容疑者その1(?) 教師の神田くん
「……約束したのか」
スマホを切ると、渋い顔で、了弥が言ってきた。
「だって、確かめておきたいから。
あ、CM終わってるよ」
と了弥の後ろを指差したが、そちらを振り返らないまま、
「知ってる」
と言う。
「明日は俺、ちょっと忙しいんだよな」
と渋い顔のまま、言ってくるので、
「いやいや。
ついて来なくていいよ。
神田くんも忙しいみたいだから、ちょっと話すだけだと思うし」
と答える。
そもそも待ち合わせたの、学校だし。
そんなに長くも話せないだろう。
DVDをもらって終わりのはずだ。
最後に神田と店を出たようだが、あの話しっぷりでは、おそらく、彼は関係ない……
はずだ。
気がつくと、テロップが流れていた。
『~なのだろうか』
という疑問系で終わっている。
了弥の後ろのその画面を見ながら、
「……また謎解けなかったね」
と最初からわかっていたことを呟いた。
「瑞季?」
風呂から上がった了弥は瑞季に貸した部屋のドアを開けてみた。
瑞季は慣れない場所では眠れないとか。
夕べのことが気になって眠れないとか。
そういうことは一切ないようだった。
……爆睡か。
側に行き、眠っている瑞季の顔を見下ろす。
その寝顔に笑ってみるが、ふいに腹が立ってきて、ぴしゃりとはたく。
「うう……」
と瑞季が途端に、苦悶の表情を浮かべた。
今の衝撃で、夢が悪い方向にでも転がったかのように。
悪かったかな、と思いながらも、その顔のしかめ方が子どものようで、また笑ってしまう。
まあ……面白いから、もうちょっと見とくか、とベッドの端に腰掛け、呑気に思った。
このときは――。
この油断が命取りだと、過去に戻れるなら自分に忠告するのだろうが。
ともかく、このときは、瑞季を自分の家に引っ張り込んだことで安心していた。
「じゃっ、課長っ。
お先に失礼しますっ」
五時半過ぎ、提出すべきバインダーを叩きつけるように了弥の机に置き、瑞季は言った。
「どしたの?
瑞季、なんかあるの?」
と先輩社員に訊かれる。
了弥は、まあ、せいぜい頑張れ、というように見送っていた。
学校だ。
懐かしいっ。
瑞季は神田の勤めている小学校の門の前に居た。
そこは自分たちの小学校ではなく、見たこともない他所の小学校なのだが、やはり、学校というだけで、懐かしい感じがする。
夕暮れの校庭では、遊んでいる子どもたちが居て、先生に、教育サイレンが鳴ったからもう帰れと叱られていた。
あったな、教育サイレン、と笑ったあとで、このまま入っていって、不審者で捕まえられないかな、とふと思った。
だが、さよーならー、と先生に挨拶して帰っていく、色とりどりのランドセルの女の子たちが、横を通り、
「こんにちは」
と挨拶してくれたあとで、
「誰のママ?」
と訊いてきた。
ぐはっ。
ママに見えるのかっ。
もうそんな年になったのか、と衝撃を受けたが、近くに車が止まり、若くて可愛いママさんが、その中のひとりを迎えに来たのを見て、
よ……よかった。
小学生のママってあのくらいな感じなのか、と思った。
自分が子どもの頃の母親とか、もっと年だった気がしたのだが、よく考えたら、年齢的には、かなり若い。
子どもから見たら、そう見えただけだったのかな、と認識を改める。
子どもたちが周りに群れていたこともあり、そのママさんにも、やはり、誰かのママだと思われたようで、笑顔で挨拶してくれたあと、手を引く子どもに、
「今の誰のママだっけ?」
と訊いていた。
……もう私もそんな年になったのね、と思っていると、子どもたちが、グラウンドを振り返り、
「あ、イケメン先生だー」
と言った。
未里たちが聞いたら、即座に振り返りそうなセリフだな、と思いながらも、ママと呼ばれた衝撃に、まだ、ぼんやりしていた。
「神田先生、さようならー」
「はい。
さようなら」
と夕べ聞いた声がする。
きゃっきゃ、と子どもたちは帰っていってしまった。
振り向くと、神田が笑ってこちらを見ていた。
「どうしたの? 相楽さん。
ぼんやりして。
誰かのお母さんと間違われて、驚いた?」
「み、見てたの? 神田くん」
と訊いたが、いや、と言う。
「此処に立ってると、誰でもママって言われるからね」
と言ってくる。
「あ、そうなんだ」
そういえば、と思い出して訊いてみた。
「神田くん、イケメン先生って呼ばれてるんだ?」
神田は笑顔で、
「そうみたいだね」
とサラリと流す。
うっ。
さすが、神田くんだ……、と思っていた。
なんというか。
子どもの頃から、上品な風貌で、落ち着き払っていた。
学校の先生というのが、ピンと来るような、来ないような。
しかし、相変わらず、イケメンという、ちょっと軽い言葉が似合わないくらい、顔が整っている。
夕日の中で、白い肌が一層引き立って綺麗だ。
体格も意外にがっしりしていて、悪くない。
こんな先生、子どもの頃居なかったよなーと思いながら、マジマジと眺めてしまった。
神田が
「……相楽さん、僕の顔になにかついてる?」
と訊いてくる。
「あ、ああ、ごめん。
そうだ、この顔だったな、と思ってたの」
と言うと、
「相変わらずだね、相楽さん」
と言われてしまった。
「ちょっと時間がなかったから、一枚だけ焼いてきたんだけど、DVD」
と後ろを振り返りながら、神田は言う。
「終わらないかと思った仕事が終わりそうなんだ。
もし、よかったら、一緒にご飯とかどう?
