昨夜の行動を調べてみる



 今日は途中で、外回りに出たので、いらぬ時間を取ってしまった。

 さて、戸締まりして帰るか、と了弥が思ったとき、スマホが鳴った。


 その名前を見て、出るのをやめようかと思ったが、結局、出る。


 俺も甘いな、と思いながら、

「もしもし?」

と機嫌悪く言うと、すごい勢いで瑞季がまくし立ててくる。


『了弥っ。

 誰かが私に、バーカッて』


「はあ?」


『バーカ、バーカッて』

「……それは俺の心の声だ」


 そうじゃなくてっ、と瑞季が叫ぶ。


『来てっ、了弥っ!』


 結局、俺を頼るくせにな、と溜息をつきながらも、手早く戸締まりを済ませた。



 

「これよ、ほら」


 トイレにしゃがんだ瑞季は、駆けつけてくれた了弥にカラカラとトイレットペーパーを回してみせた。


 バーカ、バーカ、と書かれたそれを、へー、と了弥は冷たく見下ろしている。


「その夕べの男が書いたんじゃねえのか?」

「でも、昨日はなかったのよっ」


「だから……鍵持って逃げたんだろ、そいつ」


 早く付け替えろよ、じゃっ、と行こうとする。


「待ってよ。

 見捨てないでっ」

と思わず、腕をつかむと、お前なあ、という顔をするが、止まってくれた。


 だが、

「話くらい聞いてよ。

 友だちでしょ?」

と立ち上がり主張すると、


「友だちじゃない」

と了弥は言い捨てる。


 それでも、ちょっとは哀れに思ってくれたのか。

 仏心を出した了弥が溜息まじりに言ってくれた。


「じゃあ、うちへ来い」

「えっ?」


「鍵を付け替えてもらうと言ってもすぐというわけにも行かないだろ?」


「えーと……でも、申し訳ないし」

と言ったが、了弥はそこで、腕時計を見、


「五分だ」

と言い出した。


「五分以内に支度しろ」

「えっ」


「今日、九時からピラミッドの番組があるのを忘れてた」

とさも、重大事のように言う。


「五分で支度しろ」


「テレビなら、此処で見ればいいじゃん」

と少し遅れている部屋の時計を確認しながら、瑞季が言うと、


「呑気に並んでテレビなんか見てて、いきなりわからん奴が入ってきて、ぶす、とか後ろから刺されたらどうするんだ」

と言ってくる。


「いや、トイレットペーパーに、バカとか書くような、しょうもない嫌がらせをする人が、ぶす、とかいきなり刺すわけないじゃないの」


 そう言うと、

「……なかなか鋭い読みだな」

とは言ったが、


「じゃあ、十分に負けてやる。

 早くしろ」

と結局、急き立てられる。


 なんだかな、と思いながらも、逆らえない迫力があったので、慌てて荷物を詰めた。





「でもさ。

 人が入って来れないように、玄関に物を積み上げたりしたのでもよかったかもね」


 廊下を歩きながら瑞季がそう言うと、

「火事になったら死ぬだろ」

となんだかんだで荷物を持ってくれている了弥が言う。


 エレベーターまで行ったところで、瑞季は、あ、と足を止めた。


「歯ブラシ忘れたっ。

 ドライヤーもっ」


「歯ブラシは買え。

 ドライヤーはうちにある」

と言いながら、ボタンを押す了弥の頭を無言で見ていると、


「なんだ?」

と訊いてくる。


「いや、ドライヤーとか使うんだ? と思って」

「俺の髪が乱れているとでも?」


「いや、私よりちゃんとしてるよ。

 でも、なにかこう、了弥って、あまり細かいことを気にしそうにないから。


 性格が、ざっくりというか、さっぱりというか、こざっぱりというか」

と言うと、了弥は横目にこちらを見ながら、


「……俺はお前以上にざっくりした奴を見たことがないが」

と言ってくる。


 なにか昨夜の事象に対するアバウトさを責められているようで、瑞季は黙った。


 だが、そこで、丁寧にドライヤーで髪を乾かしている了弥を想像し、あはは、と笑うと、

「お前はいつも楽しそうでいいな」

と嫌味っぽく言われてしまう。


「そういえばさー。

 美容院で、あれ、あるじゃん、ほら。


 UFOみたいな輪っかがゴーンって回ってて、薬剤浸透させるやつ。

 あれやってると、眠くなるよね」


「UFOみたいなってなんだ……」


 もうちょっとわかりやすい日本語をしゃべれ、と文句を言われたり、揉めたりしているうちに、了弥の車に乗り、コンビニに寄り、歯ブラシと朝食を買って、彼の自宅に着いていた。


「一軒家じゃん」

とその立派な庭のついた大きな家を見上げ、瑞季は言う。


 白い塀の向こうで、大きなユズリハの木が夜風に揺れている。


 今どきモダンな素敵な家だ。


「言っただろ?

