起 吉備津彦と温羅
学習会初回 西暦2025年5月12日
皆様 ご参加いただき有難うございます。
今日より、吉備の民話に関しての市民学習会を四回開催します。
この学習会は、大学でのバカな学生向けの学んだ気にさせる為の見た目だけは小難しい講義ではありません。
学術的なものより、自分たちがどこまで納得できるかということを前提に、話を進めさせて頂きます。
テーマは、有名な『桃太郎物語』の元となったと言われている『
『桃太郎物語』の由来は色々ありますが、その桃太郎は省略して、今回は、岡山そして吉備で有名な『吉備津彦-温羅伝説』そのものについてです。
『この伝説から導かれる事は何か』ということを考えていきます。
この吉備には、この伝説がいろいろな形で伝わっています。それをすべて話し始めると、これまたキリがありませんので、吉備津宮の釜鳴神事、吉備津宮縁起を前提に進めます。
この伝説は、古代、神話時代を扱ったものですから、無論、史実ではありません。
しかし、史実でない物語を庶民が伝え続けて来たということは、『本当は何か別のもの』を伝えたかったと言うことです。
それと考えていきます。
まず、多くの方はこの『吉備津彦-温羅伝説』をご存じだとは思いますが、岡山在住でない方もおられますので、簡単に説明します。
『起承転結』で言うと、次の様になります。
まずは、『起』の部分。
昔、百済からやって来た鬼の温羅が悪さするので、天皇の皇子の吉備津彦が派遣された。
次は、『承』の部分。
温羅と吉備津彦が戦い、吉備津彦が退治した。
そして、『転』の部分。
退治された温羅のドクロがうなり続けるので、窯の下に埋めたが鳴りやまない。
最後に、『結』の部分。
吉備津彦の夢枕に温羅が現れ、温羅は守り神になり、釜鳴神事が行われるようになった。
絵にかいた餅ではありませんが、絵にかいたような完璧な起承転結の物語です。
しかし、面白いことに起承転結にまとめ直すと、この伝説は二つに分かれてる事が分かります。
一つは、『起』と『承』の吉備津彦と温羅が戦い、温羅が成敗される話。
もう一つは、『転』と『結』のその成敗された温羅が守り神になる話。
無論、『桃太郎物語』は最初の成敗された話が元になっていますが、この『吉備津彦-温羅伝説』が面白いのは、二つ目の守り神になる話がある事です。
悪者を退治する、いわゆる
初回は、この『吉備津彦-温羅伝説』の起の部分、つまりイントロダクション、主人公二人の紹介の部分について、考えてみたいと思います。
伝えられている伝説の起の部分をもう少し詳しくすると、以下の様になります。
******
その王子は
頭髪は赤く、身長は4メートルあり、空も飛べた。性格は粗暴で、
彼は、総社市の
人々は都に助けを求め、
******
この話をそのまま事実として要約すると、百済からタイムマインに乗って日本に来た宇宙人の若者(温羅)と、天皇から命じられて戦う160歳の老人(吉備津彦)の話です。
二人の戦いは老人虐待の様相を帯びて……
これはこれで面白いSFの話になりそうですが、なぜこうなるか、そして、本当はどうであったのか(何を伝えたかったのか)を考えていきます。
まずは、温羅は『崇神天皇の時代に百済から来た』となっています。
第10代天皇である崇神天皇は存在しないとも、在位は紀元前97年~同30年という説などいろいろな話があります。つまり、年代は不明です。
『崇神天皇の時代』だけでは、『むかし、むかしの話です』程度のことしか語られていないことになります。
しかし、『百済から来た』というキーワードがあります。
百済は、4世紀前半から7世紀中頃まで存在した朝鮮の国です。
崇神天皇の在位は紀元前とすると、温羅はタイムマシンに乗って古代の日本に来たことになります。
温羅が日本に来ていないことになれば、伝説が成立しませんので、日本の来ていることにするしかありません。
では、いつ来て、吉備津彦と戦ったのか?