同窓会のとき、ちょっと話し足らなかったし」
と言い、神田は、同窓会で披露されたみんなのエピソードに少し触れ、笑っていた。
そ、その辺の記憶がないから、ちょっと聞きたい、と思い、
「そうだね。
じゃあ、何処かで待ってようか」
と言ってみる。
笑い話のついでに、夕べのお持ち帰りのヒントでも、と思ったのだ。
「ほんと?
悪いね。
三十分くらいで切り上げるから。
ああ、その先の商店街に、相楽さんが好きそうな昔ながらの書店さんがあるよ」
と教えてくれる。
「えっ、ほんと?
ありがとう。
行ってみる」
と言いながら、なんで私がそういう店が好きだって知ってたんだろうな、とちょっと思った。
まあ、神田くんって、昔から、騒がず、人をじっと観察してるようなところがあったから。
そう思いながら、手を振り、別れた。
グラウンドに戻りかけ、神田は振り返る。
木々と金網の向こうに、機嫌よく歩いていく瑞季の姿が見えた。
思わず笑みをこぼしたとき、ジャージ姿の若い男が話しかけてきた。
「神田センセー、また、何処のお母様ですか? 今の」
とニンマリしながら言ってくる。
「いやいや。
今のは個人的な知り合いで」
そう含みを持たせて言うと、へー、と言いながら、物珍しそうに瑞季を眺めていた。
「人は自分にないものを求めるって言うから、意外と神田先生の彼女とか、美人じゃないのかも、と思ってたんですが。
綺麗な人じゃないですか」
と言ってくる。
いやいや、なに言ってるんだ。
自分の顔が綺麗だろうが、そうじゃなかろうが、美しいものは好きだ。
だが、確かに、美人じゃなくとも、そう気にはならない。
瑞季をいいと思うのも、彼女が綺麗だからじゃなくて。
なんとなく愛嬌のある顔をしているからだ。
「今度、彼女も一緒に呑みに行きましょうよ」
と言ってくる。
瑞季を自分の彼女だと思っているようだが、特に否定はしなかった。
「で……その彼女のお友だちとか紹介してくださいよ」
と笑う男に、わかりました、と笑顔のまま頷いた。
了弥が会議室に行こうと廊下に出たところで、スマホにメールが入った。
ん? と確認すると、瑞季からだった。
『神田くんとご飯食べてきます。
了弥はどうするの?
鍵屋さん、連絡ついた?』
自分が知り合いの鍵屋に、瑞季のマンションの鍵を付け替えてくれるよう頼んでおくと言ったからだろう。
あのマンションは瑞季の兄夫婦のものらしく、鍵を付け替える話はもうしてあるようだった。
だから、あとは、鍵屋の手配だけなのだが。
『今日は遅くなるから、さっき、コンビニで買って軽く食べた。
早く帰れよ。
物騒だから。
遅くなるようなら、連絡しろ。
迎えに行くから』
と入れた。
……なんか夫婦か、恋人同士の会話みたいだな、と打ち返しておいて、ちょっと照れてしまう。
「真島、行くぞ。
どうかしたのか?」
と可愛がってくれている本部長が声をかけてくれる。
はい、とスマホをポケットに入れた。
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