは旦那にするには、困った人だろうな、と思いながら聞いていた。


「あと、この部屋には普通、女の子は入れないから。

 君で二人目」

と言う。


「じゃあ、行こうか」

と朝日はさっさと部屋を出て行こうとする。


 二人目ねえ。

 一人目は誰なんだ……? と思ったとき、渡瀬の言葉が頭をよぎった。


『いや、あんなことがあったからねえ。

 早く、朝日先生に彼女とか出来ればいいなと思ってたんだけど』


 チラと鞄の中のスマホを確認するのを朝日が振り返り見ている気がした。




 朝日のマンションのすぐ近くに、よく行くファミレスのチェーン店があった。


 最初はなんでファミレス? とか言っていた朝日だったが、実際にメニューを開くと、かなり迷っているようだった。


 食べるものがなくて、というのではなく、食べたいものがいろいろあって。


「佐藤くん、決まった?」

と訊くと、


「ちょっと待って」

と言う。


 大真面目な顔で熟考している。


 ちょっと笑いそうになった。


 それに気づいた朝日が、こちらを上目遣いに見て、

「相楽さんは、もう決まったの?」

と言うので、


「ああ、私、あんまり迷わないから」

と言うと、


「男らしいね」

と言われた。


「……なにで迷ってるの?」


「いや、パスタか、ハンバーグ。

 ハンバーグもね。


 このポテトサラダがついてるのにするか、目玉焼きが載ってるのにするか。

 悩むんだよ」


「佐藤くん、お子様メニューが好きなんだね」

と言うと、赤くなって、


「悪い?」

と睨んでくる。


「いや、別に悪くないよ。

 私もお子様メニュー好き。


 私は目玉焼きの載ったハンバーグにする」


「じゃあ、僕はポテトサラダのにしよう」

とメニューを閉じる。


 迷ってたパスタは恐らく、ナポリタンなんだろうな、と思いながら水を飲んだ。


 なんの薬を飲まされたんだか。

 ちょっと口が渇く、と思ったからだ。


 ロクな医者じゃないな、本当に……。


 ドリンクバーも注文したあと、朝日はこちらを見て物言いたげな顔をする。


「……相楽さんさあ」


 朝日は、その先の言葉を迷って、結局、口にしなかった。


「先に取りに行ってきなよ」

と言われ、うん、とドリンクバーに立つ。


 ちょっと迷って、カプチーノを取ってくると、

「珈琲は食後の方が身体にいいよ」

と言ってくる。


 さっき飲ませたくせに、と思いながら、おかげで助かったけど、とも思っていた。


「お医者様って、こういうときまで、健康にうるさいの?」

と言ったら、


「いや、なんか、注意するのが癖になっててさ」

と言う。


「神田とかもそうだよね。

 職業病」


 はは、と笑ったあとで、

「取ってきたら? 佐藤くん」

と言うと、立ち上がり、何故か珈琲を取ってきた。


「……今、私に駄目って言ったくせに」

とそれを見ながら言うと、


「君が珈琲のいい香りをさせるからだよ。

 それに、僕は自分の身体のことは考えたくないの」

と言ってくる。


「なに言ってるの。

 あんなにおばあちゃんたちに慕われてるんじゃない。


 先生が体調崩して入院したりしたら、おばあちゃんたちまで具合悪くなっちゃうわよ」


 朝日は頬杖をついて、煉瓦の仕切りの上の緑から他所を見ながら不満げに言う。


「相楽さんは、医者でも教師でもないのに、説教してくるよね」


「いや、別に説教じゃないけど。

 そんなことになったら、おばあちゃんや、心配している渡瀬さんたちが可哀想だと思うから」


「余計なお世話だよ」

と多少イラついたように言ったあとで、気まずそうにこちらを見て言う。


「……ところで、バレてるよね?」


 うん、とカプチーノを飲みながら瑞希は言った。





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