日曜日の約束


 二人で食器を片付けたあと、了弥が珈琲を淹れ、瑞季はソファに座って、スマホを見ていた。


 すると、メールが入ってくる。


 あ、神田くんだ、と思って、それを開いた。


『日曜日、天ぷら食べに行かない?

 美味しいところがあるんだ』


 天ぷら。

 いいねえ、と瑞季は笑い、

『了解ー(⌒∇⌒)』

と打ち返すと、


『相変わらず、シンプルだね(笑)』

と入ってきた。


 ま、確かに、返事が短い、とよく言われる。


 そのとき、

「ほら」

といい香りのするマグカップを目の前に差し出された。


「あ、ありがとう」

と言うと、側の肘掛に腰掛けた了弥は、上からスマホの画面を見ながら、


「人に珈琲淹れさせといて、男とメールか」

と言ってくる。


「いやいやいや。

 了弥が淹れてくれるって言ったんじゃないっ。


 別に見られてまずいメールでもないしさ」


 っていうか、了弥と付き合ってるわけじゃないし、関係ないのでは? と思っていた。


「はい」

とメールを見せようとすると、了弥は顔を背ける。


「俺は人様のメールを勝手に見るようなことはしない」


 いや、今、見たじゃん、と思っていると、

「お前も俺からのメール、人に見せたりするなよ」

と言ってくる。


「別に見せないよ。

 見せたくなるような内容でもないし。


 ま、見せてまずい内容でもないけどさ」


「……人に見せて、自慢したくなるような内容で打ってやろうか」

と了弥は顔を近づけ、言ってくる。


 顔、近いっ、と思いながら、赤くなって後ずさり、

「じゃあ、今から打ってみて。

 人に見せたくなるようなメール」

と言うと、


「待て。

 今、考えるから」

と言う。


「なによ。

 なにも考えてなかったんじゃんーっ」

とその肩を引っ張った。


「やめろ、脱げるだろうがっ、痴女っ」

「誰がよっ」


 下がりかけたTシャツを引っ張り上げながら、了弥は言う。


「お前さ、もし、その、みだらな行為に及んだ相手を発見しても――」


「なにそのニュースの常套句みたいなの……」


 私は児童買春で捕まったオッサンか、と思っていると、

「相手を責めるなよ」

と了弥は言ってきた。


「なんでよ」


 いや、責める予定は特にはないが、何故、知りもしない男をかばう、と思いながらも訊き返すと、


「そういうときって、相手だけが悪いとは限らないだろ」

と言ってくる。


「強姦したんじゃない限り。

 多少、強引だったとしても、お前にも問題があったんじゃないか?」


「私に?」


「例えば、ほら……」

「隙があるとか?」


 いや、そうじゃなくて、と了弥は言う。


「例えばその……お前がすごく……」

「色っぽかったとか」


「それはない」


 即行否定か。


「じゃ、積極的だった」


「それもねえだろ。

 阿呆なこと言ってないで、さっさと風呂にでも入れよ」


「……了弥が振ったんじゃないの、この話」




 文句を言いながらも、風呂に行く瑞季の背を見送りながら、了弥は、言えるかっ、と思っていた。


 本人を目の前にして、

『お前がすごく可愛かったから』なんじゃないかとか。


 ……なんか、そろそろ殴りたくなってきたな、と思いながら、おのれのスマホをいじる。


 そこにある画像を見て笑った。

 



 さてさて、寝るか。

 ……それにしても、すっかり人様のうちでくつろいでいるが、いいのだろうか、と瑞季は思う。


 部屋を貸してくれている兄夫婦に言ったら、殴られそうだが、この家の方がなんだか落ち着く。


 そんなことを思いながら、ベッドに入ろうとした瞬間、スマホが鳴った。


 神田だった。


「はい」

と出ると、店の予約をしたという電話だった。


『そんな畏まった店じゃないんだけど、混むからね』


「そうなんだ?

 ありがとうー」

と言いながら、布団に入る。


 少し沈黙があった。


 どうしたんだろ、と思っていると、

『日曜に約束しなきゃよかったよ』

と言ってくる。


「あ、なんか用事できたの?

