第2話 新学期の徘徊と捜索

「二学期か……」


ついに、というか、とうとう、というか――。

ゆうきは学校に行かなければならない。他人の家に居候しながら、ずっと引きこもるわけにはいかない。


部屋の中には、まだ段ボールが積まれたままで、いとこの私物が妙に目につく。そんな部屋に朝日が差し込むたび、逃げ出したい気持ちが膨れ上がる。


「あー、めんどくさっ……」


考えるのをやめ、とりあえず家を出た。


新しい通学路の景色は、どこまでも灰色に見えた。駅までは歩いて15分もかからないはずなのに、ひどく長く感じる。赤い屋根の駅舎から電車に乗り、乗り換え駅まで15分、そこからさらに30分揺られて目的地へ向かう。


途中から地下鉄になり、窓の外は真っ暗だ。いつの間にか降りるべき駅が近づいていたのに、なぜか体が動かない。スマホを見ていたわけでもないのに、気づいたら何駅も過ぎていた。


慌てる気力もなく、知らない駅で電車を降りた。都心の駅だから人通りは多い。スーツ姿のビジネスマンに混じって、大学生も歩いているので、不審に思われることもない。ゆうきは特に目的もなく、ただ街をぶらついた。


「こういうのって“徘徊”って言うんだろうな……」


私服の学校だから、大学生のふりをすれば問題ない。交番の前を通っても、警察に呼び止められることはなかった。暑さに耐えかね、スマホで近くの図書館を調べ、しばらく避難することにした。館内で、ただスマホの画面を眺める。目だけが忙しなく動き、時間がどんどん過ぎていく――それだけの時間だった。


どこをどう歩いたのか、自分でもよく覚えていないまま、夕方には赤い屋根の駅舎に戻ってきた。家に帰りたくなくて、近くの公園の東屋で時間を潰す。9月の日差しはまだ強いが、東屋は風が通り、西日も遮ってくれるのでちょうどいい。


「さすがに今日、バレるよな……学校からも連絡いってるだろうし……」


ゆうきはポケットから大事にしている片方だけのピアスを取り出した。それは、大地震の前日に会津の旅先で出会った外国人の少女からもらったものだった。地震のあと、あの子はどうしているのだろう。日本が嫌いになってしまっただろうか……。


深い青色のガラスピアス――。不思議なほど落ち着き、嫌なことも忘れさせてくれる、特別なもの。今日もピアスの色に心を沈めるうちに、世間の音が遠くなっていく。


ふと顔に光を感じ、我に返った。陽が傾き、東屋の庇ではもう日差しを遮りきれなくなっている。スマホで時間を確認し、ピアスをポケットに戻して立ち上がった。


「あー、今日も暑かったな……。よく頑張った、自分! 帰ってシャワー浴びよ……」


遠回りをして土手を駆け上がり、河川敷から江戸川の向こうに沈む夕日を眺めた。夕焼けの空は灰色に染まっていた。


無い---

家に戻り、鍵を探そうとしたとき、ポケットにしまっていたピアスがないことに気が付いた。


「え……嘘でしょ……?」


血の気が引く。どこで落としたのだろう。公園のベンチでは確かに見ていた…。土手を駆け上がったときかもしれない……?


遠回りして帰った道を、再び引き返して探し歩く。しかし、意味もなく時間をかけた道筋は記憶の中から抜け落ち、どこを歩いたかさえ覚えていない。


「何やってんだろ、私……」


蝉の声が耳をつんざくように響き渡る。こんなにうるさかっただろうか……。


「うるさいし……もう、最悪……私ってホント、ダメな人間……」


土手の上はすっかり暗くなり、道路を照らす青白い街灯がかろうじて足元を照らしている。絶望的な気持ちのまま、スマホの光を頼りに探すが、充電は残り5%を切っていた。




「ゆ~ぅ~き~」


ふいに、叔父の声がした。


「ここにいたのか、よかった……」


帰宅が遅いゆうきを心配して、叔父が探しに来てくれたのだ。


(仕方ない……話そう)


ゆうきは諦めたように、ピアスをなくしたことを叔父に打ち明けた。そして、それは片方だけの…でも大切なものだということも…叔父は何も言わずにゆうきの話を聞いてくれた。そして、一緒に探してくれることになった。


「たぶん、土手のあたりだろうな」


叔父と二人、草むらに顔を近づけてピアスを探す。やがて、頼りにしていたスマホの充電が切れ、涙がこぼれた。


「お?これか?」


叔父の声に顔を上げると、彼は草むらの中で青く光るピアスを見つけてくれていた。




その後、叔父の提案で、近くの叔父が主宰する設計事務所に立ち寄った。古民家を改装したその事務所は、設計事務所という言葉の響きとはかけ離れた、温かみのある空間だった。


叔父は工具を取り出し、手際よくピアスをペンダントに仕立て直してくれた。


「これで無くさないよね。学校では隠しておくんだよ」


少し大ぶりのピアスは、革の細いひもを通すとちょうどいいペンダントになっている。

「うん……ありがとう」


「そういえば、学校に行ってないんだって?」

「……うん」


やはり、知られていたのだ。でも、怒られることはなかった。


「本当は行きたいんだけどね……」

「そうか…。これからどうしたい?」


「……自分を変えなきゃって思ってるけど……」


「怖い?」

「うん。でも……明日は行こうかな」


叔父は、それ以上問い詰めることもなく、ゆうきの話をただ聞いてくれた。


「ありがとう。明日は行くよ!」(嘘だけど……)

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