 うちの親は、やっぱり、マンションの方が楽だって言って、引っ越したんで、俺が家をもらったんだ」


 え、いつ聞いたっけ? と思い、訊いてみたのだが、


「さっさと入れ」

と開けた玄関に蹴り入れられた。


 世話になっといてなんだが、どうも、いまいち優しくない奴だ……と思いながらも、お邪魔する。





 白を基調にした部屋って、白い部分が強すぎると、ちょっと落ち着かない感じがすると思っていたのだが、このリビングは不思議に落ち着く。


 わざわざ見せてある大きな梁のせいかもしれないし、トリプルガラスの大きな掃き出し窓から見える庭の木々のせいかもしれないが。


 白いソファはテレビではなく、その窓の方を向いていた。


「素敵なおうちね。

 いろいろ考えて建てられたんでしょうに、なんでご両親は出てっちゃったの?」


「いろいろ考えたのは設計士だ。

 うちの親は細かくもなく、こだわりもない人間だから、丸投げだった」


 ……そのざっくりした性格は遺伝か、と思った。


「年を取ると、戸締りする箇所が多いのがめんどくさいんだとさ。

 窓が多くて大きいのも怖いらしいぞ。


 俺は大学行ってるときは、此処に居なかったし。

 そんなに連絡も取らなかったんだが。


 そしたら、いつの間にかマンション買ってて。

 そっちの方が駅前で便利がいいから、入り浸ってるうちに、引っ越したようだぞ」


 親子関係もざっくりだな、と思いながら、

「もったいない」

ともらす。


「こんな素敵な家。

 せっかく、番犬代わりの息子が帰ってきたんだから、住めばいいのに」


 誰が番犬だ、と睨まれるが、いや、そうやって、すぐ凄むからですよ、と思っていた。


「まあ、荷物はその辺に置いておけ。

 部屋には後で案内する」

とどうでもよさそうに言った了弥は、いそいそとテレビをつけていた。


 テレビは窓と反対側にあって、ラグに座ったり寝転んだりして見るようになっている。


 瑞季はその白いソファが気に入ったので、そこに座り、背もたれに縋るようにして、了弥の頭の後ろから部屋のわりに大きくないテレビを眺めた。


 テレビがあまり存在感がないので、余計部屋の広さが目立って、庭が目に入るというか。


 自由度が高い感じがする。


 まあ、このテレビ、うちの家にあったら、大きすぎるくらいだけど。


 ついにピラミッドの謎、解明かっ? という、人生の間で、百回は軽く見たようなテロップを見る。


 まあ、解明されても面白くないけどな、などと思いながら、しばらく、二人でミイラとピラミッドを眺めていた。


 なんかくつろぐな、この家。


 いや、了弥と居ると、かな。


 それにしても、本当に好きだよな、こういう番組、と最早、自分の存在さえ忘れているかのような了弥の後ろ頭を見る。


 だが、さすがに居ることは覚えていてくれたようで、CMになったところで、

「なにか飲むか?」

と訊いてくれた。


「ああ、淹れようか? 珈琲でも」

と背もたれから身を起こしながら問うと、


「こんな時間に珈琲なんぞ飲んだら、寝られなくなるだろ。

 酒があるぞ」

と冷蔵庫を見て言う。


「いや~、お酒はちょっと……」

と苦笑いすると、さすがに懲りたか、と笑っていた。


「大丈夫だ。

 今日は俺とお前しか居ないから」


 まあ、そうなんだけど……。


「呑んだら思い出せるかもしれないぞ」

と了弥は言ってくるが、


「……思い出したいような……思い出したくないような」


 微妙なとこだな、とクッションを抱いたまま、逡巡していると、了弥が、

「どっちでもいいから、早く決めろよ。

 CMが終わるだろっ」

とキレてきた。


 ……貴方、ワタシの繊細なハートより、ミイラの方が大事ですね。


「わかった。

 呑んでみるよ」

と言うと、よしっ、と言った了弥は素早く冷蔵庫から取った缶のチューハイを投げてきた。


