第三章 自由曲線と、見えない絆
第20話 膜構造と満天の蛍
青空の下、芝生がなだらかに波打つ。
その間に浮かぶのは、人工物とは思えない、雲のような自由な造形が、広がっていた。巨大な構造物なのに、威圧感は無く、自然の地形と一体的に広がり、違和感なく存在している。
健太郎は、その建築が放つ優美さに心を奪われた。乳白色の膜屋根から柔らかな光が差し込み、ぼんやり立ち尽くす彼の顔を優しく照らす。
健太郎は、壁や床も天井も平らな、使いやすい建築こそ良いものと思っていた。もしくは、地域の文化や風土に培われた伝統的な建築が最高だと思っていた。
でも違った。知識ではなく、体がこの建築が良い!と叫んでいる。歩きだした健太郎。進むたびに、違う顔を見せるその巨大な膜の建築の前で、ついに走り出してしまった。
「こんなに自由でいいんだ…」
健太郎の建築話から、昔の健太郎に憑依し旅行してしまうという――不思議な体験をしたゆうき。でも、そんなことどうでもよくなる出来事が――ゆうきのスマホにLINEの通知が響く。
喧嘩していて話ができないいつものメンバーのひとりが引っ越しをするという。保健室通いを続ける彼女にとって、友達からの連絡は久々だった。遠くに引っ越しを控えた友人が最後に会おうと言っている。
「会いたい…けど」
教室に足を運ぶ勇気が出ない。保健室の扉が重く感じる――。友達の輪から外れてしまった自分に対する、自責の念と不安が心を締めつける。結局、教室にも行けず、LINEも返せないまま、一日が過ぎてしまった――
6時過ぎの事務所――
夕方、いつものように健太郎の設計事務所に顔を出した。事務所で、健太郎と所員が語り合っていたのは、ミュンヘンオリンピックスタジアムの感動だった。
「今まで見た中で一番良かったな…あれは建築を超えてた」
そう語る叔父の目は輝いていた。
「設計者で構造家のフライ・オットーには、会いたかったんだ…でも、ついに会えなかった」
オットーは自然界のクモの巣や動物の骨の構造等を学び、建築にその知恵を取り入れた先駆者だった。彼は環境への負荷を最小限にしつつ、心地よい人間の環境を作ることを目指したという。
「今でこそ、地球環境を考えるのが当たり前になっているけど、彼は50年以上前から提唱していたんだよね。」
叔父がビールを片手に微笑む。
「十数年前、来日したとき、行けなくてね…英語も自信なかったし…でも、もう亡くなってしまったし…会えないと思うと、今でも悔しいよ」
いつも威厳とユーモアを併せ持つ叔父が、少し寂しげな顔を見せた。行動を起せなかった後悔が、今も胸に残っているようだ。
フライ・オットーの話は、いつしかキャンプの思い出に移り変わった。
「オットーはより少ない材料を用いて、最大の効果を引き出すことを提唱しててね。それが膜構造なんだけど…。それで思い出したんだが、俺が子供の頃、テントを忘れたキャンプが最高だったんだよ」
健太郎が子供の頃に参加していたボーイスカウトのキャンプ。田んぼの中の遊休地で、テントを忘れた健太郎の班6人は、ロープと竹、ブルーシートだけで寝床を作ることになった。
「吊る、張る、支える――工夫してなんとか6人が寝られる構造にしたんだ」
ようやく完成した即席のテントに入ると、あちこちに隙間があった――でも、ランタンを消すと、その隙間から飛び込んできたのは、無数の蛍だった。
「皆で外に飛び出して、夜空を見上げたんだ…いびつな形状のみんなで考えた即席テントの周囲には、無数の蛍が飛び交い、その上には天の川まで見えたんだ!」
叔父は、懐かしそうに笑う。
「思えば、あれが俺の設計した最初の膜構造だったんだな…あれ以来設計してないけど…フライ・オットーに会いたかったな。日本に来た時、行動していれば…」
叔父はしみじみと語ると、再び同じ話を繰り返し始めた。所員の2人も、この話は何度か聞いているのだろう――ゆうきは胸元にあるペンダントをいじってみんなの後ろで聞いていた。
「ああ、また始まったな」
と思った瞬間、ゆうきは急に眠気に襲われる――。
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