第13話 ノートルダム大聖堂、再び
夕日が沈みかけた頃、健太郎の体はようやくノートルダム大聖堂に戻ってきた。
一方、ゆうきは疲れ果てていた。あの後、現代アートに埋もれたポンピドゥ・センターで、美しい観光客を追い回してはしゃいでいたのが仇になった。結局、追いつけず、完全に気力の限界だったため、また健太郎に主導権を返した。
健太郎は、時計や空を何度も見上げながら、時間を調整するようにノートルダムへ戻ってきた。どうやら、ここに来るのが彼の計画の一環だったらしい。
だが、ゆうきの興味は完全に尽きていた。
「また建築?ほんともう、勘弁して……」
朝からずっと建物をぐるぐる回り、健太郎の頭の中で流れ続ける建築解説を聞かされている。30分も同じ建物の周りを回られると、もはや苦痛だった。
(観光ガイドならまだいいけど、まとまってない思考を聞かされるのはしんどいわ……)
ゆうきの頭には、いつ帰れるのかという不安が次第に重くのしかかってきた。
「これ、いつまで続くの? 明日も? 明後日も?」
さらに焦燥感が募る。
(今日のホテル、どこなのよ!まさか、また野宿とか言わないでしょうね!?)
(昨日は警察署泊だったのに……ほんとに女の子の気持ち、全然わかってない!)
心の中で勝手に健太郎を責め、呼び捨てもすっかり日常化していた。
ノートルダム大聖堂の広場は、多くの観光客でにぎわっていた。
初期ゴシックの双塔がシンメトリーにそびえる姿は、壮麗でありながら人を包み込むような優しさを感じさせる。今朝とは違い、日本人観光客もちらほら見られ、広場全体が活気にあふれていた。
その中に、物乞いの姿がいくつか目に入る。出口で観光客に小銭を恵んでもらおうとしているようだ。
(こんな素敵な街にも、こういう人たちがいるんだ……)
その瞬間、ゆうきは現実に引き戻された。
(私は、何やってんだろ……)
不安に押しつぶされる
引きこもりだった自分が、突然パリに放り出されている状況。
友達とケンカして、謝ることもできないまま逃げ出してきた。将来がどうなるかもわからない。
(もし親や叔父がいなくなったら、私はどうやって生きていくんだろう……?)
(観光客に手を差し出して小銭をもらう生活をするのかな……)
自分に問いかけるように、不安が心を支配していく。
(勉強する意味って、なんだろう? 高校を卒業して、大学に行く意味は?)
(いい仕事について、お金を稼いで、贅沢な暮らしをするため?)
数か月前から、ゆうきの中で繰り返されていた答えの出ない問いが、また押し寄せてくる。
自分の心の奥にある本音
「かっこいい仕事も、贅沢も、別に求めてない……」
ゆうきの本音はシンプルだった。
(1日中ゴロゴロして、ドラマを見て、オシャレなYouTuberを眺めて。いつかイケメンが迎えに来てくれる――それでいい。)
(人とケンカするくらいなら、誰とも会わなくていいし……。)
(誰かに合わせてウソをつくくらいなら、布団の中でぬくぬくしていたい。)
そんな淡い願望を抱きながらも、急に心が重くなる。
「それだけなのに……」
ゆうきは胸が締めつけられるような悲しさと不安に飲まれていった。
ノートルダムのファサードが、ゆうきには急に城壁のように見えてきた。
「なんか、絶対イベントが起こるパターンの建物じゃん……」
まるでゲームに迷い込んだ気分だ。次に何が起こるのか、想像するだけで怖い。
だが、健太郎はそんなゆうきの不安などお構いなしに、堂々とノートルダム大聖堂のアーチを抜けて内部へ進んでいく。
(え、ちょっと待って、マジで行くの……?)
健太郎には、何か確信があるかのように見えた。その自信に押されるように、ゆうきも従うしかなかった。
「やめてよ、こんなところでまた何か面倒なことが起こるの、絶対イヤなんだけど!」
ゆうきはありったけのボキャブラリーを使い、健太郎に文句を言い続けた。
人に文句を言い続ければ、少しは気持ちが軽くなる気がしていたのだ。
優しい人を見つけては、ひたすら否定してみる。否定して、見下していれば、
救われる…なんて心の奥底では甘えでしかないとは思うけど…
今は、そんな状況ではなかった。
健太郎はそんなゆうきの叫びにも耳を貸さず、ただ一歩ずつ、堂々と大聖堂の静寂の中を進んでいく
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