西暦683年6月 山田 猪手の離反
「納得できない」
猪手は立ち上がりながら、叫んだ。
阿止理は、以前も見た場面だと思っていた。
「我が長がそこまで腰抜けとは思っていなかった」
刀良は渋面を作りながら答えた。
「生きる為には仕方ないだろう」
「わしは、そこまでして生きたくない。申し訳ないが、この下家から抜けさせてもらう」
「俺たちもだ」入鹿を含め数人が立ち上がった。
刀良は静かに言った。
「長としては、残念だが、止めはしない」
数刻後、別室で刀良と猪手そして阿止理の三人が話していた。
「申し訳ない」刀良が猪手に謝った。
「いえいえ、下手な芝居でしたが、最後の御奉公ができて嬉しいです。入鹿も理解しています。吉備津彦に戦おうとする血気盛んな若者を抑え込むのは難しいので仕方ないです」
阿止理が発言する。
「吉備津彦の調査隊は二三日内の吉備津を出立いたします。ここに来るのは、調べながらですので、一ヶ月程後のはずです」
刀良は確認の為、猪手に質問した。
「猪手は、笠岡を経由していくのだな?」
「はい。笠氏は吉備津彦にベッタリなのは分かっていますので、下家として鞆に向かう雰囲気で簡単に挨拶します。そして、吉備津に戻ります」
阿止理が、疑問を口にした。
「本当に、こんな単純な嘘でよいのでしょうか?」
刀良が説明した。
「単純なほど混乱させやすい。それに猪手の一団が下家でないことも、分かっているはず。そして下家そのものでないにも関わらず、鞆に逃げ出すと言っている。鞆に向かわないこともわかっているはず。ではどこに向かうか?露骨な嘘だからこそ疑うはずだ」
阿止理が、再び疑問を口にした。
「下道家は大丈夫でしょうか?」
猪手が笑いながら茶化した。
「阿止理が心配なのは、下道家ではなく八木姫だろう」
阿止理は心外な顔で答えた
「あの人は大丈夫です。姫は一人になっても生きていけますし、周りが放っておかないでしょう」
刀良が真顔で言った
「『一人でも生きていける』などと八木姫が聞いたら、殺されるぞ。『周りが放っておかない』のは間違いないがな。ま、正直、今回の計画はその八木姫の計画だ。逃げ出した下家一族が山田に隠れていることを吉備津彦に伝えて立場をよくする案だ」
猪手が応じた。
「八木姫が裏切る。そして対象の下家もそれに乗っかる。老人には理解できない話だ」
刀良が補足した。
「よく考えてみろ。調査隊が急に来て見つかったら大変だ。八木姫が引き留めている間に、裏切り者が吉備津彦側の笠岡に再び逃げ出す訳だ。
笠家も対応に困り悩む。悩んでいる間にいなくなる。吉備津彦に楯突くつもりで津に戻るか、小心者として鞆に逃げるか、判断に迷うだろうよ」
阿止理が心配そうに尋ねた。
「それでは、引き留めた八木姫に疑いがかかるのでは?」
刀良が再び笑いながら答えた。
「ほら、やっぱり心配は八木姫か。大丈夫だ。姫も分かっている。というより考えたのは姫だからな。調査隊がぐずぐずする様に計らうらしい」
猪手が結論づけた。
「やっぱり、女は魔物だ」
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