情緒がないねえ


 了弥は仕事をしながら、まだ終わらないな、と思い、チラと腕時計を見た。


 みな帰ってしまい、自分の机の辺り以外は、明かりも落ちている。


「此処に居ていいんですか?」

と声がして、顔を上げると、エレナが立っていた。


「まだ残ってたのか」

と言うと、


「はい。

 もう帰りますけど。


 瑞季に電話してみなくていいんですか?


 なんだか怪しいイケメンの先生に呼び出されたんでしょ」

と言ってくる。


「今、しようかと思ってたとこだ」

と言いながら、スマホを見た。


 まだ瑞季から着信してはいない。

 少し心配になってきていたところだった。


 あまり行動を見張るような真似をすると、ストーカーみたいで嫌なのだが。


 何時に出て行ったんだったかな、と不安になっているところに、エレナが言ってきた。


「あの子、ちょっと抜けてるから、ピンチになってても気づいてないかもしれませんよ」


 ありうる……と思いながら、仕事の手を止め、かけてみたが、出ない。


 不安な気持ちのまま、スマホを見つめていると、エレナが、

「真島課長」

と自分を呼んだ。


 顔を上げると、いきなりエレナがキスしようとする。


 思わず逃げたが、エレナは少し考え、

「……やっぱ、違うな」

と呟いた。


「大丈夫なようです。

 私、課長を応援することにしました。


 私からも、瑞季にかけてみます」

と行きかけ、振り返る。


 じゃ、とみんなが褒める手入れの行き届いた髪をひるがえし、行ってしまう。


 ……な、なんだかよくわからない女だ、と了弥は、呆然と見送った。


 とりあえず、エレナにキスされかけたことより、瑞季の電話がつながらないことの方が気になっていた。


 


 神田は車で来ていたようなのだが、何故か電車で送っていく、と言い出し、二人で電車に乗っていた。


 電車は混むというほどではなかったのだが、座れる場所はなく、二人で並んでつり革を握っていた。


 神田は相変わらず、涼しい顔をしていて、さっきまでの彼とは別人のようだった。


 窓から暗い外の景色を見ながら言う。


「高校は違ったじゃない」


 ふいに振られた話題に、ついていけないまま、……うん、と瑞季は反射的に答えていた。


 ついていけなかったのは、まださっきのことを考えていたからだ。


 だが、神田は、もうそんなことなど忘れたかのように、窓に映る自分たちを見ている。


「でも、電車は一緒だったんだよ」

「えっ? そうなの?」


「いつも違う時間だったり、違う車両だったりしたけどね。

 たまに、隣の車両とかになったら、そっと君の方を見てた」


「なんで話しかけてこなかったの?」

と言うと、


「情緒ないねえ」

と神田は苦笑いする。


「やっぱり、放すんじゃなかったよ。

 途中でやめたのは、今でも、本気で君を好きだと気がついたからだよ」


 いや、途中で気づかないでください。


 っていうか、本気で好きじゃないのなら、そもそもしないでください。


 っていうか、好きじゃない場合の方が出来ちゃうのが、そもそも変じゃないですかねっ?

と瑞季は思っていたが、電車の中なので、口に出せなかった。


 だが、神田は、こちらの顔を見て笑う。


「相楽さんは、本当に口ほどに物を言う目だね。


 女の人のイヤってさ、何処まで本気かわかんないじゃない。

 とりあえず言う、みたいな感じだし」


 いやいやいや、私は全部本気ですよ?


 目の前で、こちらの話には興味なさそうに文庫本をめくっているおじさんにも、目を閉じているOLさんにも、全部聞かれている気がするな、と思っているうちに降りる駅に着いた。


 神田も一緒に降りてくる。


「家まで送ってあげるよ」


「ううん。

 大丈夫」


「ああ、友だちの家なんだっけ?

 だったら、上がり込んだりしないから大丈夫だよ」

と言う神田に、じゃあ、友だちの家じゃなかったら、どうなんだ、と思ったが。


 このまま別れて気まずくなるのも、友だちとしてどうかな、と思い、そのまま送られた。


 商店街を抜け、そのマンションに着く頃には、もういつも通りの彼に戻っていた。


 バラさなくてもいい、同級生の話をバラして笑わせてくれる。


 やっぱり、人気のある先生なだけあって、話上手いな、と思いながら、

「ありがとう。

 じゃあ、此処で」

と言うと、


「また会ってくれる?」

と訊かれた。


 一瞬、詰まると、

「もうなにもしないから。


 今度は昼間会おうよ。

 あの番組、スペシャル版も録ってたし、そういえば」

と言ってくる。


 やはりあったのか、スペシャル版。


 了弥が喜びそうだな、と思っていると、神田は少し笑い、


「あのとき、手を離したのは、君が泣くと、僕も苦しくなるって気がついたからだよ」


 おやすみ、とこめかみに口づけてくる。


「早く中に入りなよ、気をつけて」


 入るまで見ててあげるから、と言ってくれた。


 神田に手を振り、エントランスに入る。

 電車で来ちゃって、帰り大変じゃないのかな、とちょっと申し訳なく思いながら。


 


 神田は瑞季がマンションに入っていくのを見送っていた。


 マンションの前庭の木々が夜風に揺れ、白い月が、ぽかりと、ちょうどマンションの上に浮かんでいる。


 風情があるな、と思った。


 ……このマンションでなければ。


「なんで途中でやめたって?」


 急に背後からした声に振り返ると、腕を組んだ男が路地に立っていた。


「いやあ」

と神田は振り返り、笑う。


「お前が見えたからだよ――。


 了弥」


 




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