この時代における日本の歴史書は、信頼性は別にすると、『古事記』と『日本書紀』になります。
『日本書紀』には、崇神10年9月9日に「
四道将軍は、
『吉備津彦-温羅伝説』の導入部は、この『日本書紀』の記述とほぼ同じです。
『2つの資料で同じ事が書かれているから、事実だった』と言う方も居られますが、伝説はこの『日本書紀』の引用、いわゆるコピペと考えた方がよいでしょう。
『日本書紀』の記述では、崇神天皇の即位10年目に四道将軍派遣ですから、紀元前87年に吉備津彦命が派遣されたことになります。
『日本書紀』と対になる『古事記』には崇神天皇の没年が戊寅年と記載されており、258年または318年となります。
『崇神天皇の時代』を没年の318年とすれば、温羅が来たはずの百済の時代と一致します。
つまり、4世紀の古墳時代とすれば、一応は納得できる話になります。
しかし、4世紀の百済初期に来たなら、百済の人物でなく、百済に対立する高句麗等の可能性が高くなります。
百済初期に百済から王子が来ることは、無理があるように思われます。
建国当初に王子が来る必要性が見えません。
逆に、百済末期に百済から来るのであれば、戦いに敗れた王子が来るのは妥当性があります。
色々な資料では、660年に唐・新羅の連合軍によって百済は破れ、王族や遺臣たちは倭国(日本)の支援を受けて百済復興運動を起こしたが、663年の白村江の戦いにおける敗戦とともに鎮圧されたとなっています。
当時の政府、朝廷より命じられて作った『日本書紀』の年代でなく、史実から考えると、温羅が来て戦ったのは660年以降と考えるべきです。
次は、二人の主人公の人物像です。
まずは、『温羅』
『頭髪は赤く、身長は4メートルあり、空も飛べた』
これを信じれば、温羅は宇宙人になっています。
鬼としての粗暴さを強調していると考えるしかありません。
続いて、『百済の王子』に関しては、ほとんど詳しい資料はありません。
しかし、6世紀頃から、日本は百済を属国にしようとしていました。
このことが、『日本に逃げて来た』ことになったのでしょう。
また、『日本書紀』には百済から王子が来ている記述があり、ここからの影響もあったのでしょう。無論、先ほど言った様に、日本に来たのは、660年以降でしょう。
ちなみに、『温羅は、吉備冠者と呼ばれていた』ですが、『吉備冠者』の『冠者』とは、 元服して冠をつけた若者または召使の意味です。
狂言の『太郎冠者』と同じです。『太郎冠者』の太郎は筆頭のトップのことですから、一番番頭の話になります。
『吉備冠者』を直訳すると、『吉備の若者』か『吉備の召使』という意味になりますが、文面から見ると『召使』を『支配者』と勘違いしたのでしょう。
さて、もう一人の主人公である『吉備津彦命』
この名前は、『日本書紀』の『四道将軍派遣』に出ていていますが、『吉備』でわかるように地名を基本とした名前であり、
『古事記』は、『四道将軍』そのものの名称は出てませんが、王子を派遣した記述があり、名前は
また、『吉備津彦命』の『津』は港の意味であり、『彦』は管理者、『命』は命令者を意味します。
ですから、『吉備津彦命』は、『吉備の港を管理する長官』みたいな役職名になります。
『四道将軍』の四人の名前はその遠征つまり征服が終わってからつけられた名前でしょう。
そして、本名(本の名)に関して、当時、漢字は単に音を表すものです。
ついでに男性を意味する「ひこ」と、命令者を意味する「みこと」を外すと、『日本書紀』も『古事記』も、ともに『いさせり』になります。
そしてこの『吉備津彦命』である『いさせり』が天皇の皇子かどうかですが、『崇神天皇の時代に、孝霊天皇の皇子、吉備津彦命が派遣』となっています。
あてにならない『崇神天皇の時代』ですが、まずは、日本書紀のこの文章通り、年齢を考えてみましょう。
崇神天皇は、神武天皇から数えて10代目で、在位は紀元前97年~30年。
崇神10年9月9日に『四道将軍派遣』ですから、紀元前87年9月9日に吉備津彦命が派遣されたことになります。
そして、その吉備津彦は孝霊天皇の息子
孝霊天皇は、7代目であり、誕生年は紀元前342年、在位は紀元前290年~215年
『四道将軍派遣』の時つまり紀元前87年、孝霊天皇は255歳の爺さんで、自分の子供を派遣した。
そして、その孝霊天皇は精力絶倫で100歳で吉備津彦を産んだとしても、吉備津彦はこの時凡そ160歳。
この通りとすると、ものすごい高齢社会ですね。
天皇の命令で、160歳の吉備津彦が吉備冠者と呼ばれる吉備の若者の温羅と戦う……
完全に老人虐待の物語です。
ちなみに、吉備津彦は281歳で亡くなっていると書かれています。温羅との老人虐待の戦いで弱ってしまったのでしょうか?
これはこれで面白い話になりそうですが、今回は虐待でなく成敗の話。
無論、年代も違いますし、皇子というのも正当性をだす為と考えると無理がないと思われます。
まとめると、『七世紀頃、海外から吉備に住み着いた人物(温羅)を成敗する為、天皇(朝廷)から成敗する人物『いさせり』が派遣された』となります。
以後、吉備津彦は『いさせり』と書くべきですが、吉備津彦の名の方が理解しやすいのでそのままで進めます。
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