騙されたーっ
「あっれー? 日曜なのに仕事なんですか? 課長」
エレナの声に、了弥はデスクから顔を上げた。
「お前も仕事か」
と言うと、
「いいえ。
お気に入りのリップを忘れて帰ったから、デートの前に取りに来ただけです。
瑞季は?」
と訊かれる。
「友だちの家に行くとか言ってたが」
とつい、答えると、へえ、と笑う。
「詳しいんですね。
日曜の動向にまで」
しまった、と思っていると、
「私、課長にキスしようとしたって、瑞季に言っちゃったんですけど」
と言ってくる。
一瞬、なんの話だ、と思ってしまった。
「……忘れてましたね、課長」
ちょっとプライドが傷つくんですが、とエレナが言う。
「瑞季、やはり、課長に気がある風に見えました」
その言葉にどきりとしながらも、試すのにキスしかけたとか言うなよ、と思っていた。
「でも、瑞季は見張ってた方がいいですよ」
「なに此処から離れられない俺を不安に陥れようとしてるんだ……」
ミスしたら、どうしてくれる、と呟く。
「瑞季に好きだとか言いました?
あの子、変に自分に自信がないから。
すぐに思考が変な方向に走るし」
確かに……。
食洗機の話でも思った。
どうしたら、食器を洗いたくないから、レストランを開業するという話になるのやら。
エレナはこちらの顔をじっと見たあとで言う。
「でも、もしかして、課長も自分に自信がない人なんですか?
まあ、それはそれで、いいコンビですね」
いいコンビなのか? と思っていると、
「でも、それじゃ、グイグイ押してくる男が出てきたら、なにもかも出遅れますよ」
と言ってきた。
今、まさに、神田に出遅れそうになっているが、と思っていると、
「あ、もう時間だ」
と細い華奢なピンクのベルトの腕時計を見、じゃ、とエレナは出て行ってしまう。
気持ちいいくらい勝手な奴だと思った。
瑞季にはああいう勝手さはないから、そういうところが、いいコンビなのだろうな、とこちらもまた、思っていた。
「あっれ~、また月橋エレナと居るじゃん」
またどっから湧いてきた……。
エレナが去ったあと、そちらを振り返りながら、笙が現れた。
「でも、ほんと。
瑞季ちゃんが会いに行ったお友だちって、男かな、女かな」
何処から聞いてやがったんだ、と思っていると、
「今日、何時に上がるの?」
と笙は訊いてくる。
「そうだな。
まあ、五時くらいかな」
今すぐ仕事を放って瑞季を追いかけたい気持ちになってるが、と思いながら、溜息をついて言うと、
「久しぶりにお前んちに行ってもいい?」
と笙が言った。
「だ、……駄目だ。
片付いてないから」
と言うと、へえ、と疑わしげな目をこちらに向けてくる。
「お前が片付けてないとかないだろう。
相楽さんならともかく」
どんなイメージなんだ、瑞季。
あれで結構ちゃんとしてるんだぞ、とかばいそうになる。
だが、さっきのエレナのように、なんでそんなこと知っているのかと問われると困るので、黙った。
しかし、笙はにんまり笑って出て行く。
「まあ、また今度、遊びに行かせてよ」
そう言って。
神田の車が何処へ向かうのかと思ったら、隣の市だった。
近いじゃん。
県内の何処か、みたいな感じに言ってたくせに、と思っていると、神田は空いているコンビニの駐車場に車を入れ、
「ちょっと朝日にかけてみるよ」
と言う。
すぐに電話はつながったようだった。
「今、何処」
『ゴルフ』
それだけで切れてしまう。
「仲がいいのね」
と瑞季が言うと、なんで? と問われる。
「いや、今みたいな応対で、神田くんが怒らないと知ってるわけでしょ?」
まあね、とスマホを片付けながら神田は言う。
「今日は無理だな。
じゃ、ご飯でも食べに行こうか」
ええっ? と瑞季は声を上げた。
「あれで終わり!?」
もうちょっとなにかないの? と言うと横目に見ながら、
「意外としつこいね~。
なに、もしかして、あの晩のこと思い出して、やっぱりあの人がいいなとかって思ったとか?」
と訊いてくる。
「そんなんじゃないわよ」
と言うと、何故か、だろうね、と神田は言った。
「じゃあ、佐藤医院を見せて」
「了解」
とあっさり車を出そうとするので、
「全然関係ない佐藤医院を見せて終わりとかなしよ」
と言うと、苦笑いしている。
やはり、そのつもりだったか、と思った。
朝日が勤めている彼の叔父の佐藤医院は個人病院にしては大きかった。
が、彼の父の病院程ではない。
日曜なので、ロビーには人気がない。
そこを覗いていたら、
「気が済んだ?」
と神田が訊いてきた。
「なにか食べに行こうよ」
うん、わかった、と瑞季が言ったとき、神田のスマホが鳴った。
「もしもし」
と言ったあと、沈黙していた神田は少し迷って、そのスマホを瑞季に向ける。
「え、なに?」
もしかして、朝日と連絡がついたのだろうか、とそれを耳に当てると、
『おい、神田。
お前、誰と一緒だ』
という声が聞こえてきた。
そのスマホを持ったまま、瑞季もまた、沈黙する。
『神田?』
訝しげに問い返してきたその人物に向かい、瑞季は呼びかける。
「……了弥?」
相手が黙り込んだ。
幾らなんでも、了弥の声を聞き違えるなんてことはない。
「なんで了弥が神田くんのスマホに……」
言い終わる前に怒鳴られた。
『なにお前、性懲りも無く、神田と会ってんだ!?』
なんで私、いきなり怒られてんだっ!?
状況もわからないのにっ。
職場では課長様だから、黙って従うけど、外では違うぞっ、と了弥が聞いたら、職場でも従ってねえだろ、と言いそうなことを思う。
その気配が伝わったのか。
ようやく、自分でも状況が飲み込めたのか、気まずく了弥が言ってくる。
『俺と神田は高校と大学が一緒なんだ』
「な……なんで黙ってたのよっ」
だが、その問いに答えはなく、
『神田ーっ!』
と了弥が怒鳴り出す。
確かに、神田くんにも釈明して欲しい、と思いながら、スマホを渡すと、神田は溜息をひとつ、ついて、
「めんどくさくなったんだよ。
もう~」
と了弥に向かい、言っていた。
「僕だって、真相はよく知らないけど。
もうなにもかもオープンにし……
……わかったよ。
うるさいなー、もう」
そういえば……。
了弥は、神田のことを語るとき、そこ此処で、知らない人間に対しては言わないような言葉遣いを見せていた。
「だっ、騙されたーっ」
と瑞季はしゃがみ込む。
「なんで黙ってたのよっ。
二人して私を笑ってたのねっ!?」
「誤解だよっ。
了弥はともかく、僕は違うよっ」
『てめーっ、なに一人がいい子になろうとしてるんだっ!』
「お前が保健室の外から覗いてたこともバラしてやる、このストーカーッ!」
と二人で揉め始める。
保健室……って。
まさか、この間の。
く、……くらくら来た。
やはり、エレナにキスされかけた了弥にごちゃごちゃ言っている場合ではない。
「帰る」
「待って、相楽さんっ」
「電車で帰る」
半ば現実逃避気味に、そこから去ろうとする瑞季の腕を神田がつかむ。
「駅まで遠いよっ。
腹黒い了弥はともかく、僕は君の味方だよっ」
『腹黒いのはてめーだろうがっ』
まだつながっているスマホから、了弥の怒鳴り声が聞こえてくる。
なんかもう……
なにもかも放棄したくなってきた~……。
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