懐かしの(?)我が家
じゃあ、お仕事頑張って、と言って、瑞季たちは廊下に出た。
「ねえ、言われた通り、朝日のことは言わなかったけど、あれでいいの?」
と神田が言ってくる。
「だって、よくわからない話だし。
私が佐藤くんと最後に一緒に居たとか帰ったとか言ってる友だちも酔ってたかもしれないし。
まあ、佐藤くんに話を訊いて、それでなにもわからなかったら、もうそれで終わりにしようと思って」
「全部終わりにするってこと?
相手の男、わからないままでいいの?」
「そこまでやってわからなかったら、もういい。
……と思うことにした」
と言うと、そうだね、と神田は深く頷き、
「その話は、もうそこで吹っ切って。
新しい恋に向かって歩み出した方がいいよ」
と言ってくる。
「新しい恋って?」
と振り向くと、神田は自分を指差す。
ははは、と笑ったとき、
「あ、瑞季ちゃん」
と笙が現れた。
「誰それ、なに、その男?」
と訊いてきた。
神田は神田で、
「誰、この莫迦殿みたいな男」
と笙を指差し言う。
……莫迦殿。
「誰が莫迦殿だよ」
と笙が言い返している。
いや、莫迦殿っていうより、お公家さんみたいだと思うんだけど……。
いや、変な麻呂みたいなのじゃなくて、すっきりとした和風のイケメンっていうか。
初対面のはずなのに、二人は何故か揉め始める。
なんだろう。
生まれつき相性が悪いのだろうか、と思いながら、ぼんやり眺めていた。
瑞季は神田を連れて、自分のマンションに来ていた。
怖いから、という理由でついて来てもらったのだ。
「怖いって、自分ちでしょ?」
「だって、誰だか知らない人が鍵持ってるのに」
「君の初めての相手じゃない。
知らない人とか薄情だねえ」
初めての相手でしょ、とか言われても、トイレットペーパーに、バーカとか書いて逃げる男に恋慕の情など湧いては来ない。
誰だか知らないが、おのれっ、と思うだけだ。
一緒にエレベーターに乗りながら、
「でも、なくなった鍵、その男が持ってるとも限らないわけだから。
誰か知らない人が住んでたりしてね」
と神田は笑うが、笑えない。
確かに落としただけなら、その可能性もありうるからだ。
「まあ、誰か知らない浮浪者が住んでたとして、その男が、相楽さんの初めての男だって可能性もあるけど」
と神田がロクでもないことを言ってくる。
「あのねえ、なんで、同窓会に行ったのに、見知らぬ浮浪者と……」
と言いかけ、瑞季は止まった。
「そうよね。
同窓会の晩だったからって、相手がそのとき一緒に居た人とは限らないわけよね」
「そうだね。
飲屋街近くの公園でなにか漁ってた浮浪者の人かもしれないわけだし」
「だから、そこから離れてよ」
その可能性には思い至らなかったけど、同窓会が終わったあと、誰かと街でバッタリ出くわしたとかってこともあるかも、と思っていると、
「いや、同窓会の相手だよ」
と前を見たまま、神田が言ってくる。
え? と振り向いたが、
「ああ、着いたよ、相楽さん」
と神田は言う。
開いた扉から降りようとして、ん? と思った。
「そういえば……玄関フロアの監視カメラには録画されてるか。
私が誰と戻ってきたのか」
「じゃあ、管理人さんに訊いてみれば?
