職場に怖い人がいるので……

 

「おい、相楽。

 これとこれとこれ。


 書式ずれてる。

 半角ずつ」


 了弥にデスクに数枚の書類を投げられ、瑞季はつい、

「えっ? 何処?」

と言ってしまい、睨まれた。


「ど……何処ですか、課長」


 し、しまった、つい。


 以前は、職場では、緊張感から、自然に了弥に敬語を使っていたのに、寝起きを共にしていると、ついつい。


 職場の怖い顔を見ても、あまり怖いと思えなくなってきて、普通にしゃべってしまっていた。


「此処と、此処と、此処だ。

 お前、同じ書面をコピーして打ち打ち替えたな。


 いや、それでいいんだが。

 最初のがずれてたら、みなずれるだろうが」


 ……ご指摘ごもっともでございます、と書類を前に、瑞季は、こうべを垂れる。


 それにしても、此処、別にどうでもいいような。


 細かいな、職場では。


 あんなざっくりな性格なのに……、と思いながらも、課長様には逆らえないので、

「すぐに直します」

と言って、データを呼び出した。


 了弥はまだ、後ろに立って、それを見ている。


 暇なのか?

と思ったそのとき、引き出しで、瑞季のスマホが震える音がした。


 メールのようだ。


 そちらをチラと見た了弥は、何故かイラついたように、

「切っとけ、仕事中は」

と言ってきた。


 今、見たわけでもないのに、課長だからって、そこまで口出しすることないじゃん、と思って、つい、

「仕事のメールかもしれないじゃないですか」

と言い返してしまったのだが、


「……お前のスマホに仕事の連絡が入ることがあるのか」

と上から見下すように見て言われる。


 怖いよ……。


 いや、まあ、ないですけどね、と思いながら、瑞季は、素直に書類を打ち替えた。





「なに疲れてんだ?」


 帰宅後、ソファに行き倒れたように寝転がっていると、了弥が訊いてきた。


「職場に怖い課長が居て疲れてるの」

と言うと、ソファの背に腰掛けた了弥が、


「……誰が怖い課長だ」

と言ってくる。


 うつ伏せに寝たまま、顔だけ了弥の方を向け、


「職場ではどうしてあんなに厳しいんですか? 課長」

と訊いてみた。


 なにが厳しいだ、と呟いた了弥は、

「それが仕事ってもんだろ」

と言う。


 一言か。

 まあ、そうだよなあ。


 それが仕事ってもんデスヨネ、とまた目を閉じる。


 上から了弥が顔を覗き込んでくる気配がした。


「疲れたのなら、何処か食べに行くか?」


「うん。

 ああ、でも、どっちかって言うと、なんか買ってきて、家で食べたいなあ」

と言うと、


「じゃ、そうするか」

と了弥は立ち上がり、ネクタイを外そうとする。


 慌てて起き上がった瑞季は、ネクタイを引っ張り、締め直した。


「なんなんだっ、お前はっ」


「いや、ごめん。

 了弥が食べたいのでいいよ」

と言うと、親切だったのか、今のは……とネクタイを締め直して言い、


「どうした。

 急に殊勝なこと言ってきて」

と訊いてくる。


「いや、お邪魔してる身分で、振り回してるなと思って」


「それは別にいい。

 ご飯もひとりで食べるよりは一緒の方がいいし」


 家では結構やさしいんだよな、と思いながら、

「ねえ、了弥」

とそこにあったので、なんとなく、背もたれにかけていた了弥の手に触れると、何故か、ビクついたように手が逃げた。


 おや? と思い、もう一度、逃げた手に触ろうとすると、その手を上に差し上げる。


「なんなのよっ」


「お前がなんなのよのだっ。

 気を抜いてるときに、不用意に触れてくるなっ」

と赤くなって言う。


 ……意味がわからん、と思っていたら、メールが着信した。


「また、例の男か」

と了弥が言う。


「え? さあ?」

と言って出ると、なるほど、神田からだった。


「すごいね。

 なんでわかったの?」

とメールを見ながら言うと、


「……着信音が違うんだ」

と言ってくる。


 変えてないよ!?

