傷心

原田直美。



川越に生まれの川越育ち。



直美は、地元の高校を卒業すると近くの短大の国文科へ入学した。



大学時代に学費を稼ぐ為に、友達と一緒に清掃会社のアルバイトをした事をきっかけに、卒業した後は、そのまま、その会社の社員となり、新宿まで自宅から通っていた。



修一と出会う3年前の話しである。



清掃会社の仕事とは、派遣会社と提携して、テーマパークや劇場、ビル、デパート等を幅広く手掛ける。



彼女は、その会社の営業部企画課に配属された。



社長は高柳聡36歳である。



商社マンだった高柳は学生時代の友人と一緒に、清掃会社を興し、3年後には数億円を売り上げる会社に成長させていた。



いわゆるベンチャー企業で成功した成り上がり者である。



高柳は、アルバイト時代の直美の頭の良さと、彼女の可憐さにひかれ、どうしても自分の手元におきたくて、直美に就職を斡旋した。



直美も、現場での仕事をきっかけに、清掃という目立たない仕事ではあるが、奥の深さに興味があった。



昨今は、企業イメージを高めるために、整理整頓は各々の会社の社員の仕事ではあるが、



掃除等はアウトソーシングにより賄う。



ただの清掃ならばコストは比較的安く済むが、

いつも清掃が必要な場所や清潔さが要求される場所等は、プロが必要となる。



高柳達はそこに目を付けて、清掃会社を興すと、



現場に赴き、実演により作業スピードと仕上がりをアピールした。



服装にもこだわりを持った。



ディズニーランド等で働く清掃員の様に、帽子/制服は全て真っ白にした。



これが成功して、今では首都圏に支店を構えて勢力を拡大させている。



直美はアルバイト時代の経験から、次々とアイデアを生み出して実現させた。



その功績が認められ、直美は入社して僅か1年で主任に抜擢された。



「直美ちゃん、明日の土曜日は暇かな?ドライブでも行かないか!」



「済みません社長。せっかくですけど明日は家族旅行なんです。」



直美は申し訳なさそうに頭を下げた。



「仲良し家族だね、うらやましいな。」



「お先に失礼します。」



駅までの道すがら歩きながら直美は考えていた。



社長は最近、私をデートに誘ってくる。



これまでにも、ふたりで食事をした事もあったが・・・



直美は、高柳に好意はある。しかし・・・



その思いは確かなものではない。でも、私はあの人を好きになってしまうのか・・・



それは時間の問題だった。



高柳のビジネスマンとしての立ち振る舞いは、直美の気持ちを段々と引きつけてしまう。



スマートで格好が良い。



翌日、直美は大好きなお気に入りのバイクでサイクリングを楽しんだ。



高柳には、家族旅行だと嘘をついたのは、スキーシーズンも終わり、直美は春爛漫の川越の街を自転車で走りたかったからである。



春祭り!



