第21話 高いところに登れ!
夜明け前のミュンヘン郊外――
列車が緩やかに走る音と、微かに明るみだした朝の光で目を覚ましたゆうきは、目の前に広がる見たことのある車内の景色にため息をついた。
「…え~、またか…」
恐る恐る視線を下ろすと、これも見たことのある…くたびれた白TシャツにGパン。洗濯もしていないままの服装にげんなりする。
(どこ向かっているんだっけ…)
けっこう緻密に書いてある健太郎の手帳を読み返し、この電車がミュンヘンに向かっていること、そして、ミュンヘン周辺では、フィッセンというパズルや映画で有名なノイシュバンシュタイン城のある街を目指していることを確認するが、フィッセンには横線が入っていた。
サッカー青年のシミズが言っていた「ノイシュバンシュタイン城は乙女向けだ」との言葉が頭をよぎる。それで予定を変更したらしい…
「何が乙女よ…行ってみたいに決まってるじゃん」
彼が何と言おうが、あのノイシュバンシュタイン城は、ゆうきにとって夢の場所だ。きっと、姫に転生したら、住むような場所だろうし、騎士に転生したら、魔族から姫を守るそんな舞台に違いない。
ゆうき自身も、自分の見たい建築の基準はよくわからないが、他人から否定されると、逆に見てみたいと思った。でも、今はとにかくミュンヘン中央駅に着かなければならなかったし、このTシャツを脱がして新しいものに変えさせるのが先決だと考えていた。
ミュンヘン駅までは、まだ時間があった。ゆうきは、主導権を健太郎に返した。
丸1日パリを歩いたおかげか、コツはつかんでいる。
自動運転モードの健太郎は、手帳を眺めている。そこに並ぶメモを、ゆうきも見つめる――「ザンクトミヒャエル教会」「聖母教会」「ティアティネール教会」「ザンクトヨハネポムク教会」。ミュンヘンの観光名所…というかおそらく見るべき建築が淡々と記されているのに、ゆうきはふと違和感を覚えた。
「…あれ?ミュンヘンオリンピックスタジアムが書いてない?」
叔父があれほど熱く語っていた場所なのに、その名前が見当たらない。
しかし、さらに気になる文字を見つけてしまった。
「ミュンヘン → アムステルダム 夜行列車」
(今日も夜行かよ!?)
ゆうきは叫びたくなる。昨日も夜行列車でろくに寝てないのに、また夜行移動とは。ホテルもとらず、いつまで続くんだこの旅は――。
ミュンヘン中央駅に到着すると、まだ街は眠りから覚めきっていなかった。
夏なのにちょっとだけひんやりとした空気の中、駅から出ると、石畳の道と古い建物が静かに佇んでいる。周囲は4階か5階程度の古い町並みだが、パリとは違い、白く、明るい。花壇が多く、全体的に華やかに感じた。
「両替しなきゃ…」
健太郎は50ドルだけをマルクに両替する。
(やばっ!ケチすぎでしょ…)
両替の後に立ち寄ったインフォメーション――観光案内所の列に並んでいたバックパッカーカップルは、宿の情報を真っ先に聞いていたのに、健太郎は宿のことには一切触れないまま地図だけを手に入れていた――。
(くそっ…夜行列車に乗るつもりか…)
インターネットが無い時代だからか、わからないモノ同士、声をかけるのが普通らしい。健太郎もカップルに声をかけ、ミュンヘンの事を聞いていた。
「旅に出たら、とりあえず高いところに登れ」
彼らが教えてくれたその言葉が妙に心に残り、健太郎は心の中で復唱していた。
健太郎はミュンヘン中央駅から、ザンクトミヒャエル教会へ歩き始めた。カップルが路面電車の方へ行ったのに、歩くことでお金を使わない作戦の様だ。
ザンクトミヒャエル教会は資料によれば、ルネッサンス期の教会だ。壁面には、いくつもの石像が均等に飾り付けられている、今までにないタイプの教会だ。
資料に書かれている「フラットな装飾にもかかわらず、マッシブな壁の持つ力強い表現が見られる」の一文に、健太郎が、教会の前で10分間――石像と化していた――
すぐ近くには、聖母教会――フラウエン教会ともいうらしい――は、巨大な2つの棟が立つ教会で、パリのノートルダムの形に近いもののの、シンプルで――とにかくでかい――
そして、「ティアティネール教会」「ザンクトヨハネポムク教会」を次々と見て回っり、Uターンして市庁舎のあるマリエン広場に出た。
ミュンヘンの街は、石造りの建物が多いが、、パリよりは少し軽い感じがする。ときより、三角屋根や教会の尖塔が空に伸びていたり、白壁の建物や、窓際の花壇がそう思わせるのか――。
「…きれいだけど、ちょっと退屈だな」
街を歩く観光客の雑踏の中、健太郎のペースについていくだけのゆうきは、目の前の景色に少し飽きてきていた。建物ごとに時間をかける健太郎の視線は、相変わらず建築のディテール――つまり細かい部分に注がれているが、ゆうきの心は宙を漂っていた。
「スマホがないと退屈だ!」
思わず、自分の口から出た謎の言葉に驚く健太郎――
健太郎は、市庁舎近くのバス停に腰掛け、遅めの朝食をサンドイッチで済ませた。
「高いところに登れ、か…」
サンドイッチをほおばりながら、健太郎は街を見渡し、今朝インフォメーションでもらった地図を確認する。
そして、彼の目が「オリンピア塔」に向かう。
「よし、ここに行こう」
地図をたたみ、健太郎は足を速めた。
澄んだ青空に一直線に伸びた一本の線…下から見上げるオリンピア塔は、圧巻だった。バスを降りてから見えていたその塔にむかって、公園内を進む。オリンピアパークミュンヘンという1972年のミュンヘンオリンピックの会場だった場所が公園になっているという。
オリンピア塔の展望台に立つと、ミュンヘンの街が一望できた。澄んだ空気が遠くまで視界を広げている。目の前には、まるでおもちゃのように街並みと緑豊かな公園が広がり、足元にはオリンピックスタジアムが見えた。
健太郎は思わずその景色に息を飲む。
「…なんじゃありゃ?」
膜構造の屋根が太陽に照らされ、ふわりと浮かぶように白く輝いている。地上に広がる植物の緑と池の青とに調和し、まるで全体が揺れ動く雲のようだ。
その瞬間、健太郎は何かに気づいたかのように、急に動き出した。
「急がなきゃ!」
彼はオリンピックスタジアムへ向かって走り出した。
ゆうきは健太郎の急な行動に驚きながらも、足を止められなかった。
(なんでそんなに急ぐの?)
オリンピア塔から見下ろした一瞬の景色が、健太郎に何かを伝えたのだろうか。
彼の走る足音と息遣いが、緑豊かな公園に響く。目指すは、あの雲のような屋根を持つオリンピックスタジアム。
(走るの好きじゃないんだけど…)
ゆうきは文句を言いながらも、心のどこかでワクワクしていた。
何かが始まる予感がしてならなかった。
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