西暦683年1月 三成 逃避行

刀良たち一行は、三成にある国造の下道しもつみち氏の屋敷で休憩していた。

刀良は、下道の当主である速別はやわけと会談していたが、阿止里たちは大広間でくつろいでいた。

「さすが下家の本家、下道氏の家。規模がちがう」阿止里は感想を述べた。

「おなご衆も愛想がよい」猪手も同意する。

「ここのお姫さんの八木姫やぎひめ様を見たか?、すごい美人だ」若者の入鹿いるかも首を突っ込んできた。

「そんなに美人か」猪手が反応する。

「爺さんが色目つかってどうするの」女たちがチャチャをいれた。

「うるさい。目の保養だ」

「目の保養だったら私たちを見たら」

「お前たちを見ても、目の毒とは言わぬが、保養にはならない」

「猪手の爺さんは、ご飯抜き!餓死しなさい」

入鹿も応じる。「爺さんは枯れかけている。それの仕上げか」

猪手は呆れて答えた。

「入鹿、お前、女たちの味方か?」

「当たり前でしょうが。爺さんの味方をしても見返りはないが、女たちならそれなりの見返りがある」


・・・・


阿止里は、大広間の喧噪を離れ、庭に出た。そこには池があり魚が泳いでいた。

阿止里が池のほとりで佇んでいると、近づいてくる人物がいた。

先ほど話題にでた八木姫だ。


言われるように美しい。しかし、阿止里には彼女に怖さも感じて、目を合わせられず、しゃがみこんだ。

「おぬしは刀良の下僕か?」八木姫が唐突に尋ねてきた。

阿止里は『下僕』の意味がわからなかったので、素直に答えた。

「下僕かどういったものは分かりませんが、下家一族のものです」

「下僕が分からぬか? では、刀良の召使か?」

今度は、阿止里も理解した。

「召使でも家来でもありません。下家一族には召使も家来もいません」

「では、どのような関係なのか?」

阿止里は今まで刀良との関係を考えたことがなかった。そのため、即答できなかったが、何とか答えを絞り出し、下を向いたまま答えた。

「当主と仲間たちです」


「仲間たちか。では吉備津彦殿との関係は?」

阿止里は気が付いた。刀良に対して呼び捨てで、伊佐勢理に対しては亦の名またのなの吉備津彦を使い、しかも殿を付けている。用心しなければならないと感じていた。

「この度の戦いで、温羅殿からも吉備津彦殿からも逃げて来た者です」

「話は聞いている。しかし、逃げてきたにしては、悲壮感がないし、卑下もしていない。なぜなのか?」


また分からない言葉が出てきたが、想像で正直に答えた。

「温羅殿に対しては恩義があります。ですから温羅殿とは戦いたくなかった。かといって温羅殿に味方して吉備津彦殿と戦っても勝てない。死ぬだけです。だから逃げました。戦いから逃げました。それが卑下することでしょうか?」

「男衆が戦いから逃げることは恥だと言っている。お主たちに恥はないのか?」


この八木姫の問に即答できなかった。その八木姫の横の池では魚が泳いでいた。

その魚を見て、阿止里の考えがまとまった。

一気の自分の考えを述べた。

「私たちは、漁師です。海に出て魚を捕るのが仕事です。魚を取りそこねるのは恥です。

しかし嵐に船を出しても魚は取れません。漁の為に嵐の日に海に出て死んでしまうのはバカです。嵐に海に出ないのは恥じてはありません。

私たちは戦いの民ではありません。温羅殿と戦っても吉備津彦殿と戦っても、私たちが戦えば死んでしまいます。嵐に海に出るのと同じです。ですから海に出なかった。戦いを避けました。

