イケメン様でなければ、犯罪ですよ



 あ、メールだ。


 神田が教えてくれた店は、なるほど自分好みの書店だった。


 ゆっくりと店内を周り、棚を眺めていた瑞季は、了弥からかな? と思い、スマホを見た。


 だが、それは、神田からだった。


『もんじゃ焼きとかどう?

 ビールに合うよ。


 近くに美味しい店があるんだ』


 うっ。

 今、酒はっ、と思ったのだが、どのみち、昨日も呑んでしまっている。


 ……もんじゃにビール。


 ま、まあ、いいか、とこういう誘惑には弱い瑞季は、


『もんじゃ焼き食べたことないから、食べてみたい』

と打ち返していた。


 すぐに返事が来たと思ったら、そっちは了弥だった。


 なんか恋人同士のやりとりみたいだな、と了弥からのメールを見て、赤くなったあとで、神田から返信が入ってきた。


 あと少しで終わるようだった。


『じゃあ、そこで待ってて』

と言う。


 よし、じゃあ、もうちょっと本見てるか、とコトンコトンと床が音を立てる書店の中を瑞季は歩く。


 いい匂いだ。


 古い木と本の匂い。

 昔ながらの本屋さんだ。


 狭い中に、びっしり本があって。


 引火しそうな位置に、今は火のついていないストーブがあり、反対側にはしまう気もないような古びた扇風機がある。


 そういえば、これと同じような扇風機が高校の部室にあって、スイッチ入れると、後ろに向かって吹っ飛んでたな、と思い、笑った。



 


 しばらくすると、神田がやってきた。


「お待たせ」

と言うので、


「いいえー。

 そんなに待ってませんよ、イケメン先生」

と言ってやると、ははは、と笑う。


 ……やっぱり、サラッと流すな、この人。


 了弥だったら、小突かれてるところだな、と思いながら、

「ちょっと待って」

と言った。


 長く店内を見せてもらっていたので、二冊程文庫本を買うことにした。


 レジに行っている間に、神田は本棚を見ていたようだ。


 ハードカバーの専門書だ。


 レジからそれを眺めていた瑞季のところに、今度は神田が本を持ってくる。


「待ってて。

 僕も買うから」

と言うので、笑ってしまう。


 なに? と訊く神田に、

「ううん。

 これでまた、私が本棚見に行って、新しい本持ってきたら、エンドレスだな、私たち、と思って」

と言うと、神田も笑った。


 グレーのニット帽を被った店のおじいさんが、にこやかに、

「そりゃ、うちの店としては嬉しいけどね」

と言う。


 神田が本を買うのを待って、懐かしい匂いのするような書店を出、すぐ近くのもんじゃ焼きの店に行ってみた。





 書店が昔ながらな感じだったので、もんじゃ焼きの店もそうかと思っていたら、違った。


 今どきの新しい店だ。


 なんとなく、色褪せたメニューが壁一面に貼ってあるような店を想像していたのだが。


 まあ、どっちにしても、美味しそうだな、と思いながら、座敷に座り、メニューを眺める。


 他の客が焼いている匂いが店内に漂っていたからだ。


「相楽さん、車じゃない?」

と訊いてくるので、うん、と言うと、


「じゃあ、呑もうよ」

と神田が言ってくる。


 瑞季は、笑顔のまま、一瞬、止まっていたが、結局、

「……うん」

と答えた。


「どうしたの?」

と訊いてくるので、


「あとで話す」

と言った。


 いや、すべてを話すつもりはないが。


 了弥と同じ呆れた顔を神田くんにもされるのはごめんだ。


 それに、了弥に話したときは、まだ動転していたから話してしまったのだが、かなり冷静になっている今、もう誰にも話すつもりはなかった。


 未里にも。


「素敵な本屋さんだったね」

と言うと、神田は微笑み、


「相楽さんなら、そう言うと思ったよ」

と言う。


「それにしても、神田くんが学校の先生って、ちょっと意外っていうか」


 なにかこう、エリートサラリーマンになりそうな感じだったのだが、と思いながら、そう言うと、

「そういえば、一昨日もそんなこと言ってたね」

と言われ、どきりとしてしまう。


 一昨日……。

 私、この人と、どんな会話してたんだろうな。


 早めに来たビールに口をつけたあとで、神田はグラスの向こうから、にやりと笑って――


 ……幻覚じゃないよな。


 にやりと笑ったよな、今。


 さっきまでの爽やかな笑顔を脱ぎ捨てたように、にやりと笑って神田は訊いてきた。


「どうしたの?

 相楽さん、顔色が悪いよ」


 き……気のせいですよ、と言おうと思ったのだが、声が出なかった。


 だが、神田は更に畳み掛けるように行ってくる。


「もしかして、記憶がないとか?」


 貴方、超能力者ですか?


