西暦682年12月 鬼ノ城 戦いらしきもの
阿止里が、息を切らして刀良のいる本陣に入って来た。
「伊佐勢理の本体は離れて行きます。多智麻呂がうまく誘導しているみたいです。」
刀良は、その報告を聞いて静かに言った。
「では、温羅殿のいる鬼ノ城に向かって進撃だ」
それを受けて、猪手が応じた。
「僭越ながら、先陣を切らせて頂きます」
猪手は立ち上がって、大声で発した。
「皆の者、出発だ。あの崖を超えたら、向こうの岩に向かって矢を射ろ。射ったものは一目散に麓に駆け下家りろ。穴栗で集合だ」
そして小声で続けた。
「温羅殿の軍勢に聞こえる様に、気勢を上げて戦うふりだけして逃げるのだぞ」
穴栗では下家家の長老たちが女子供と共に待っていた。
その長老たちは、山から下りて来た者たちの身支度を再度整えさせていた。
合流した猪手が声を発した。
「これから山越えだ。これからの道は多くの者は知らない道だ。翌朝には
刀良が
「どうした?」
「鬼ノ城に残してきた者からの連絡です。温羅殿が伊佐勢理に打ち取られたそうです。それも多智麻呂が立てた作戦で打ち取られたそうです。多智麻呂はそれで都風の名前を貰ったとか」
刀良はじっとして動かない。
阿止里は刀良が聞こえていなかったのでないかと思い、もう一度言おうかと悩んでいると、刀良は静かに声を出した。
「そうか。全ては温羅殿の
「温羅殿の謀って……」
「そうだ。自分が死ぬことだけでなく、長の誰かが自分を打ち取ることで、その長は伊佐勢理に重用され、結果、死ぬ者がすくなくなる訳だ」
「温羅殿はそこまで……」
「しかし、長たちでなく、多智麻呂だったとはな。温羅殿も苦笑いしているだろう。ところで、多智麻呂の新しい名前は何と言う?」
「
「彼らしい名前かもしれないな」
「しかし、直接手を下してはいないとは言え、元の主を……」
「多智麻呂も苦しいだろう。いや、今は楽々森彦か。これからは主人殺しの汚名を着て過ごさねばならない。しかしこれで多少は楽になる」
「楽になるって?」
「温羅殿の計画通りと言うべきか、残念ながら温羅殿は亡くなられた。これで伊佐勢理は、吉備の国造衆や長たちと戦う理由がなくなった。しかも、連れて来た部下家たちも面子が建つ。」
その刀良の言葉を聞いて、阿止里は自然と問いが口から出た。
「では、戦いは終わる?」
「残念ながら、都の本当の目的は、この吉備の支配だ。無論、私たちは都と戦っても勝てない。しかし都に蹂躙されるのを防がねばならない。その為に、彼、楽々森彦が伊佐勢理の近くにいることは役立つ。彼もそれが分かっているのだろう」
「あの女の尻を追い回していた多智麻呂がですか?」
「名前が変われば、人も変わるよ」
「あの多智麻呂がですか?信じられない。それはそうと、伊佐勢理も呼び名を改めるそうです」
「どういうことだ?」
「『吉備津彦』と呼ぶように指示を出しているそうです」
「温羅殿がいなくなったので、堂々と『吉備津彦』の名を使える訳か。そうすると、これから国造衆への圧力が掛かるな」
「はい。私はよく分からないのですが、笠の国造は、臣下の礼を取ったとか」
「『臣下の礼』とは、伊佐勢理、いや吉備津彦か、彼の配下つまり部下になったということだ。笠氏も早いな」
「笠氏は裏切ったということですか?」
「裏切ったか、楽々森彦と同じく懐に入っただけなのか、わからない。聞きに行くわけにもいかないな」
「それはお任せ下家さい、聞いてまいります」
「用心しろよ。彼らも本音はなかなか言うまい。それに我々は戦いから逃げ出した卑怯者だぞ」
「はい。有難う御座います。しかし、卑怯者だからこそ、聞きやすいこともあります」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます