西暦682年10月 加夜の庄屋 覚悟
阿止里は、
『説得できるか、逆鱗に触れ、殺されるかもしれない』
そう思いながら、通された部屋に座っていた。
加夜の長である長室が部屋に入ってくるなり、心配そうに阿止里に尋ねた。
「やはり 戦いに行くのか?」
単刀直入すぎる質問に、阿止里は緊張も忘れ答えた。
「はい、下家に徴兵がかかりました。多智麻呂が伊佐勢理の軍勢を道案内でうまく騙して、温羅殿が優勢です。伊佐勢理側の被害が甚大なので、下家も伊佐勢理側で参戦することになりました」
「津以外の長には、声がかかっていないようだな」
「はい、下家を含め数家だけです。あまりに人数を集めると、伊佐勢理側の統制が取れなくなる為らしいです」
「
「長の刀良の考えでは、
「下家単独となると、まともに、温羅殿と戦えないぞ」
ここへ来る道すがら予想していた問いが出て来たので、落ち着いて答えられた。
阿止里は微笑みながら応じた。
「はい、温羅殿と戦うふりをして、逃げます」
「それでは、今度は伊佐勢理から攻められるぞ」
「はい、ですから、温羅殿からも伊佐勢理からも逃げます」
「それは…… 笑いながら言う事か」
「すみません。しかし、笑うしかありません」
その答えで、長室は呆れた顔をしながら、言った。
「それで、頼みと言うのはなんだ?」
「不細工で不名誉な戦い方をしますので、見て
「わざわざ見に行くつもりはないが、どう言うことだ?」
「温羅殿もそうですが、我々も命がけです。私たちは命がけで不名誉な事をします。何も知らない民からさげすまれるのは仕方ありません。しかし、長には知っておいてもらいたい。そうすれば、堂々と命がけで不名誉な事ができます」
長室は少し考えてから応じた。
「あえて、恥を受けるということか。しかしなぜそれを貶す?」
「温羅殿はこの吉備の存続を望んでおられます」
「それは分かっている。ワシにも伊佐勢理側として温羅殿を討てと言われた」
「はい。しかし、温羅殿が本当に望んでいるのは、自分が討たれることでなく、吉備の存続です」
「そうだ。それも理解しておる」
「吉備の存続、それは吉備での戦いで死者が少ない事です」
「だから、お前たちは逃げるのだろう」
「はい、しかし加夜国は下家と同じように逃げ回るのは国の規模いって不可能です。かといって温羅側として戦いに参加すれば、吉備津彦から攻め立てられます」
「そうだ。だから形の上だけでも伊佐勢理側につくしかないが……」
「はい。恩義ある温羅殿と戦うことに反対する方々がいらっしゃるでしょう。逆に伊佐勢理側として戦おうとする人たちも」
「そうだ。下手をすれば、この加夜の国の中で争うが起こってしまう」
「長室様が、国内の争いを収めても、次には、やはり戦いには参加せざるを得なくなる」
「そうだ。それがお前たちを貶すことと、どう繋がる?」
阿止里はここが正念場と、長室の目を見ながらゆっくり言った。
「伊佐勢理側に聞こえる様に、下家をけなして下さい」
長室も阿止里をしばらく見返していた。
「そうか。伊佐勢理側からみれば、加夜は仲間と思ってくれるが、戦いには参加しなくて済む」
「はい、そうして戦いたがっている人たちの不満のはけ口のもなります」
「なるほど、言いたい事は分かった。分かったが、何もしないし貶すぞ。それで良いのだな」
「はい。下家はこれから不名誉な戦いをします。その戦いの真実を、加夜の長室様そして温羅様に恩義のある人たちには知っておいてもらいたい。知っている人がいる。それだけだけで私たちは不名誉な戦いを堂々と行え、色々な罵倒に耐えられます」
「しかし、それは戦いで死ぬことより苦しいぞ」
「加夜国のみならず、吉備の為です。それが、温羅殿そして刀良様の願いです」
長室は、しばらく阿止里を見据えていた。
「その覚悟見届けた。こちらも血の気の多い若者を抑え込むことにしよう」
「ありがとうございます」
阿止里は肩の荷がおりた気持だった。
退室しながら、さすが長だと思った。
まともに『戦いに参加するな』等と言えば『加夜の国を馬鹿にするな』と激怒される可能性があった。
かと言って、戦いをけしかけることも出来ない。
自分たち下家を下に置いて、蔑む様に依頼する。
そうすれば、戦わないと言う選択肢があることが、そして下家の様な事をしなくて済む事か分かると思っていた。
長の長室は、阿止里の予想を超えていた。
単に戦いに参加しないだけで無く、若者を抑え込む事まで言及した。
つまり、吉備の状況を理解させる事まで行うと言ってくれた事になる。
これで、暫くは、伊佐勢理側だけを注意しておけば良いことになる。
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