西暦682年6月 寄合の帰り 温羅の覚悟
寄合の帰り、長の刀良は、一言も発しない。
寄合での話は、相当に厳しいものであったのは、想像にかたくない。
刀良と阿止里は幼馴染みで、今は長とその配下の関係だ。
二人の父親も長とその配下だった。
2年前、漁に出た時に嵐に遭遇し、二人の父親は亡くなった。
阿止里の父親が海に落ち、それと助けようとした刀良の父親である長も海に落ち、二人とも亡くなった。
刀良は体が弱く漁には出られる体ではなかったが、下家の長男であり、頭が切れた為、下家一族の長になった。
阿止里は、小さい頃から刀良を支える様に父親から言われていこともあり、また、二人の親の死の影響もあって、刀良の付き人か召使のような働きを続けていた。
召使に近いとは言え幼馴染み、いまでも刀良から軽口をたたくことがあった。しかし今日はなにも言わない。
最初、阿止里から何か話し掛けようとしたが、寄合の部屋から出てきた刀良の厳しい顔を見たら、話しかけられなかった。そして、未だに話し掛けられずにいた。
それを察したのか、刀良は声をかけた。
「あの木陰で一休みしよう」
「はい。刀良様」
刀良はここで話しかけねば、残りの道中で話せなくなると思い、思い切って質問した。
「寄合で何があったのですが?」
無論、阿止里は、自分に詳細な事を話してくれるとは思っていない。しかし、愚直に聞くしかなかった。
刀良は道端の岩の上に座って、阿止里に話しかけた。
「阿止里。お前は温羅殿と会ったことがあるな」
阿止里は、横に座って応じた。
「はい。二、三回、刀良様の言伝でお会いしました」
「温羅殿をどう思った」
「初めてお会いした時はびっくりしました。七尺(210cm)の身長で、髪の毛は真っ赤、顔も赤い。恐ろしかった。しかし話すと、お優しい方とわかりました」
阿止里は、これだけでは刀良の問いの答えにならないと思い、言葉を繋いだ。
「一人で遠くの国から縁もゆかりもないこの国に来て、人々のために耕作の仕方や道具の作り方も教えていると聞いています」
刀良はこの答えに頷きながら問うた。
「温羅殿が、なぜこの国に来たか知っているか?」
「唐へ行く途中に船が難破して因幡に流れ着いたそうです。しかしあの風貌で恐れられ、山へ逃げ込み、最終的にこの吉備に来たと聞いています」
「なぜ、吉備に住むようになったか、聞いたか?」
「はい。吉備の人たちは、因幡やその他の国の人たちに比べ、親切だったそうです。それで、恩返しも兼ねてここに住んでいると」
刀良は、再び頷いて一呼吸してから、言った。
「阿止里。お前は人から話を聞きだすのがうまいな」
「ありがとうございます。しかし、意識して行っている訳ではありません。色んな事に興味があって、質問すると、面白い話が聞ける。それだけです。それに話すより聞く方が良いです」
「普通、人は自分の自慢話をしたがる。話を聞く方が良いというのは、阿止里の特技だな」
「ありがとうございます」
阿止里は、何を誉められたかわからなかった。しかし、褒められたことはわかったので、感謝の言葉を口にした。
しかし、これが寄合での内容にどう絡むのかわからなかった。
刀良との長い付き合いで、無駄な話題の振り方をしないことは分かっていたので、自然に次の質問が浮かんだ。
「寄合での話は、伊佐勢理と温羅殿が絡んでいるのですか?」
「絡んでいる? そうだな、まさに絡んでいるな。これからの話、他の人には言うなよ」
刀良がそんな前置きをするのは初めてなので、阿止里はびっくりした。
「はい。ほかの人には話しません」
「実はな。戦いになる。伊佐勢理と温羅殿との戦いだ」
「え! なぜ、伊佐勢理と温羅殿が戦うのですか?」
「私も納得できない。温羅殿の話では、伊佐勢理は大ぜいの家来を連れて来ている。彼らは戦く為の集団だ。だから伊佐勢理には戦いが必要らしい」
「戦う人がいるから戦う? それって山賊より酷い。山賊は奪う目的があって戦うのであって、奪う必要がなければ戦わないでしょう」
「私に言うなよ。私も納得していないのだから。しかし、山賊より酷いのは言い得て妙だな」
「しかし、なぜ、温羅殿が戦うのですか?」
「伊佐勢理には戦う目的が必要なのだ。吉備津彦命と名乗っている以上、現在の吉備の管理者と戦う必要がある。それで、温羅殿が戦うことになった」
「なぜ、温羅殿なのですか? 十人の長は?」
「皆、戦うと言った。私もだ。しかし温羅殿が止めた」
刀良は、視線を落として、言葉を続けた。
「伊佐勢理は戦い馴れしている。武器も鉄製だ。温羅殿も鉄を作っているとは言え、鍬や鋤などの耕作道具だ。戦えば負ける。全員、負ける。同じ負けるなら犠牲が少ない方がよい。だから温羅殿だけが戦う……」
「そんな…… 皆、納得したのですか?」
「責めるな! 無論、皆 反対したよ。全員、戦うと言ったよ。しかし、温羅殿は、皆に生き残るように説得した。伊佐勢理と一緒になって俺と戦えと。吉備の為に生き残れと……」
刀良は、静かに目の前の地面を見続けていた。
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