私が連れ込んだ男の人が知りたいから、録画データ見せてくださいって」
……やっぱ、やめとく、と言うと、わかっていたように、そう、と言う。
「管理人さんに素行の悪い娘だと知られるのが嫌なだけじゃなくて……」
誰が素行の悪い娘だ。
「真実を知るのが怖いんじゃないの? 相楽さん」
「そうかも」
と言いながら、部屋の鍵を開ける。
現に今も突っ込めないでいる。
今、神田がなにか知っているらしきことを言ったのに。
『いや、同窓会の相手だよ』
ドアを開けながら、
「武器にするのに、フライパンでも持ってくればよかったわ」
と言うと、
「中にはあるんじゃない?」
と神田が言う。
「じゃあ、私、中に入って、だあーっ、と取ってくるから、神田くん、此処で待ってて」
「いやいや、それ行ってる途中でやられるでしょ。
どう考えても」
「じゃ、一緒に行こうか。
手をつないで」
「えっ? 手?」
と赤くなった神田が、
「やっぱ、僕が先に行くよ」
と言い、
「いいわよ。
危ないから」
と瑞季が返す。
玄関先でなんだかんだと揉めていると、後ろで声がした。
「いいから行け。
莫迦どもがっ」
振り返ると、了弥が立っていた。
「えっ、了弥。
仕事は?」
高速で終わらせてきた、と言う。
「またお前らが阿呆なことしでかすんじゃないかと思って気になって」
ミスして降格されたら、どうしてくれる、と言ってくる。
「危ないなあ、相楽さん。
引っ越しなよ、このマンション。
危険な奴が簡単にこんなとこまで入ってこれてるじゃない」
と神田は了弥を指差す。
「い、いや、此処お兄ちゃんのとこだし。
お兄ちゃん、中古のリフォームされたの買ったから。
最近のマンションほど警備がしっかりしてなくて」
「なに二人して、俺を変質者扱いしてるんだ。
瑞季、なにしに此処に来た」
「肉を取りに来たのよ」
肉? と了弥が訊いてくる。
「此処にお母さんが送ってくれた高級牛肉が冷凍してあるのよ」
「……それ、どうするつもりだ」
「肉じゃが作るのに決まってるじゃない」
「高級牛肉でかっ」
「昔、間違って、すっごい高い肉で作ったら、めちゃめちゃ美味しかったのよ」
と力説したが、神田にまで、
「でもそれ、なんかわかんない奴が鍵持ってる家の肉だよねえ。
危険じゃない?」
と言われてしまう。
「冷凍肉に毒なんぞ入れてないだろ。
鉢合わせて、冷凍肉で撲殺される危険はあるかもしれんがな」
「食べちゃったら、完全犯罪だね」
ははは、と神田は笑う。
「……申し訳ないけど、人を撲殺できるほどの量はないわよ。
入るわよっ」
と二人を押しのけるようにして入っていった。
当たり前だが、入ってみれば、いつも通りの我が家で、特に荒らされた形跡もない。
……いや、出て行く前に私がずいぶん荒らしているが。
荷物を慌てて用意するのに。
そこから変化はなさそうだった。
「いっ、いつもは、いつもはもっと片付いてるのよっ」
思わず、神田に言い訳してしまうが、はいはい、とやさしく微笑む神田は、まったく信じてはいなさそうだった。
肉は解凍しなければならないので、早めに取り出し、せっかく戻ってきたんだからと、あれやこれやと荷物を持ち出す用意をした。
よく考えたら、特に害がなさそうなら此処に帰ってきたのでいいのでは、という考えがちょっと頭をよぎったが、気づかぬふりをした。
そこで、ふと、気づく。
ずいぶん家を空けているが、冷蔵庫の中身は大丈夫だろうか。
腐ってるんじゃ、と冷蔵庫まで戻り行きかけて、やっぱ、やめた、と思ったとき、了弥の側に居た神田が言った。
「トイレ貸してね」
うん、と言ったあとで、
「ああっ。
バーカは取っておいてね」
と言うと、なんで? と言う。
「記念に?」
「違うよ。
証拠だから」
了弥が阿呆か、という目で、キッチンの近くから見ていた。
「トイレ貸してね」
と瑞希に言ったあと、トイレに入った神田は、そう広くはないトイレの中を眺める。
少し身を屈め、カラカラとトイレットペーパーを引っ張ってみた。
マジックでバーカ、バーカ、と書かれている。
いや、書いたのは一回なのだろうが、インクが突き抜けているので、何度もバーカと書いているように見える。
「……なるほどねえ」
と呟いた。
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