 だったら……」


 日にち変えようか? と言ったのだが、神田はそうじゃない、と言う。


『だって、日曜に約束しちゃったから、日曜まで会えないじゃない』


「え、いや、別に、それより早くてもいいけど?」

と言うと、神田は苦笑し、


『うん。

 いや、いいよ。


 日曜の方がゆっくりできるしね。

 ごめんね。

 夜遅くに。


 おやすみ』

と言って、電話を切った。


 なんなんだろうな、と思いながら、スマホを置いた。


 よくわからないけど。

 別に他の日でもいいんだけどな、と思いながら、、布団に潜ろうとした瑞季は、わっ、と声を上げる。


 薄く開いた扉から、誰かがこちらを覗いていたからだ。


「……り、了弥?」


 すぐに扉が開いた。


「なにしてんの?」

と言うと、


「いや、……今日は、うなされないのかなと思って」

と言う。


「あ、心配してきてくれたの? ありがとう」


 そう微笑むと、罰が悪そうに、いや、別に、と言ったあとで、


「じゃあ、なにかあったら、呼べよ」

と言って行ってしまう。


「ありがとう」

ともう一度言い、電気を消した。


 うん。

 大丈夫。


 了弥が近くに居てくれて。

 なにかあったら、駆けつけてくれるってわかってるから。


 だから、安心して眠れる。


 あのときも了弥が助けに来てくれてたらな、と思ったあとで。


 ……いや、そうでもないか、と思った。


 助けて欲しいとか思ってなかった気がする。


 封印していた記憶が蘇りそうになり、また慌てて、蓋をしてしまう。


『お前みたいな貞操観念の強い奴はいき遅れるぞっ』

 ふと、大学のとき仲良かった男の子に吐かれた暴言を思い出す。


 深く考えないようにしてたけど。


 なにゆえ、私はあのような行為に及んだのか?


 自分から?


 相手から?


 望んで?


 無理やりか?


 自分が望んでというのはちょっと考え難い気もしたが、もし、無理やりではなく、両思いでそうなったのなら、ケロッと忘れている私はひどすぎるな、とちょっと思った。


 相手……誰なんだろうなあ。


 神田くん……?


 ピンと来るような来ないような。


 嫌いじゃないけど、そういうのとは違うような。


 そんなことを考えているうちに寝てしまった。




 了弥はそうっと瑞季の部屋のドアを開けてみた。


 瑞季はすやすやと眠っているようで、ほっとする。

 こう何度も覗いていると、俺がヤバイ人だな、と思いながらも。


 それにしても、瑞季はピュア過ぎる。


 なにが、ありがとう、だ。

 お前が誰かとしゃべってたから、気になって覗いてみたんだろ。


 俺が夜這いに来たのかもしれないのに、なにが、『あ、心配してきてくれたの? ありがとう』だよ。


 しかも、とびきり可愛い顔で笑いやがって。


 此処に居てくれるのはいいが、指一本触れられないとか意味がわからないし。


 だが、ありがとう、と微笑んだ瑞季の顔を思い出し、まあ、あの笑顔を間近に拝めただけで、よしとするか、と思いながら、了弥は部屋へと戻った。




 いつの間にか、珈琲を淹れる係は了弥で決まってしまっていた。


 了弥が自分で淹れたのじゃないと味に納得しないから、というのもあるが、なんとなく。


 朝、朝食を終え、支度をしていると、突然、スマホが鳴った。


 えっ?

 誰だろう、こんな時間に、と出ると、相手は沈黙している。


 早朝からイタズラ電話か? と思ったが、よく見れば、未里からの着信だった。


「も……もしもし?」


 具合が悪くて、助けを求めて来たが、しゃべれないとか? と思っていると、ふいに子どもの笑い声が聞こえてきた。


「こ、子どもか」


 ときどき、友達の子どもが勝手にスマホを触って、うっかり発信してくることがあるが、今もその状態のようだった。


「もしもしー」

と子どもに話しかけるように話していると、了弥が、なにやってんだ、という顔でキッチンからこちらを見る。


『あっ。

 あんたたち、なにやってんのっ』

とすぐに未里の声が聞こえてきた。


『もしもし?

 ごめーん、瑞季。


 こいつら、勝手にかけちゃったみたい』


 こらっ、と怒鳴っている未里の声を聞きながら、

「あ、いーよいーよ」

と言ったとき、了弥が、


「おい、瑞季。

 珈琲入ったぞ」

と言ってきた。


 あ、この莫迦っ、と思ったら、案の定、耳ざとい未里は聞いていたようで。


『やだっ。

 ちょっと、今の誰っ?


 なんで、朝から一緒に居るのっ』

と興味津々聞いてくる。


「や、やだな。

 了弥だよ」


『……いや、あんた。

 やだな、了弥だよ、じゃないわよ。


 いつから付き合ってるのよ。

 会ったことないけど、了弥って、お宅の上司よね?』


「上司っていうか、ま、同期だけど」


『そうなんだー。

 ってか、神田くんはどうなったのよ。


 お持ち帰りされちゃったんじゃなかったの?』


 もう未里の中では、それは決定事項になっているらしかった。


 浮気じゃん、と言って笑っている。


 いや、そこ、笑うとこか?


 平和な主婦には、なにもかもが面白いらしく、いや、困ってるんですけど、と思っているのに、

『帰ったらゆっくり聞かせて』

と言って、勝手に切ってしまった。


 み、未里さん……。


 いろいろ弁解させてください……。


 そういえば、付き合ってないって話も言いそびれたし、と思っている横から、

「ほら」

と了弥が珈琲を出してくる。


 うう。

「ありがとう……」

とそれを受け取った。


「もう冷ましてあるからな」

と意外に至れり尽くせりな了弥が言うので、もう一度、


「ありがとう……」

と言い、なるほど、少し冷ましてあるそれを飲んだ。





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