本当は、吉備の港に居たかった。しかし、あそこに留まれば吉備津彦殿から責めを受けます。吉備津彦殿との戦いになってしまいます。

ですから逃げました。嵐から逃げるのと同じように」


「では、逃げることが誇りなのか?」

阿止里は、八木姫からのこの問いにも即答できなかった。しばらく考え、誇りではないとは思った。

「いえ、誇りでも恥でもありません。単なる行動です」

「では、お前たちの誇りは何か?」

この問いには、常々考えていたことであり、即答できた。

「魚を取ることです、農民が良い作物を作ることと同じく、漁師はおいしい魚を取ることが誇りです」

「それは、一族の考えか方なのか?」

阿止里は一族と答えようと思った。 しかし、万一、この考えが間違いなら、一族に迷惑が掛かるかもしれない。

「私の考えです。他の者たちに聞いたことはありません」

「面白い考え方だ。しかし、お前たちの行動を見ると納得できる考え方だ。今まで、お前の様に、自分の考えをしっかり言えるものは居なかった。 面をあげよ。お前の名は何と言う?」

阿止里は、八木姫を見上げて、答えた。

「阿止里と申します」

「覚えておこう。もうじき、兄者と刀良殿との話が終わるはずだ。戻った方がよいぞ」

「はい。では失礼いたします」

阿止里は、八木姫は最初『刀良』と呼び捨てにしていたのが、今回『刀良殿』と変わっていることに気づいた。

八木姫の目は恐ろしく思えていたが、真正面から見た時、瞳に優しさがある様に思えた。


・・・・


夕食の後、阿止里は刀良に呼び出された。

「これから忙しくなる。詳しくは言えないが、阿止里、お前にも働いてもらう」

阿止里は、『何をいまさら』と思ったが、刀良がこの様な言い方をすることは、普通の働きでないことに気が付いた。

「はい。死ねと言われれば死んで見せます」

「そんな、仰々しいことではない……近いかもしれないな。場合によっては嘘をつき、偽りの生活をしてもらうかもしれない」

「はい。必要とあれば、なんでも」

「分かっていると思うが、楽々森彦となった多智麻呂は、吉備津彦の周りで吉備の為に動いてくれている」

なぜ、楽々森彦の名が出てくるか分からなかった。

「下道家を含め国造衆すべてが、吉備津彦の配下になる」

「それって……」

「国造衆の一部は、楽々森彦と同じような動きをするが、本当に吉備津彦の配下に入る者もいるだろう」

「裏切って吉備津彦の配下になるは、どの一族ですか?」

「笠一族は、元々温羅殿との関係は薄かったから、本心で吉備津彦に従っているようだ。他の国造衆は分からない。もっと正確に言えば、吉備津彦に従っているか裏切っているか、周りに伝えていない様だ」


刀良は一呼吸おいて、言葉を続けた。

「国衆が自分の対応をお互いに伝えない様にすれば、その一族が裏切っていることを吉備津彦が知ったとしても、犠牲になるのはその一族だけだ。他の国造衆に影響がないようにする為だ」