 いや、私の好みも訊け、と冷たいそれを受け取りながら思ったが、そのまま開けて呑んだ。


 チューハイはあまり好きではないのだが、好きな銘柄だったからだ。


 また二人で黙って、ピラミッドとミイラを見ていた。


 夫の墓に埋葬された王妃のミイラを見ながら、

「あーあ、こんな風に一人の人に添い遂げて、ひっそりと暮らすはずだったのに」

と呟くと、聞いていないのかと思った了弥が、テレビを見たまま、


「一度の過ちで人生投げるなよ」

と言ってくる。


「過ちか。

 ……過ちだよねえ」


 そうしょんぼり呟くと、

「まあ、このまま、相手の男が連絡して来ないようなら、過ちだろうな」

と断言してくれる。


 力なく、うん、そうだね、と言い、鞄から出していたスマホを見たが、特に鳴る気配はない。


 チューハイを手に、再び、背もたれに寄りかかり、

「それにしても、なんだって、私に向かって、バカだなんて書いたのかしら」

と呟くと、


「バカだと思ってるからだろ」

と振り向かないまま、了弥が言う。


 うっ……。


 確かに返す言葉もないけどな、と思いながら、スマホをいじっていると、了弥が振り返った。


「おい、何処にかけてんだ?」


未里みさと


 って、知らないか。

 同窓会で一緒だった、小学校のときの友だちなんだけど。


 今でもたまに遊ぶんだ」


 梶原未里は、ほいほーい、といつものように陽気に出てきた。


「あっ、未里。

 ちょっと訊きたいことがあるんだけど。


 私、昨日、どうやって帰ったっけ?」


『えっ?

 知らない。


 だって、ほら、うち、旦那に見ててもらってた子供がぐずったって、途中で旦那が連れてきちゃってさ。


 早めに帰ったじゃん』


 そ……そこからもう覚えてなかった。


「そ、そうだったっけ。

 あのさ、私って、誰と呑んでた?」

と言うと、は? と言われる。


「私、誰と呑んでた?

 未里たち以外に」


『なに、記憶ないの?

 お持ち帰りされちゃったとかー?』

と笑っている。


 いや……お持ち帰ったようなんですが、と思いながら、

「そうじゃないけど」

と言う自分を振り返り、了弥が見ている。


 未里は声が大きいから、話が筒抜けになっているのだろう。


 いや、いいから、テレビでも見てて、と思いながら、顔を背ける。


『あ、でも、そういえば、あんた、神田くんと訳わかんない話で盛り上がってたよ』


「神田くん?」


 神田れいの姿はすぐに浮かんだが、それは子供の頃のものでしかなかった。


 色の白い、整った顔をした子で、確か大きなおうちに住んでいた。


 みんなで遊びに行ったら、綺麗なお母さんが手作りのケーキを振舞ってくれてたな、とそのケーキの味ばかり思い出し、すぐに、今の神田玲の顔が浮かんでこない。


『なんか、変身ヒーローものの話。

 日曜の朝、うちの子とかが見てる。


 あんたが、あの番組、イケメンばっかりだって言ってて。

 神田くんも見てるみたいで、盛り上がってたよ』


 変身ヒーローものの話から、色っぽい展開にはなりそうにないが、と思いながら、


「神田くんもあの番組見てるんだ?

 日曜の朝、早くにやってるのにね」

と言うと、


『んーとね、自分が好きなのもあるけど。

 子供たちが話すからって言ってたよ』

と言う。


「えっ、神田くんって、もう結婚してるの?」


 それだと、神田くんだとヤバイ、と瞬間的に思ってしまう。


 女の子は結婚したり、子供が居る子もチラホラ居るが、男の子はまだ少なかったようなのだが。


『違うよ。

 神田くん、小学校の先生じゃん。


 学校で子供たちが話すからって言ってたよ、確か』


 神田くんが、小学校の先生?

 意外なようなそうでもないような。


『覚えてないの?

