神田くんの真実


 結局、待ち合わせは駅にしてもらった。


 了弥が乗せて行ってくれると言ったのだが、それでは早くなり過ぎるので、昼前までダラダラして、それから出かけた。


 駅のロータリーのところに少し早めに行くと、ちょうど来た神田がすぐに乗せてくれた。


 神田のイメージに合ったシックな車だ。


 昔からある車だけど、これ、結構高いよね。

 教師の給料ってそんなに良くはないと思うけど。


 まあ、神田くんち、お金持ちだからな。

 そんなことをぼんやり考える。


「ちゃんと焼いてきたよ、DVD」

と笑顔で神田は言ってくる。


 今日の神田くんは爽やかな神田くんだな、と思いながら、ありがとう、と言う。


「今日、行くお店、イカが美味しいって、り……

 友だちが言ってた」

と言うと、


「そうか。

 あの店知ってるとは、通だね」


 ちょっとわかりにくいところにあるんだよ、と言う。


 


 なるほど。

 その道は、川沿いの住宅街の小道に突然あった。


 一見、民家のようだが、中はちゃんとした天ぷら屋さんだ。

 赤いカウンターに黒い半月のお盆が置かれている。


 予約してあったカウンター席に座りながら、神田が言う。


「此処、コースじゃないと席予約できないから、コースで頼んだんだけど。

 大丈夫? 食べられる?」


「大丈夫」

と隣に座りながら笑うと、


「そうだね。

 昔は食が細かったイメージだったけど、結構食べてたね」

と言ってくる。


 うっ。

 神田くんが来たのは、同窓会も後半になってからだった気がするんだけど。


 まだ食べてたのか、私……。


 食べて、呑んでたんだな。

 既に正気じゃなかったのに。


「どうしたの、急にテンション下がっちゃって。


 大丈夫だよ。

 女の子はあんまりガリガリじゃない方がいいよ」


 いや、今の慰めにより、かえって傷つきましたが。

 単に、食べ過ぎ呑み過ぎな自分を実感していただけだったのに。


 今のフォローの一言より、確実に昔より太っていることを証明されてしまった。


「……でも食べるっ」

と宣言すると、神田は笑う。


 しばらく、今の神田の学校の話や、小学校時代の話をしていた。


「あー、そうだよね。

 相楽さん、骨折ひどくて、一ヶ月くらい学校来られなかったよね」


 ちょうど、思い出したばかりだったその話をした。

 そんなこんなで学校の話になったので、訊いてみる。


「神田くんはさあ、なんで、学校の先生になろうと思ったの?」


 そうだねえ、と神田は鮮やかな大将の手さばきを見ながら、

「人に使われるのがあんまり好きじゃなかったからかな?」

と高い志を語るでもなく、言ってくる。


 えー? と笑った。


「先生と名のつく奴にロクな奴は居ないって言われるけど。

 僕なんかほんとそう。


 人に頭下げるの、あんまり好きじゃないんだよ。

 だから、サラリーマンとか無理」

と素敵な笑顔で言ってくる。


「ははは……」

と笑ったが、本当はそうではないと知っていた。


 叔父が教員をやっているので、現在の教員生活がそんな甘いものではないとよくわかっている。


 素直じゃないな、この人、と思っていると、

「呑んだら? 相楽さん」

 此処、いい酒あるよ、と言ってくる。


 お酒はちゃんと冷蔵庫に入って保管されているようだった。


「いや、神田くん呑めないじゃん。

 いいよ」

と言うと、


「でも、相楽さんに、此処の美味しい天ぷらで一杯やって欲しいんだよ。

 日本酒好きなんでしょ?」

といつの間にそんなことしゃべったっけ? というようなことを言ってくる。


 酔ってるときだな、きっと……。


 ねえ、と神田は大将に向かって言い、大将も、そうですよ、と勧めてくる。


 天ぷらを褒められて、機嫌良く、

「彼氏がそう言ってくれてるときは、素直に甘えて呑んだらいいよ」

と笑っていた。


 いやあの、彼氏じゃないんですけど、と思ったが、そういう否定も、今、此処でわざわざするのもな、と思い、黙っていた。


「じゃ、ちょっとだけ」

と大将の、今のお薦めだという酒をいただく。


「そういえば、神田くんってピアノとか弾けるの?」


 ふと訊いてしまったあとで、まあ、イメージ的にも弾けるか、と思った。


 神田くんの家の広いリビングには、大きなグランドピアノがあったし。


 神田くんのママが学校で習った曲とか弾いてくれてるとき、可愛い仔犬のスピッツが駆け回ってたっけな、と思い出す。


 油断していると、小さな自分たちの頭に飛び乗る勢いで駆けてきて、顔を舐められた。


「うん、どうして?」

と言う神田に、


「いや、小学校の先生って、なんでも出来ないといけないじゃない。

 音楽も体育も。


 体力いりそうだし。

 まあ、神田くん、なんでも出来るけど。


 なんで、小学校なのかなって思って。


 ほら、先生って、中学高校、大学、と進むにつれて、ふんぞり返ってくるというか。


 机に寄りかかってたり、座ってたり、怠惰な感じで教えられるじゃない。


 小学校って、すごい体力いりそうなんだけど。

 なんで、小学校なの?


