怪しいメール


 家に帰ると、まだ、了弥は居なかった。


 ソファに寝転がり、未里にメールする。

 帰ったら教えろと言われていたからだ。


 すぐに折り返しかかってきた。


『どうだった?

 どうだった?


 確かめられたっ?』


 どういう意味でだ。


 貴女のおっしゃる方法でじゃないですよ、未里さん、と思いながら、

「神田くんじゃないと思う」

と溜息をついて言った。


『そうなんだー。

 残念だね。


 神田くん、いいのにね。

 爽やかなイケメンで、公務員。


 安定してるし』


 腹黒っぽいけどね。


 でも、悪い人、というわけでもないかなあ、とこの間からの言動を思い出しながら思っていた。


『神田くんじゃないにしても、ちょっと押してみたら?』

と神田が結構気に入っているらしい未里は勧めてくる。


「あー、うん。

 また会うことにはなったけど」

と言うと、


『やだーっ。

 順調じゃんっ。


 こうなると、その夜の男がかえって邪魔ね』

と言ってくる。


「いや、別に順調じゃないし。

 神田くんとはそんなんじゃないし。


 あの夜のことがはっきりしないと、なんだか何処にも進めなくて」


『なんで、そうなの、あんたは。

 みんなそんな真面目に考えて生きてないよーっ?』

と言ったあとで、未里は、


『あ、でもさ。

 そんなあんたが身を任せたくらいだから、その夜の人のこと、好きなのかもね』

と言ってくる。


 身を任せたって、演歌か、と思いながら、どうだろうなあ、と思い出そうとするが、その未里や神田の言う余計な道徳心や貞操観念が邪魔をして、余計に思い出せなくなる。


 天ぷら美味しかった、という話から、カウンターで頬にキスされた話をすると、何故か、未里の方が盛り上がる。


『いやーっ。

 人前でとかっ。


 されてみたいーっ』


 いやいやいや、落ち着いて。


「ご主人にしてもらえばいいじゃん、人前で」

と言うと、


『それはなんか違うのよ。

 不意打ちって言うのがいいのよ~っ』

と言ってくるので、


「じゃあ、私がご主人に言っといてあげるよ。

 未里に外で、不意打ちで頬にキスしてやってくださいって」

と言うと、


『やだーっ。

 照れるーっ』

と言う。


 ……どうしたいんだ。


「ともかくさ」

と言いながら、振り向いた瑞季は固まった。


 いつの間にか、音もなく帰っていた了弥が背後に居て、腕組みして、今の話を聞いていたからだ。


 え……


 えーと……。


「と、言うわけで、さようなら」


『なんなのっ。

 ちょっと、意味わかんないんだけどーっ』

と叫ぶ未里との通話を切り、さりげなく電源を落とした。


 すぐにかけて来そうな気がしたからだ。


「お、お帰り」

「……DVDは」


「……ごさいます」

と神田に焼いてもらったDVDの包みを献上する。


「じゃあ、珈琲でも淹れて見るか」

「さようでございますね」


 揉み手もせんばかりに、腰低く言うと、了弥は、

「俺が淹れる」

と言ったあとで、キッチンに行き、珈琲の瓶を出すと、こちらを見て言った。


「『いや、別に順調じゃないし』からだ」


 そ、そんなところから聞いてらっしゃいましたか。


 はは……と笑う。


「カップでも出しますね」

と何故か職場でもないのに、改まって言いながら、ソファから下りた。


 



 ば、番組に集中できないのですが。


 了弥はもう、さっきのことなど忘れたように、くつろいでDVDを見ている。


 クッションに肘をついて、寝転がる了弥の後ろで、瑞季はソファを背に、クッションを抱いて、座っていた。


 よく考えたら、別に、了弥と付き合っているわけでもないので、神田くんが頬にキスしてこようと関係ないと思うのだが。


 なんでだろう……?


 すごく悪いことをしてしまったような気がしている。


「これ、何話まであるんだ?」


 唐突に、了弥がそう訊いてきた。


「は?

 五十話くらいですかね?」


「寝られないじゃないじゃないか。

 って、何故、敬語だ」

と了弥は眉をひそめる。


 いや、なんとなく……、と思っていると、

「俺に悪いと思ってんのか?」

と訊いてきた。


「え? なにを?」


 どきりとしながらもそう訊くと、溜息をついて、なんでもない、と言う。


「あのー、やっぱり神田くんじゃなかったみたいなんだけど」


 一応、今日の成果を告げようとそう言うと、

「じゃあ、キスしなくて良くないか?」

と画面を見たまま言ってくる。


 そうですね。

 でも、あの、頬にですよ。


 そして、私の意志でしたわけでもないのですが、と思っていると、了弥は立ち上がる。


「俺、もう寝るわ。

 軽く食べてきてるし」


「は? え?」


 じゃあ、一人で見ちゃ悪いかな、と思い、リモコンに手を伸ばす。


 すると、そのリモコンを取ろうと、這うようにして、床についた手に手を重ねてきた了弥が、ふいにキスしてきた。


 頬ではない。


 唇に――。


「おやすみ」


 了弥は、そのまま自分の部屋に行ってしまった。


 扉が閉まる音がしても、瑞季はまだ、床に手をついたまま、止まっていた。


 ……今のは。


 今のはなんですか?