 トドメに、

「一昨日、相当酔ってたもんね」

と言われてしまう。


「神田くんっ」

と思わず、立ち上がり叫んでいた。


「私、一昨日、なんの話してたっ!?」

と叫ぶと、神田は、こちらを見ずに、ちょっとだけ溜息をつき、


「やっぱりね……」

と言った。




 もう一口、ビールを呑んだあとで、神田は言ってきた。


「いやー、なんかそんな気はしたんだよ。

 一昨日の態度からギャップがあるっていうか。


 ちょっとよそよそしかったからね」

と。


 すみません。

 私、一昨日はどんな態度だったんでしょうか……。


 ちょっと訊くのが怖い、と思っていた。


 もんじゃを焼くのは初めてだったので、結局、ほとんど、神田にやってもらった。


「いい匂い」

と呟くと、


「余裕だねえ、相楽さん」

と慣れた手つきでもんじゃを焼きながら、神田は言ってくる。


「同窓会のときの記憶、まるっとないんじゃないの?

 自分がなにやらかしたか覚えてないのに、食欲はあるんだね」


 うっ……。


「ま、まるっととは言わないけど。

 正直言って、神田くんが来た辺りの記憶はないのよ。


 だから、電話番号交換したのも覚えてなくて」

と言うと、


「交換なんてしてないよ」

と神田は言う。


 は?


「僕が勝手に君のに入れただけ」

「え、いつ?」


「呑んでるとき。


 君がよそ向いてしゃべってるとき。

 あ、でも、スマホ借りるねー、とは言ったよ。


 君は、他の人としゃべりながら、陽気に、うんーっと言ってきたけどね」


 ……言いそうだ。


 しかし、その行為、イケメン様でなかったら、犯罪ですよ、と思った。


 この人、いつもこんなことやってんのかな。


 まあ、やられても女子、喜ぶだけだろうけどな。


 未里とかだと、嬉しいサプライズだと大喜びだろう。


 人妻なのに……。


 ま、奴の場合、旦那の前で、旦那に自慢しながら、あっけらかんと、神田に電話をかけそうだが。


「君の番号も教えてもらったよ」

と神田は自分のスマホを見せて微笑む。


 そんな素敵な笑顔で……。


 やっぱり、犯罪ですよ、と思った。


「で?」

「は?」


「なにか気になることがあって、わざわざかけて来たんじゃないの?

 すぐに呼び出しにも応じてきたし」

と言ってくる。


「神田くんは刑事みたいね」

と溜息まじりに瑞季は言った。


「知りたいことって、あれ?

 相楽さんにお持ち帰られたのは、僕かどうか?」


 瑞季は、パタッとはがしを鉄板の上に落とした。


「神田くんっ、超能力者っ?」


 神田は呆れたように、

「ただの推測だよ」

と言いながら、瑞季が鉄板に落として、持ち手まで熱くなりかけている、はがしを、はい、と取ってくれた。


「ちなみに、お持ち帰られたのが僕の場合は、超能力でもなんでもないよね」

と言ってくる。


 だが、瑞季は、ありがとう、とそれを受け取りながら、

「……いや、神田くんじゃないと思う」

と言った。


 へー、なんで? と神田が言う。


「だって、本人だったら、こんな淡々としゃべらないと思うから」


「いや、それは、ほら。

 僕はそういう性格だから」


 まあ、それはそうかもしれないが、と今までの神田の言動を思い返しながら思いはしたのだが。


「あと神田くんじゃないといいなと思って」

と付け加えると、


「なんで?」

と訊き返してきたときだけ、彼にしては、珍しく、少し喧嘩腰だった。


「だってさ。

 神田くん、私の携帯の番号も知ってるじゃん。


 それなのに、その後連絡もなかったってことは、ただの遊びだったってことでしょ?」


 そう主張すると、ぷっ、と彼は笑った。


「相楽さん、誰かと付き合ったことは?」

と訊いてくる。


「な……ないけど」

と言い淀みながらも答えると、だと思った、と言われてしまう。


「ちょっと短絡的だね。

 男女の機微もわかってないようだし」


 そんな高尚なものわかりませんよーだ、といじけていると、神田は、もんじゃ焼きをはがしながら言う。


「いやいやいや。

 そんな、君もよくわかってないような出来事なわけでしょ?


 僕もよくわかってなかったのかもしれないし。

 夢かと思ってたのかもしれないじゃない」


「だって、私のマンションから朝、帰ってるんだよ?

 夢かどうかくらいはわかるでしょ?」

と言うと、へえー、という顔をした。


 う。

 やっぱり、神田くんじゃないな、と思う。


 しまった。

 なにも知らない人に、余計な情報を与えてしまった、と後悔する。


「君のその相手がさ、かけて来ないからと言って、遊びだったとは限らないわけだよ。


 君がどういう過程でそうなったのかわかんなくて不安なように、相手もそうかもしれない。


 君からの電話を待ってるかもしれないよ」


「え……。

 そうなのかな?」


 そういう想定はしてなかったな、と気がついた。


 鉄板を見たまま、神田は言う。


「なーんて、他人事のように君に語りながら、君があの夜のことをどう思ってるのかなって測ってる僕が本人かもしれないし」


「まっ、また、そんなややこしいこと言い出さないで~っ」

と瑞季は頭を抱える。


「ほら、パリパリになってきたよ。

 これが美味しいんだよ


 はい、と取ってくれる。


「自分ではがしながら、そのまま食べたほうが美味しいんだけどね。

 君、猫舌だからね」

と言ってくるので、


「えっ、なんで知ってるの?」

と言うと、


「あの晩聞いたから」

と微笑む。


 えーと、だからそれ、呑み会のときの話ですよね?


 その後のことじゃなくて、と確認したかったが、怖くてできなかった。





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