容疑者 その2(?)
瑞季が了弥の家に帰ると、すぐにスマホが鳴った。
未里からだった。
なにか忘れ物したかな? と、はいはーい、と出ると、未里が、
『あんたが誰と帰ったか、わかったわよ』
と言ってきた。
「え? 神田くんじゃないの?」
神田くん本人がそう言ってたような、と思い、問うと、
『それ、一次会の店を出るときの話じゃない?
瑞季が忘れ物をしたんだけど、店にもなかったみたいだから、誰かの荷物に紛れてるんじゃないかって』
と言ってくる。
「ありがう、未里」
と見えてはいないだろう彼女に手を合わせた。
やましさから大きな行動には出られなかった自分の代わりに、未里がいろいろやってくれていたようだ。
『佐藤と、……ちょっとうるさいなー、もうっ』
とどうやら、子どもに飛び乗られているらしい未里が言う。
『佐藤と帰ったみたいよって。
美羽も酔ってたから定かじゃないみたいだけど。
……って、離せっ、翔っ!』
殿中でござるっ、という勢いで未里は言っていた。
「も、もういいよ。
翔くんたちの相手をしてあげて」
すると、未里は、ごめんね~、と言ったあとで、言う。
『あのさ。
神田くんともややこしいことになったみたいだから言っておくけどさ。
あの日のことは、もう一夜の過ちだと思って忘れて、追求しない方がいいと思うよ。
結局、その真島課長とやらと暮らしてるんでしょ?
もういいじゃん。
あんまり過去にこだわって……
いや、過去ってほど昔でもないけどさ。
振り回されて、ロクでもないことにならないようにね』
ロクでもないこと……
今にもなりそうで怖い、と思ったとき、了弥が帰ってきた。
振り向き、おかえり、というように彼を見たあとで、
「わかった。
ありがとう」
と言って、スマホを切る。
了弥は、テーブルの上の紙袋を覗いていた。
「あ、それ、友だちがくれたの。
晩ご飯にって」
食べよう? と立ち上がりかけたとき、スマホがメールの着信を告げた。
誰だろう? と思って見ると、エレナからだった。
『今日、真島課長にキスしようとしてみた。
やっぱり、課長のこと好きなわけじゃないみたい。
というわけで、瑞季を応援するから、なんでも言って。
エレナ』
……ある意味、公明正大な奴だな、と思いながら、それをソファに放ると、気を落ち着けるために、大きく息を吐いた。
「ご飯にしよっか」
と言うと、了弥は何故だか、怯えた顔をする。
……なんだろうな。
エレナとキスしかけたのがやましいとか?
自分の顔つきが怖いことにも気づかずに瑞季は思う。
いや、そんなわけないよな。
私と付き合ってるわけでもないしっ。
私なんて、所詮、傷物だしっ。
怒れる立場にもないしっ、と思いながら、冷蔵庫を開け、そこに顔を突っ込んだまま、地の底から響くような声で、
「あ、ごめん。
ソース買い足しておいてあげるって言って忘れた……」
と呟くと、
「しょ、醤油でいい、醤油でっ」
と慌てたように言ってくる。
いつもソースじゃないとと、うるさいのに。
やはり、なにかがやましいのだろうか。
いや、でも、私も神田くんに頬にキスされちゃったしな。
望んだことではないとは言え。
頭冷やしたい。
冷蔵庫以外で、と思いながら、そこから頭を抜く。
エレナと了弥がキスしかけたことの衝撃の方が、最後に一緒に帰ったのが、『佐藤くん』だったという新事実を知らされた衝撃よりも大きいことに気づかないまま、二人で晩ご飯の支度を始めた。
「美味いな、このコロッケ」
コーンの入り具合が絶妙だ、と了弥が言う。
二人でいつものように食卓を囲んでいたが、
「うん、美味しいね」
という瑞季はまだ気もそぞろだった。
どうした? という目で了弥に見られ、慌てて瑞季は言う。
「未里は意外な料理上手なんだよ。
ほんと、いい奥さんになったなーって思う」
ご主人も穏やかないい人で、騒がしい未里とはいいコンビだ、と言うと、了弥は笑う。
「そうか。
子どもも居るんだよな。
夫婦が仲いいっていいことだよな」
「どうしたの? しみじみ言っちゃって」
と言うと、いや、とご立派な庭を見ながら、了弥がしんみり言う。
「うちの両親がなかなか大変だったから。
何度も離婚してみたり、結婚してみたり」
「え、誰と?」
「両親二人がだよ。
阿呆みたいに、離婚したり結婚したり繰り返してるんだよ。
今は、再婚して、またしばらくはラブラブだ」
意味がわからん、と了弥は眉をひそめている。
「ど、どっちか気が短いとか?」
と訊くと、
「主にお袋がな。
俺と妹はいつも、ビクビクしてたよ。
また離婚して出てくんじゃないかって。
今度は、どっちについてく? って訊くんだぞ?