 子どもが好きだから?」

と訊くと、神田はにっこりと微笑み、


「いや、中学生以上だと、うっかり手を出しそうだから」

と言ってくる。


 へ、へえ……と言いながら、こごみの天ぷらを落としそうになった。


 やばい人ですよ やばい人ですよ この人、やばい人ですよ……。


 再会してみて思ったけど、やっぱり、みんな、子どもの頃とは一味、違うな。


 いや、違うか。

 子どものときには、こんな本性、出しどころがなかっただけだ。


「いや、ほら、世の中、ムカつく奴、多いじゃない」


 って、貴方、そんな素敵な笑顔で言いますか。


「子どもを徹底的に教育し、ムカつなかない人間に育てたいんだ」


「へ……へえー……」

としか言えないんですが。


 でも、まあ、言葉は悪いが、要は、子ども達を素直ないい子にしたいってことかな、と解釈した。


「ところでさ、なんで、そのお持ち帰りの相手を僕だと思ったの?」


 今、此処で訊きますか、とつい、赤くなってしまうが。

 大将は慣れたもので聞かないふりをしてくれている。


 まあ、忙しいから、ほんとに聞いていないのかもしれないが。


「いや……未里が、あんた、神田くんと盛り上がってしゃべってたよって言ってたから、ちょっと訊いてみようかと思って」


 あー、梶原さん、と思い出すのに少し時間がかかったようだった。


「そうそう。

 梶原さんはご主人が来て、途中で帰っちゃったよね。


 もう二人も子どもが居るんだっけ?

 早いよね」


「うん。

 自由がないとか言ってるけど、毎日、楽しそう」

と笑うと、


「それで、相楽さんも微笑ましいご夫婦を見て、結婚したくなったとか」

と言ってくる。


「なんで?」

「それで、僕を酔わせて連れ帰り、手込めにして、結婚しようと」


 聞いていないかと思った大将が笑い出す。


「ちっ、ちがっ。

 大将っ、違いますからねっ」

と思わず、立ち上がり、神田を見、大将を見、近くの客を見た。


 みんな基本、知らんぷりをしてくれているが、うつむいて笑っている。


「だってさ。

 記憶がないんでしょ?


 なにしててもわかんないじゃん」


「そ、それはそうなんだけど……。

 あっ、でも、絶対、神田くんじゃないと思う、あれ」

と言うと、なんで? と言う。


「神田くんは、トイレットペーパーに、バーカとか書いて逃げないと思う」


 神田は、一瞬、なにそれ、という顔をしたが、

「いや、やるよ」

と言ってきた。


 はい?


「きっと、君にもてあそばれたと思って書いたんだよ」


「もてあそぶような技術はありませんーっ。

 初めてだったのにっ」


 ぶっ、と横に居た若いサラリーマンが笑い出した。


「あっ。

 誰ですかっ。


 笑わないでくださいっ」

と振り向いて言うと、


「相楽さん、相楽さん、周りの人に喧嘩売らないで」

と神田が苦笑いして言ってきた。


「ともかく、神田くんじゃないのは、はっきりしたよねっ」

と言ったが、


「いや、僕だって」

と言う。


「だって、今、認めるのなら、あのとき逃げたの、おかしいじゃない」


「だからさ、あのときは、君にもてあそばれたと思って、トイレットペーパーにバーカって書いて逃げたわけ」


「はい、ブー。

 トイレットペーパーに書かれたのは、そのあとなの。


 私が仕事に行ってるとき」


「え、それ。

 どうやって、その男入ったの?」


 ほら、もう確実に神田くんじゃないじゃん、と思った。


「私の部屋の鍵を持って逃げたみたいなの」

「危ないじゃん」


「大丈夫。

 今……」


 おっと、余計なことを言うところだった、と思った。


「今、実家に居るから」


「……実家、あの駅の近くだった?

 両親は引っ越して、おばあちゃんの居る隣の県に行ったって言わなかった?」


「友だちのところに居るから」

と言い変えると、冷たい目で見る。


「へー」


 へー、の一言で終わるのが怖いんですが……。


 よく考えたら、この件で、彼に文句を言われなきゃならない理由もないんだが。


「それで家に来るなって言ったんだ?

