7 紫月海音その1
大波多さんの家をあとにした僕は、道なりに歩いていた。身体には結構な疲労がたまっているはずだけど、足取りは軽い。
日ごろの運動の成果か、それとも大波多さんとの行為の余韻に浸っているからか。きっとそのどちらも、なくてはならないんだろうけどね。
見上げた先にある空はオレンジ色に染まっていて、とても綺麗だった。最近は日が長くなってきたよなぁ、なんて考えてると、ズボンのポケットが震えた。
スマホにメッセージでも届いたんだろう。取り出して確認すれば、やっぱりそうだ。
『帰るのはいつも通り? それとも遅くなる?』
「いつも通りだよ。あと五分ぐらいで着きます……っと。よし、送信っ」
メッセージに返事を返し、ひとつ息を吐く。すると再び、スマホが震えた。
『出迎えるときのオプションはどちらがいい? 笑顔orいつも通り』
「うーん……これは悩むな」
いつも通りの冷めた態度で出迎えられるのも、普段の日常の延長線上にあるみたいで興ふ――グッとくるんだけど、学校では決して見られない笑みを僕だけに向けてくれるってのも特別感があっていいんだよな……。
気づけば道端に足を止めて、うんうん考え込んでしまう始末。はたから見たら自分の影とにらめっこしてると捉えられるかもしれない。
そんな、表情に怪人百面相が宿ってしまうほどには、この二者択一は難しいといっていい。
僕にとってはどちらも魅力的で、どちらも土下座してでもお願いしたい事柄なんだから。
「……でも、やってくれるのはひとつだけだからなぁ」
前に「どっちもお願い」と返信したら「欲張りなあなたには頭を冷やす時間が必要なようね」とか返事が来て、玄関ドアにカギがかけられてたもの。
二兎を追う者は一兎をも得ずとはこのことか、と身をもって体験させられたもんな。
その後、コンビニでお詫びのスイーツを買いに行き、電話で説得してどうにか開けてもらったっけ。
自分の家なんだけど、まぁ……これに関しては欲深な僕が悪いんだけどさ。
「そのせいか、その日の夜も激しかったっけ……じゃない。ひとまず横に置いておいて、だ」
いまはこの二択からひとつを選ばなきゃいけない。
僕は大きく深呼吸をしてから、頭のなかで妄想を膨らませていく。
脳内時間で五分ぐらいだろうか? どうにかひとつに絞った僕は、先ほどのメッセージに返事を返す。
「これでよし、と……。おっ、返事が早いな」
返事は実にシンプルで、『わかったわ』とその一言だけ。早さの理由はきっと、わざわざ打ち込んでるんじゃなくて、予測変換に出てくるからだろうね。
そうなるだけのやり取りを、僕らは繰り返してきたってわけで。
なんだかそれすらも特別な感じがして、ついつい口角が緩んでしまいそうになる。
こんな顔を見せでもしたらきっと気持ち悪がられるので、パチンと頬っぺたを叩き、表情をリセット。
再び道なりに歩を進めること五分。見慣れた建物が視界の先に飛び込んできた。
二階建ての普通の一軒家、なにを隠そうここが僕の家である。
玄関ドアの前に立ち、インターホンを鳴らす。すると間髪入れずにドアが開いて、
「おかえりなさいませ、ご主人さま」
僕の姿を視界に入れたその人は、そんな言葉を口にしながら――花が咲いたような笑みを浮かべてみせる。
あまりの衝撃に心臓が口からまろび出そうになりつつも、僕はどうにか「ただいま」と挨拶を返す。
夢みたいな光景に、ついついごくりとのどが鳴ってしまった。
なんせ僕の目の前――それも、僕の自宅にいるのは。
大波多莉緒さんと並んで、学園の三大美姫のひとりに数えられる――紫月海音さんなんだから。
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