報告してね
「真島くん」
廊下を歩いていた了弥は、専務に呼び止められた。
「日曜は暇かね」
……暇じゃないです、と了弥は心の中で思った。
あの莫迦をそっと物陰から見張っておこうと思っていたのに、ゴルフに誘われてしまう。
断りたい。
そう思ったが、専務の後ろに居る本部長が目で訴えてくる。
断るな~っ、と。
笑顔の専務との対比が怖い、と思いながら、
「はい、大丈夫です」
と答える。
自分を押してくれた本部長の顔を潰すわけにはいかない。
専務に頭を下げながら、あの莫迦、新たなトラウマを作ってくるなよ、と思っていた。
『スグ帰レ
連絡シロ』
というメールを社食で見た瑞季は、電報か、と思う。
いや、そんなもの受け取ったことはないのだが。
まだ披露宴もしていないし。
未里め、暇だな、と思いながら、スマホをポケットにしまうと、前の席に居た笙が、
「誰? 彼氏?」
と訊いてきたあとで、
「ああ、そうか。
彼氏はないよね」
と余計なことを言いかけ、社食の中を見回そうとする。
ゴツッとテーブルの下で蹴った。
はいはい、と笙は黙る。
みんなが居るので、エレナも追求することなく、知らん顔をしていてくれた。
社食を出て、自動販売機で珈琲を買いながら、エレナが言う。
「そういえば、どうなったの?
あの逃亡男は」
……逃亡男ってな。
でも、まあ、そうか、と思った。
朝、なにも言わずに逃げたのは、逃亡したに等しいよな。
やっぱり、探す意味はないかな、と改めて思う。
でも、やっぱり、初めての相手だから、誰なのかくらいは知っておきたい。
そう言うと、エレナは、
「知らない方がいいような人かもよ。
だから、顔が思い出せないんじゃない?」
と言ってくる。
うっ。
まあ、そういう想定もあるか、と思った。
紅茶を買い、熱いな、と思いながら、ちょっと口をつけてみる。
最近は、了弥の淹れる美味しい珈琲に慣れているので、珈琲は外ではあまり飲む気がしなかった。
「そういえば、真島課長とはあれからどうなったの?
しゃべっちゃったんでしょ?
怒ってる?」
「うーん……。
怒ってるっていうか。
心配してるかな?」
「なんか……怖いくらいやさしいわね、意外にも」
と言ってくる。
「いや、でも、別に、了弥に叱られる理由もないしさ、よく考えたら」
まあ、それを言うなら、家に泊めてもらう理由もないのだが。
鍵の件もどうなっているのか、了弥に訊いても、まだ返事がない、の一点張りだし。
でも、正直言って、居心地がいいので、積極的に出て行きたくはないのだが。
いつまでも、世話になっているわけにもいかないしな、と思ってはいた。
「で、その朝帰り男の候補って、見つかったの?」
ちょっと気を使ってか、今度は、逃亡男とはエレナは言わなかった。
「うーん。
一人だけ」
「いい男?」
「うん、まあ」
いい男っていうか、綺麗な顔してるよな、と夕暮れどきに校庭で会った神田の顔を思い浮かべて思う。
「どっちにするの?」
「どっちって?」
「真島課長とどっち?」
「いやいやいや。
了弥が出てくる意味がわからないし。
神田くんだって、エレナが言う通り、逃げて、知らんぷりしてるのかもしれないし」
「じゃ、やっぱり、両方やめて、次行った方がいいよ」
……話早いな、エレナ。
だが、家に帰ると、話の早くない人が待っていた。
『もう~っ。
今日一日気になって、なんにも手につかなかったわーっ』
と電報女が叫んでいる。
いやいやいや、未里さん。
ちゃんと主婦して、と思いながら、
「みーちゃんたちは?」
と訊くと、旦那と風呂、と言う。
さっき、帰ったとメールは入れておいたのだが、子どもたちが風呂に入って、ゆっくり話せるタイミングを待っていたようだった。
トイレットペーパー事件から、此処に至るまでを話すと、
『随分心の広い課長だね』
と言う。
「いやいやいや。
心広いもなにも、了弥とは付き合ってるわけじゃないから」
そう答えると、
『莫迦ねー。
なにもないのに、家に泊めたりするわけないじゃないのよ』
と言ってくる。
うーん?
どうなんだろうな、と思っていると、
『でも、そうか。
神田くんと会ったんだ?
それで、神田くんは、あの夜の相手だって認めたの?』
と核心を突いてくる。
「それがなんかこう、のらりくらりとかわされちゃって、よくわかんないのよ」
で、日曜に会うことになった、と言うと、
『じゃあ、神田くんじゃないんじゃない?』
と言ってくる。
「そうかな?
私もそうかなとは思うんだけど、だったら、そう言えばいいと思わない?」
『そりゃ、あんたに気があるから、勘違いさせときたいんじゃない?
そうだ。
試してみれば?』
は?
『実際、同じ状況になれば、神田くんがあの夜の男かどうか、わかるんじゃない?』
もしもし、未里さん?
他人事かと思って、貴方、なにを言ってらっしゃいますか、と思った。
『そうだ。
そうしなさいよ。
あっ、みーちゃんっ。
ひとりで此処まで出てきちゃ駄目っ。
びしょ濡れじゃないーっ。
じゃあね、瑞季っ。
結果わかったら、電話してっ』
決定かっ、おいっ、と思った瞬間に切れていた。
「ただいま。
どうかしたのか?」
と後ろから了弥の声がする。
「いや……なにがなんだか」
とスマホをつかんだまま、瑞季は呟いていた。
「おはようございます」
朝、月橋エレナは、いつものように、まんべんなく皆様に愛想の良い顔を向けながら、出社した。
「おはよう」
「おはようございます、エレナさん」
男性社員も後輩の女子社員もにこやかに返事をしてくれる。
鏡で隅々までチェックしてきた私は今日もパーフェクトだ、と思いながら、エレベーターに乗ると、真島了弥が乗っていた。
ちょうど、開閉ボタンの側に居たらしく、押してくれている。
「す、すみません、課長」
了弥は、なにも言わずに、手を離した。
他に乗ってきそうな人間が居なかったようだ。
すぐに扉は閉まり、了弥はなにも言わずに、手に持っていたなにかの書類を見始めた。
顔はいいんだけど、愛想がないよな、この人、と思いながら、横顔を見ていると、いきなりこちらを向き、
「なんか用か、月橋」
と言ってきた。
ひいっ、と身をすくめる。
顔が整ってる分、真面目な顔をされると怖い。
身長もあるから、かなり上から見下ろされているし。
「なっ、なんでもないですっ」
と言うと、そのまま、了弥はまた、何事もなかったかのように、前を見る。
だが、フロアに着いても、了弥はすぐには降りなかった。
エレナが降りるまで、開くボタンを押してくれている。
「あ、ありがとうございます」
と頭を下げ、エレナはエレベーターを降りた。
すぐに後から降りてきた了弥を振り返りながら、やさしいんだけどな。
どうもやさしさがわかりにくいよな。
瑞季には、ストレートにやさしいのかな、と思ったが、すぐに職場で、了弥に、めちゃめちゃ怒られている瑞季を見て。
……いや、そうでもないな、と考えを改めた。
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