「吉備津彦は疑心暗鬼になりますね」

「そうだ。そこで我が下家だ。我々は、幸運か不運か、温羅殿とも吉備津彦殿とも戦っていない。全ての国造衆と行き来できる」

「まさか、その連絡役を……」

「その通り。阿止里、お前は人の話を聞きだすのがうまい。適役だと思う」

「連絡なら、多智麻呂がいるのでは?」

「楽々森彦は吉備津彦の内部からの情報入手が仕事だ。どうしても外部で動ける人間がいる」

阿止里はこの仕事から逃げられないと悟った。それにあちこち見聞きできるのは悪くない。

「はい。分かりました、具体的にどうすれば良いか分かりませんが、精いっぱい努めます」


刀良は、急に雰囲気を変えた。

「ところで、お前、八木姫殿と何を話した?姫はお前のことえらく気に入っているぞ」

「何を話したって……戦いを逃げたこととか、恥とか、以前、刀良様や猪手殿が話していたことを話しただけです」

「あの『立派な不名誉な戦い』か。お前なりの解釈で話したみたいだな」

「私なりの解釈と言うより、私が理解できる範囲で話しました」

「それで、気に入られたみたいだな。『しっかり自分の意見を持っている』と言われた」

「は~」

「その八木姫殿がお前を呼んでいる。この話が終われば、奥の部屋に来てほしいそうだ」

「へっ」

「一つ助言しておこう。この下道家の当主は表向き速別殿になっているが、本当の当主は八木姫殿だ」

「え~っ」

刀良は笑いながら追加した。

「用心してかかれよ」


阿止里が部屋を出ると、女中が待っていた。

『これでは逃げ出せない』と思いながら、案内されて奥の部屋に着いた。

「阿止里です」そう声を出さざるを得なかった。

「お入りなさい」そう中から声がした。

女中に案内されて入った部屋は思ったより小さかった。しかし、奥の机には多くの書物が山積みされていた。

案内した女中は部屋の入口で控えた。

阿止里は部屋に入って座ったが、何を言ってよいか分からず、頭を下げたままでした。

「面を上げなさい」

「はい」


八木姫の瞳には、昼間会った時の怖さがなかった。

「刀良殿から話を聞いていますね」

阿止里の頭の中では、『八木姫が本当の当主』の言葉の方が響いていたが、その話でないことは理解していた。

「刀良様からある程度は聞いています」

「この下道家は吉備津彦殿に与します。都の大王おおきみに仕えるおみになります。

その為、あなた方のことも吉備津彦殿に伝えざるを得ません」

『やはり当主だ。恐ろしい』と阿止里は思った。


八木姫が微笑みながら追加した。

「とは言え、下家の準備が整ってからですが。これからは、あなたはあちこちに行くことになります」

『その事は刀良から聞いている』と思った。

「その際、あなたは秘密を持っていることが多くなります。周りの者はあなたのその秘密を聞き出そうとするでしょう。場合によっては責め具をつかっても」

「はい。その覚悟は出来ています」

「この短刀を差し上げます。以前、温羅殿から頂いたものです。どうしようもなくなったら、これで自決しなさい」

自決云々より短刀を温羅殿から頂いたことに、阿止里は驚いた。

「温羅様の刀……」

阿止里は『温羅の刀』で頭がいっぱいになり、なにも言えなくなった。

突然、八木姫が笑い出した。

「やはり、自決より短刀に驚いたようですね。孫美、私の勝ちですね」

阿止里は八木姫が何を言っているか分からなかった。


「阿止里殿、後ろで控えているのは、孫美。今は私の教育係ですが、温羅殿の付き人だった者です」

「温羅殿の付き人……」

「その孫美と賭けをしたのです。阿止里殿が自決の言葉で驚くか、温羅殿の短刀で驚くか」

その孫美が答えた。

「お姫様の目が正しかったようですね。人の死は恐れ命を大切にするが、自分の死は顧みない人の様ですね」

阿止里はまだ、当主と温羅様の刀のことで頭がいっぱいだった。


八木姫は笑いながら言った。

「まだ驚いているようですね。温羅殿とは昔からの知り合いです。温羅殿が覚悟を決めたのはこの屋敷です。

申し訳ありませんが、昼間、池のほとりであなたを試しました。

この短刀は守り刀です。何かの折にあなたを守ってくれるでしょう。そして、最悪、吉備を守ってくれるはずです」

阿止里はやっと考えられる様になった。

「なぜ、そこまで、私を試したのですか?」

「これから本当の戦いになります。あなたがたが言う不名誉な戦い、温羅殿が望んでいる死者の少ない戦いが始まります」

「具体的はどのような戦いでしょうか?」

「それは、知らない方がよいでしょう。そうすればその話は漏れることもありませんから」

阿止里は、この秘密にする対応の考え方で八木姫と刀良が話していたであろうことまで想像できたので即答できた。

「分かりました」


孫美が付け足した。

「阿止里殿はこれからあちこちに行くはずです。この近くを通ることがあれば、ここに立ち寄って、いろんな場所の話を教えて下さい。殿方の話は固すぎ一方的すぎます。庶民の話を聞きたいです」

「分かりました。刀良様の依頼よりの難しい事かもしれませんが、色々見聞きしてきます」

孫美が妙な顔して聞いた。

「私たちの頼みが、なぜ刀良殿の依頼より難しいのですか?」

「男の興味と女子の興味は違います。そして私も男です。お二人が何を望んでいるか、なかなか分かりません」

「それでよいのです。範囲を絞れば詳しくは分かるでしょうが、範囲外の事を省略してしまいます。その省略した中に大切な事が含まれていることが多くあります」

八木姫が付け足した。

「孫美は難しく言いましたが、要するに色々な事を制約なく聞かせて欲しいのです」

「分かりました。取り止めない事柄になってしまうかもしれませんが、色々見聞きしてきます」


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