 そういえば、神田くん、遅れてきたからね。


 来た時点で、あんた、既に酔ってたような……』


 今後は自重します……。


『私、その辺で帰っちゃったからなー。

 あんた、じゃあね、バイバイ。

 今度、呑みに行こうねって手を振ってくれたのに、記憶にないのね……』


 呑みに行く約束は反故? と恨みがましく言ってくる。


「いや、わかった。

 行こう、行こう」


 ところで、神田くんの連絡先は? とは聞きづらかった。


 せめて、何処の小学校かは訊くべきか、と思ったとき、未里が、

『あっ、起きたっ。

 今、寝かしつけたのにっ。


 もうーっ。

 貴方が、テレビの音、上げるからでしょ。


 何回も見てんじゃんっ、ピラミッドなんてーっ』

と旦那に文句を言っているので、笑ってしまった。


 あっちも同じ番組を見ているらしい。


『私は、兵馬俑へいばようの方が好きなのにーっ』


 何故、兵馬俑、と思いながら、子供の泣き声を聞きつつ、電話を切った。


 溜息をついて、他の誰かにも訊いてみようかな、とスマホのアドレス帳をいじっていると、

「兵馬俑の友だちはなんだって?」

と言いながら、立ち上がり、了弥が来る。


 聞いてんじゃん、と思いながら、スマホを見ていた瑞季は叫んだ。


「神田くんだっ」


 はあ? と了弥が上から覗き込む。


 入れた覚えのない、神田玲の電話番号が登録されていた。


「……子供のときの番号とか」


「持ってたのか? 子供のとき、このスマホ」


 だよね、と呟きながら、まったく見覚えのないその番号を見る。


「かけてみようかな」


「なんて訊くんだ。

 昨日、私がお持ち帰りしたの、神田くんですか? って?


 なにも連絡してこないってことは、ただの火遊びか、その場の勢いってことだろ」


「……そうか、そうよね。

 相手も追求されたくないから帰ったわけよね。


 つまり、夕べの人は悪いひと」

と言い切ると、


「まあ、そうとは限らないが……」

と言ってくる。


 私が傷つかないように言ってくれているのだろうかな、とちょっと思った。


 スマホを黙って見つめていたが、

「やっぱ、かけるっ!」

と言うと、おいおい、という顔をする。


「あっちで、かけてくる」

とスマホを手に廊下に出ようとすると、ちょっと待て、と襟首を掴まれた。


「此処でかけろよ」


「なんでよ。

 ピラミッドの邪魔になるじゃない」


「それを言うなら、神田も見てるかもしれないだろ」


 終わってから、かけろと言うが、そしたら、十一時を過ぎてしまう。


 人に電話をかけられるような時間ではなくなるではないか。


「わかった。

 CMのとき、かけるわ」


「裏番組見てるかもしれないだろ」

「なんなのよ、あんたは……」


 いいから、此処でかけろと言うので、CMになった隙にかけてみた。


『はい』

とすぐに落ち着いた声がする。


『……相楽さん?

 どうかした?』


 少し戸惑うような、その言い方に、あ、この人は関係ないかな、と思った。


「ごめん。

 なんでもない。


 なんで神田くんの番号入ってるのかなーと思って、かけてみた」

と言うと、


『相楽さんらしいね』

と笑う。


 相変わらず、上品な物言いだ。


『それにしても、なんで入ってるのかなって、もしかして、記憶がないの?』


 ストレートに訊かれ、はは……と笑うと、神田は、

『今度、DVD焼いてあげるって言ったからだよ』

と言ってきた。


「DVD?」


 スマホに反対側から、耳を当て、勝手に了弥が聞いている。


 こらっ、と頭を押して離した。


 どうやら、例の特撮番組をDVDに焼いてくれるという話のようだった。


「そうなんだー。

 ありがとう」


『いつが暇?』


「しばらく暇じゃないと言え」

と小声で、了弥が言ってくる。


 何故、貴様が仕切るっ。


「んー。

 ちょっと今、予定がわからないんだけど」


 了弥のいいなりになるわけではないが、一応、今、世話になっている手前、そう言ってみた。


「ところで、ちょっと訊いてみるんだけど。

 昨日、私、誰と帰ったかな?」


『え?

 店から誰と出たかってこと?』


「そ、そう」

と言いながら、おかしなことを訊く奴だなと思われたかな、とビクビクする。


『ああ、僕だよ――』

と神田は言った。


 そのとき、初めて、今の神田の姿が頭に浮かんだ。


 子どものときの印象のまま、上品な美形に育った神田の姿が。


 そ、……そういえば、そうだったかも。


 店で話した勢いのまま、一緒に暖簾をくぐる神田のマボロシが見えた。


「あ、ごめん。

 CM明けたね」

と動揺しながら言うと、CM? と訊いてくる。


 しまった。

 勝手にピラミッドを見ていると決めつけてしまった、と思ったのだが、

『なんだ。

 相楽さんも見てるの。


 そういえば、昨日、朝日が今日、ピラミッドの番組があるって言ってたからね』

と笑っていた。


『で?

 いつなら、暇なの?』

と神田は、もう一度、訊いてきた。

 




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