真人と真理愛②
「止めないで頂戴。恋華さんの処置が先よ」
大橋さんは常に愛し気な表情を真理愛さんに向けているのに対し、真理愛さんは真逆なほどの冷たい瞳で彼を睨んでいた。
それでも大橋さんは真理愛さんだけを熱い眼差しで見つめている。
「つれなくしないでくれ、私の“唯一”。君だって本当は私に会えて嬉しいんだろう?」
「そんなわけないでしょう!」
私の処置が先だと言って抑えていたみたいだけれど、大橋さんの言葉が逆鱗に触れたのか抑えきれず激高してしまう。
そのまま真理愛さんは怒りの言葉を大橋さんに投げつけた。
「あなたはそう言うけれど、私は“唯一”なんかじゃないわ! 勝手に“唯一”だと言って近付いて来て、共に来なければ私の大切なものを壊していくなんて脅したくせに!」
「壊す?」
「そんなあなたに付きまとわれたせいで、私は大事な家族にまともな説明も出来ないまま失踪しなければならなくなったのよ⁉」
嬉しいわけがないだろうと、叫んでいた。
でも、そんな真理愛さんの言葉がちゃんと届いているのかどうか……。
大橋さんは一見優しげに見える笑みを浮かべたまま答える。
「だって仕方ないだろう? 君は家族が
まるでそれが当然のことだとでも言うかのように、大橋さんは躊躇いもなく壊すという言葉を使う。
やっぱり大橋さんは狂ってしまっているんだろう。
彼の理性は、まともに機能していないようだったから。
そして真理愛さんの怒りを気にも留めず、「そう言えば」と軽く話題を変える。
「君は恋華さんにこれを持たせていたね」
そう言って取り出したのは小瓶。バラの形をした、真理愛さんの血の結晶。
「っ⁉」
驚く真理愛さんはちらりと私を見る。
なくすなと言われていたものを取られていて、少し気まずい。
「この君の血の結晶を見つけたとき、とてもいいことを思いついたんだ」
「……何かしら? 私を隷属させるつもり?」
「隷属? 愛する君にそんなことはしないさ」
警戒の色を見せる真理愛さんに、大橋さんは楽し気に笑う。
「最近知ったんだが、吸血鬼がお互いの血の結晶を飲み交わすと、《相愛の誓い》となって誰も二人を引き離すことが出来なくなるらしいんだ」
そしてどこからかもう一つ雫型の赤い宝石のようなものを取り出し、真理愛さんの血の結晶と並べた。
「これは私の血の結晶だ。……真理愛、もう誰にも邪魔をされない様に飲み交わそう」
「そんなこと、するわけないでしょう?」
近付いて来る大橋さんを睨みながら、真理愛さんは私をかばうように前に出る。
そんな彼女を憐れむように見た大橋さんは、突然目の前から消えた。
「え?」
「っこの!」
何が起こったのか分からない私とは違って、真理愛さんは何か反応する。
でも間に合わなかったようで、見えた顔は悔し気な表情になっていた。
その顔に「え?」と呟くと同時に、拘束されていた腕がそのまま後ろに引かれる。
肩に誰かの手が置かれたと思ったら、すぐ近くで大橋さんの声が聞こえた。
「照れていないで早く私と《相愛の誓い》を交わそう、真理愛。……それまで恋華さんは返さないよ?」
「っ⁉」
私、人質にされた⁉
それを理解したと同時に、ドクンッと今まで感じたことが無い胸の鼓動を覚える。
「っ! え?」
ドクン、ドクンと、何もしていないのに大きく速くなる鼓動に戸惑った。
「うっ……あ……な、に?」
「ん? ああ、始まったか。もうすぐ君はヴァンピールになるんだよ。その発作は直前の傾向だ」
「そ、んな……」
大橋さんの説明に絶望が広がっていく。
少なくとも二人はヴァンピールを作り出した彼の言葉だ。
間違っているとは思えない。
「この状態になっては瀉血じゃ間に合わない。ヴァンピールになりたくなければ吸血鬼になるしかないね」
ほくそ笑む、とはこういう表情のことを言うのだろうか。
思い通りに事が進みそうな状況での微笑み。
腹立たしくて、悔しくて、涙が滲んでくる。
「分かった! 分かったから! あなたの血の結晶を飲むわ。だから先に私の血を恋華さんに!」
さっきまでの様子を見ても、真理愛さんは大橋さんのことが嫌いなんだろう。
それでも彼の血の結晶を飲んで私を助けてくれようとしてくれる。
真理愛さんの血をということは、やっぱり私に吸血鬼の血を入れたのは彼女ということか。
「先に君が私の血の結晶を飲むんだ。恋華さんが無事吸血鬼になれるとなってからじゃあ、また君は逃げようとしてしまうかもしれないからね」
「しないわよ!」
焦り、叫ぶ真理愛さん。
彼女は右手を差し出して大橋さんを睨んだ。
「飲めばいいんでしょう⁉ 早くよこしなさい!」
「まあ少し待ってくれ。私が先に君の血の結晶を飲まないと。今の君が先に私のを飲んだら、隷属されかねないからね」
「くっ!」
大橋さんは真理愛さんへの愛を囁きながら、全く彼女を信用していない。
ある意味、理解しているというのかもしれないけれど……。
ギリッと歯嚙みし綺麗な顔を歪める真理愛さんは、呻くように分かったと告げる。
「分かったから、早くして!」
そして心配そうに私を見た。
ああ……櫂人と同じ目だ。
色は少し違うけれど、同じ形の切れ長な目。
優しく慈しみに溢れた眼差しは、より女性らしい感じだけれど。
本当に、私はどうして今まで真人さんが女性だと気付かなかったのか……。
どんどん熱くなる体に息が上がる。
足に力が入らなくなると、肩に置かれていた手にガシリと掴まれて無理やり立たされた。
「順調に変化していってるね。ヴァンピールになるまであと十数分というところか」
冷静に見定める大橋さんに怒りが湧く。
でも、私にはもう睨みつける力もなくて……。
「恋華さん⁉ 大橋! 早くして!」
焦る真理愛さんの声が聞こえ、大橋の口端が嬉し気に上がるのが見えた。
「分かっているよ、真理愛」
睦言を囁くように真理愛さんの名を呼びながら、大橋さんは彼女の血の結晶を小瓶から取り出そうとする。
丁度そのとき、部屋の外から慌ただしい音が聞こえドアが乱暴に開け放たれた。
「恋華!」
私を呼ぶ声に、胸がぎゅうっと締め付けられる。
嬉しくて、涙が一筋零れ落ちた。
「かい、と……」
愛しい男の姿が、そこにあった。
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