 別の男が居るのなら、探さなくていいじゃない、その夜の男。


 ああ、探してんの、鍵?」


「いや、泊めてもらってる友だちは、ほんとにそんなんじゃないから。

 この件がはっきりしないと、誰かと付き合うとか考えられないし」


「ほんと真面目だねえ、相楽さん。

 そんなこと言ってると、いき遅れるよ」

と突然忠告してくる。


「まあ、鍵持ってるのは、僕じゃないよ。

 持ってても言わないけどね。


 返せって言われるから。

 それから、その夜の男、僕の可能性も消えてないよね。


 もてあそばれたと思って逃げたけど、こうして、相楽さんが探してくれたから、あ、そんなことないんだ、と思って、名乗り出てみたとか」


「もう~、神田くんの言うこと、なにが本当だかわかんない。

 っていうか、なんで、その朝帰りの人になりたがるの?


 そうだったら、なんかいいことある?」


「あるじゃない。

 それを切っ掛けに相楽さんと付き合えるでしょ」


「いや、……それで付き合わないし」


「でも、ほら、相楽さんって、真面目な人だから、酔った勢いとはいえ、いいと思った相手じゃないと、家に上げないし、そんなことしないと思うんだよね」


 うっ。

 まあ、それはそうかも……。


「だからさ、酔った弾みとはいえ、そのとき、僕のこといいと思ったのなら。

 今、忘れてるにしても、また、付き合ってみたら、そう思う可能性はあるんじゃない?」


 うーん、と唸っていると、

「いいじゃん。

 もう僕じゃなくても、僕ってことにしときなよ。


 責任とって結婚してあげるよ」

と言ってくる。


「……なんでそこまで話が飛ぶわけ?」


「あれっ?

 責任とらせようと思って捜してたんじゃないの?」


「いやいやいや。

 神田くんだって、いきなり責任とれとか言われても困るでしょ?」


「全然困らないよ。


 いいよ。

 結婚しようよ、責任とるよ」


「あ、あのー、この間、再会したばっかりだよね?」


「だって、僕、昔から、相楽さん、好きだったから」


 えっ?


「ほら、相楽さん、ときどき、みんなとうちに来てたじゃない。


 うちの母親が見て、まあ、可愛いお嬢さんね。

 お育ちも良さそうって気に入ってたんだよ、相楽さんのこと」


「ま……まさかとは思うけど。

 お母さんが気に入ったから、私なの?」


「いやいや。

 僕、マザコンとかじゃないから。


 僕が気に入ってる相楽さんを母が褒めてくれて嬉しかったから覚えてるだけだよ」

と言ってくる。


 ……本当か?


 勝手な思い込みだが、こういう人の良さそうなお坊ちゃんタイプの人は、マザコンが多いような気が。


 いや、神田くん、人は良くないけどさ、と思う。


「ほんとだよ。

 君が好きだよ。


 その夜の相手が、僕でも、僕じゃなくても、結婚してもいいかな、と思ってる」


 いきなり、神田が軽く身を乗り出し、頬にキスしてきた。

 それは一瞬のことで、誰も見てはいなかった。


 こ、こんなに人目のある場所で、僅かな隙を突くとは。

 やっぱり、この人、遊び人なんじゃ、と固まる。


 この顔だしっ。

 お坊っちゃまだしっ。


 女なんて、選び放題だしっ。


 箸を手にしたまま、固まっていると、

「あ、なんかいろいろ考えてる。

 悪い方に」

と、あのにやりとした笑いを見せる。


「大丈夫だよ、騙したりしないよ」


 いや、その一言で、既に騙されてる気がしますが。


 この人、面白がってるだけなんじゃ、と思いながら、まだ、固まっている目の前に、イカの天ぷらを出される。


 無意識のうちに、塩をつけ、無意識のうちに、

「あまっ」

と言っていた。


 大将が嬉しそうな顔をする。


「甘いでしょ、このイカ」

と神田もまた、自分の手柄のように嬉しそうに言った。


「ほんとだ。

 了弥が言ってたと……」


 言ってた通り、と言いかけ、止まる。


 神田はなにも追求せずに、ただ微笑んでいた。


 ……かえって、怖いよ?


「う、うちのおばあちゃんち、島なの。

 だから、イカとか獲れたて絶品で。


 街のイカとか食べられないなって思ってたんですけど。


 これ、すごく美味しいですっ」

と大将に言う。


「わかってくれる人で嬉しいよ。

 なんかおまけつけちゃおうかなー」

と言っている。


 寿司屋さんとか、天ぷら屋さんとか、老舗だとちょっと怖い人が居そうだな、と思っていたのだが、此処の大将は気さくな人だった。


「また来てね。

 話の続きも聞かせてね」

と帰り、送り出される。


「はい、ぜひー」


 話の続きのこと以外で、と頭を下げ、店を出た。


 神田が言う。


「また来ようね」

「うん」

と言うと、


「僕とね」

と睨まれ、念押しされた。





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