今度はって、なんだよっ!」
と今そこに母親が居るように、文句を言い始める。
いや、私に言われてもな、と苦笑いしながらも、黙って聞いていた。
ざっくりなのも気が短いのもお母さんからの遺伝か? と思う。
「でもまあ、了弥がそんな家庭を作らなきゃいいって話じゃん」
と言うと、上目遣いに、チラとこちらを見ながら、
「……うん、そうだな」
と言う。
二人で食器を片付けていると、了弥が、
「珈琲でも飲みながら、続き見るか?」
と言ってきた。
うん、と言いながら、瑞季は、了弥が渡してくれた食器を食洗機に詰める。
「お兄ちゃんのマンションはさ、食洗機あるんだけど。
最初にちょっと住んでたアパートは、なかったんだよね。
それで、食洗機が欲しいなと思って」
「待て」
と了弥が言葉を止めた。
「一人分だろ、食器」
「そうなんだけど」
と言うと、どんだけめんどくさがりなんだ、と言われる。
「電気屋さんに言って訊いたら、いや、一人用とかないですねって言われて」
「溜め込んだらいいんじゃないか?」
そうなのよ、と頷く。
「でも、それもどうかと思うから、食器増やしたいなーって妄想してて。
そのうち、喫茶店とか、レストランを始めたら、食器が増えるなって思って」
「食器増やしてどうする……」
まあ、本末転倒もいいところだ。
そんなくだらない話をしている間に、了弥が珈琲を淹れてくれ、二人で、神田が焼いてくれたDVDの続きを見た。
瑞季はソファの後ろに背を預け、その前で、了弥は寝転がってテレビを見ている。
了弥の後ろ頭を見ながら、瑞季は、エレナのメールを思い出し、クッションを抱いて、その場に転がる。
なんで、了弥、エレナにキスされかけたこと、言わないんだろうな~。
……いや、まあ、普通言わないか。
いやいやいや。
実は、そんなの良くあることだったりして……。
了弥、モテるしな~。
それに、私が気分悪くなれる立場でもないし。
ああ、なんか思考がグルグルしてきた。
そのとき、了弥が振り返る気配がした。
「瑞季……?
寝てんのか?」
クッションを抱いたまま、寝転がっていると、了弥が側に手をついた。
やばい。
ほんとに寝てると思われたのかな。
なにか起き上がるタイミングが……と、しょうがなく寝たフリをする。
「よく珈琲飲みながら、寝られるな」
と呟くのが聞こえた。
寝られるかーっ、と思う。
カフェインに弱いから、あんまり遅い時間に飲むと眠れなくなるのだ。
了弥が少し笑ったように聞こえた。
唇に軽くなにかが触れてくる。
そうっとやさしいその感じは、了弥の唇だと思った。
早く離れて。
何処かに行って。
了弥はブランケットをかけてくれ、テレビを切ると、浴室に行ったようだった。
早く離れて。
何処かに行って。
……ちょっと泣いてしまいそうだから。
私、了弥が好きなのかな?
了弥にキスされたら、感情が高ぶって、どうしていいかわからなくなってしまうし。
でも、なのに、なんで、あんな失態を。
やっぱりはっきりさせたい、と了弥の使っているシャワーの音を聞きながら思っていた。
今のままじゃ、了弥になにも言えないし。
『佐藤と帰ったみたいよって』
未里の言葉を思い出し、がばりと起き上がった瑞季はソファのスマホを手に取った。
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