新河岸川の川沿いには見事な桜が咲き誇る。



富士山へ向かって走る入間川のサイクリングロードも、この季節は特に気持ちが良い。



直美は高柳の事を考えていた。



私だけを思ってくれているのか・・・



それに、まわりの噂も気になっていた。



噂とは。あのふたりできている。



高柳とは、仕事上での付き合いをしているだけでプライベートではない。



まわりは、そうは思ってくれない。いっそのこと噂を現実に・・・



何を考えてるんだろ私。彼が格好良く見えるのは、いつも一緒に仕事してるからで、プライベートの彼をまだ知らない。



当然であるが、それを知りたくて直美は高柳と付き合い始めた。



高柳は、直美がデートに応じるようになると、お洒落な店や夜景等、様々な場所へ連れて行った。



いわゆる雑誌等で紹介されている大人のデートスポットである。



高柳は幾度となく直美へアプローチを掛けた。



でも直美は応じない。信じられるまでは・・・



しかし、あの出来事で直美は、高柳の本性を知って会社を辞める。



その出来事とは。


「直美ちゃん、今度の土日は時間あるかな?」



六本木の高級イタリアンの店で食事をしながら高柳は直美を誘った。



「日曜日なら大丈夫です。」



「山梨へでもドライブしないか、色んな花が見頃みたいだ。」



「聡さんにしては珍しいですね。」



プライベートである。直美は社長とは呼ばずに名前で呼んだ。



高柳は作戦を変えただけである。いくらムードを演出しても、お金を掛けても応じない。



今までの女とは違う。



スキーが趣味で大好きな事は知っていたが、自分には全く興味がない。



直美の可憐な容姿だけに興味を持っているだけの男である。



自分の女にしたい。目的はそれだけである。



「決まりだね!」



いつものように、川越まで直美を車で送り届ける。



そんな高柳でも、直美に恋をしていたのは事実であった。少しでも直美と一緒に居たかった。



ただ、この男には決定的に欠けているものがあった。



仕事では平気で人に頭を下げるが、所詮は成り上がり者である。



それをいやというほど味わう事になる。



そして日曜日。



「もしもし、直美ちゃん。今、川越インターを降りた。あいにくの雨だけどもう直ぐ着くよ。」



直美は、高柳を両親には紹介していないので、近くのコンビニの駐車場で待ち合わせる事にした。



しばらくすると、ドイツ製の高級車が直美を迎えに来た。



高柳はノーネクタイだが、いつもの様にイタリア製のブランドスーツを着こなしている。



川越から秩父、そして雁坂トンネルを抜けて甲府を目指した。



県立のフラワーパークに着いた頃は雨もあがって新緑に陽が差し込み、雨露がキラキラと輝き瞳に眩しい。



県立フラワーパークハイアットは、ゴールデンウイーク前ではあるが、大勢の人で賑わっていた。



直美はハーブ園に入り香りを楽しんだ。



山野草のコーナーには、スイスアルプスに咲く、エーデルワイスに良く似ているユキワリ草もあった。



「こんなのが千円もするのか、直美ちゃん欲しかったらプレゼントするよ。」



高柳は正直、チューリップしか知らない。



直美が楽しそうにしているのが不思議なくらいである。



「いいのよ聡さん、枯らしてしまうから。」



「えーっ!直美ちゃんでも枯らしてしまうの。案外、面倒くさがり屋さんだったりして。」



そうではない。



高山植物だからである。



お昼は、甲州名物のほうとうを食べた。



この味には高柳も感動した。



「信玄達は、こんな美味いものを食べていたんだね。戦に強いわけだ。」



当時は、今みたいな味付けではなかっただろうが、本当に美味である。



季節が初秋ならば葡萄狩り等も楽しめるが、今は若葉の頃。



しばし雨宿りをしていた小鳥達も待ち兼ねた様にさえずり始めた。



ワイナリーや硝子細工の店等を巡り、フルーツラインと称される道を走っている時だった。



高柳は煙草をきらしてしまってコンビニを探した。



ようやく見つけたコンビニの駐車場へ車を停めて煙草を買うと、店の前で吸い始めた。



煙草を吸い終えて戻ってくると「帰ろうか。」と言って、車をバックさせた。



その時!



何かに触れた感触がハンドルに伝わったのだろう。



高柳は、ものすごい形相になり慌てて車から飛び出した。



そして大声で怒鳴った。



「どこ見て運転してんだよ!百姓。」



軽トラックのおじいさんは、何度も頭を下げている。



それから高柳は、しきりに車に傷や凹みがないかを調べている。



何とも醜い顔である。



どうやら軽い接触で、高級車のボディは、かすり傷ひとつなかった様である。



警察へ事故を通報すると、高柳にも落ち度はある。



高柳は車へ戻ると、「まったくどこ見てんだか!帰ろう。」



直美は高柳の顔はもう見れなかった。



この男とは一緒に居たくない。早く隣に居る男から逃げたい!



その後、直美は気分が悪いと寝たふりをした。



私はこの男のどこが良かったのか・・・



傷心である。

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