と衝撃が大きく、そのまま、しばらくじっとしていた。




 悪い夢を見た。


 いや、此処のところ、悪い夢が多いのだが。


 ちょっと口には出せない悪い夢だ、と思いながら、瑞季がリビングのドアを開けると、

「おはよう」

ともう着替えていた了弥がいつも通りに挨拶してくる。


「お前は、珈琲か? 紅茶か?」

と訊いてくる。


「あ、珈琲」

と言ったあとで、


「私がやるよ」

と言ったが、


「いや、いい。

 もう朝食は出来ている」

と言われた。


「昨日は早く寝たからな」


 そ、そうですね。


「早く目が覚めたんだ」

と言う了弥はこちらを見ずに、珈琲をカップに注いでいたが、沈黙していると、目を上げ、


「運べよ」

と言ってくる。


「あっ、はいっ」

とまた思わず、職場のように返事をしてしまうと、笑う。


 いつも通りだ……。


 いつも通りすぎて怖い。


 このまま、なにもなかったことにするべきなのか。


 そんなことを考えていると、了弥は、

「まだ早いから、昨日の続き、見ながら食べるか?」

と訊いてくる。


「あ、うん。

 じゃあ、用意するね」

と二人分の珈琲をお盆に入れて運び、DVDデッキを立ち上げた。



  

 そのあとも了弥は、夕べのキスのことには触れて来なかったので、二人でDVDを見ながら、朝食を食べ、いつものように、了弥に会社の近くまで送ってもらった。


 一緒に出勤するわけにはいかないからだ。


 この間、いつも同じ電車に乗っていた会社のおじさんから、

「最近、朝、乗ってないねー」

と社食で言われた。


「ウォーキングすることにしたんで、早い時間に乗って、途中から歩いてるんです」

と笑顔で答えたが、そのわりに痩せないね、と言わなかったのは、おじさんのやさしさか。


 朝、給湯室で、他の女の子たちが居なくなったあと、エレナにだけ、了弥の家に住んでいるところだけ省いて、ざっくりと昨日のことを話した。


「へー。

 急になんか、華やかになってきたわね、瑞季の周り」

と言うエレナに、いや、こういうの、華やかになったって言うのだろうかな、と思っていた。


「ふうん。

 真島課長は、やっぱり、瑞季のことが好きなのかしらね」


「えっ、なんでよ」


「……なんでよって。

 なんで、好きでもないのに、いきなりキスしてくるのよ」


「……弾み?」


 あんたの発想、よくわかんない、と言ったあとで、

「あんたが、その神田くんとやらとキスしたって聞いたから、張り合ってきたんでしょ。


 っていうか、あんた、全部課長に話すの、そろそろやめなよ。

 呆れられるよ」

と言ってくるが、でも、一緒に住んでるから、行動筒抜けだしな~と思っていた。


「いや、別に了弥とはそんなんじゃないし」

と言うと、へー、と腕を組み、こちらを見たエレナが、


「じゃあ、真島課長、私にちょうだいよ」

と言ってきた。


「えっ?」


「いらないんなら、ちょうだいよ。

 あの人、意外と悪くないかもって最近思い始めたの」


「えっ、やだっ」

と言うと、


「……あんた、そういうときは、返事早いのね」

と言ってくる。


 エレナは溜息をつき、

「嘘よ。

 あんなめんどくさそうな男、いらないわよ。


 幾ら顔が良くてもタイプじゃないわ。

 でも、ってことは、あんたは、課長が好きなのね?」

と訊いてくるのだが。


「いや……よくわからないんだけど」


 いや、ほんとに。

 近すぎて、了弥を好きかどうかなんてわからない、と思ったとき、この間、了弥に怒られたので、仕事中は音を消しているスマホがポケットで震えた。


 ん? と見ると、神田からだった。


『思い出したことがあるから、夜、学校に来ない?』

と書いてある。


 思い出したことってなんだろう。


 ちょっと怖い、と思いながら、


『思い出したことってなに?』

と打ち返すと、


『それは来てからのお楽しみ♪』

という見るからに怪しいメールが返ってきた。


 うーん、と瑞季はスマホを手に、しゃがみ込み、頭を抱える。


「なに? どうした?」

とエレナが訊いてきた。


 




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