 なんのホラーだ、と思いながら、画面を見せる。


「ああ、なんだ。

 天ぷらの店の場所がわからないって言ったから、地図送ってくれたみたい。


 美味しかったら、今度、一緒に行こうよ」

と言うと、了弥は、チラと地図を見て、


「その店は知ってる。

 イカが美味い」

と言ってきた。


「そうなんだ?」

と言いながら、地図から文章に戻し、読んだあとで笑った。


「なんだ?」

と訊いてくるので、


「いや、クラスの骨折した子の腕にみんなが落書きして大変という、ほのぼのした話が書いてあったから」

と言うと、


「お前のような間抜けが居るんだな」

と言ってくる。


「私は結構重傷だったよ。

 学校一ヶ月休んだし。


 って、その話したことあったっけ?」

と言うと、了弥は冷たい目でこちらを見た。


「なんか酔っぱらって階段落ちかけたとき言ってたぞ」


 もう酒は控えろ、と言う。


 うう……。

 今言われると、返す言葉もございませんって感じだな、と思ったそのとき、また、メールが着信してきた。


「またか。

 ストーカーか」


「違うよ。

 未里だよ」

と言いながら、もしかして、このメールの方が内容的にはヤバいかも、と思っていたのだが、急に隠しても変に思われるかな、とそのまま了弥に見える位置で開いてしまう。


 案の定、読んだらしい了弥が、ほう、と言ってくる。


「……お前の友だちはなかなか大胆だな」


 例のあの夜と同じ状況を再現したら、神田が相手かどうかわかるんじゃないかという話のつづきだった。


 み、未里さん、何故、今、これを送ってきますか、と思いながら、スマホを手に固まっていた。


 そんな瑞季に、了弥は冷静に言ってくる。


「だが、お前、その状況を再現するのは、あのマンションに戻るってことだぞ。

 誰かに、バーカ、とトイレットペーパーに書かれたあのマンションに」


 再現中に、その誰かが入ってきたらどうするつもりだ、と言う。


「いやいやいや。

 神田くんが本人なら、鍵持ってるの、神田くんじゃない」


「お前は、トイレットペーパーにバーカと書くような男と……」


 そこで、了弥は何故か黙った。


「……待て。

 それ以前に、お前んちの鍵を持っているのが、その相手の男じゃない可能性もあるじゃないか」


「は?」


「それはそれで、別件かもしれないぞ。

 鍵は間抜けなお前が何処かに落としただけかもしれないだろ?」


「こ、怖い想定しないでよ。

 でも、鍵は全部キーホルダーについてたんだから、それ一個落ちるのは変じゃない」


「留め金がひとつ緩んでたのかもしれないぞ」


「そうだ。

 このキーホルダーとか家にある指紋を調べてもらったら、どうかな?」


「警察にか?

 なんて言って?


 お酒はもう控えたらどうですか。

 鍵は変えてくださいって言われて終わりだと思うが」


 そういえば、鍵はどうなったの? と言いかけてやめた。


 手配できてると言われたら、此処、出てかなきゃいけないな、とちょっと思ってしまったからだ。


 口を開いてしまったので、なにか言わねば、と思い、

「お腹空いた」

と言うと、


「唐突だな」

と言われる。


「じゃあ、買いに行くか」

と言うので、


「外で食べてもいいよ。

 あとで、パックとか片付けるのめんどくさいもんね、買ってくると」

と言うと、お前のいい方でいい、と言ってくれるが、了弥は出たいようだったので、それに従うことにした。


「焼き鳥とかどうだ?」


「いいねー。

 でも、それだとまた、吞みたくなるけど」

と言うと、


「今日は俺が居るからいいだろ」

と言ってくる。


 いやあの……今度は、貴方相手に間違いを起こして、此処からも叩き出されるとか勘弁なんですが、と思ったが、結局吞んだ。




 問題の日曜日。

 神田との約束は昼前だったが、了弥が接待ゴルフに行くので、一緒に早く起きた。


 すると、神田から、メールが入ってきた。


「休みなのに、朝早いな、教師」

ともう支度を済ませ、珈琲を入れながら、了弥が言ってくる。


「……迎えに来るって」

「何処に?」


 一応、天ぷらの店の場所は教えたけど、迎えに行こうか、と書かれていた。


「マンションにかな?

 私のマンションを知ってるかどうか知らないけど」


「じゃあ、カマかけてみろよ。

 マンションまで来てって」


 その夜の男なら、場所知ってるだろ? と了弥は言う。


「……場所は何処? って訊いてきた」


「じゃ、やっぱり、駅で待ってる。

 その方がわかりやすいからって入れろ」


 もういっそ、貴方が打ってくださいよ、と思いながら、打ち返したのだが。


「いいよ、家まで行くって言ってる」


 ちょっと困った展開になってきたぞ、と思った。

 あのマンションと此処はちょっと離れている。


 了弥がこちらに来て、

「大丈夫か、それ。

 家に上がり込もうって魂胆じゃないだろうな。


 ……まあ、お前とお前の友だちの策略には合ってるからいいのか」

と言ってくる。


「合ってるわけないじゃん。

 っていうか、神田くんが、あの夜の人じゃないのなら、そんな状況になるわけないじゃない。


 もう~、未里は無理難題ばっかり言ってくるんだから」

と大丈夫、駅まで行く、と打ち返した。


「なにが無理難題だ」

「だって、神田くんとそんな、無理だよ」


「お前が誘えば、別に無理じゃないだろ」


 誘えば、落ちるよ、と言ってくる。


「いや……」


 そんな真顔で言われても、と思いながら、

「誘わないよ。

 帰って了弥とDVD見る」

と言うと、少し笑ってくれた。



 

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る