大橋の思惑

 パチン、と。


 指を鳴らす音が聞こえてハッとする。



 あれ?


 私、何してたんだっけ?



「気付いたかな?」


「っ!」



 ふわふわした意識が男の声で一気に引き上げられた。


 声の主、大橋さんを見て直前の状況を思い出す。


 確か、久島先生と保健室で話をして……私をハンター協会で管理したいからと大橋さんが学校から連れ出して――。



「っ!」



 考えて、目の前の男の狂気も思い出す。


 櫂人のお母さん――真理愛さんを自分の“唯一”だと言い、失踪した彼女をおびき出すために茜渚街へヴァンピールを解き放ったと言っていた。


 まともじゃない。



 そのまともじゃない人に、どこかへ連れて来られた。


 状況を考えるとハンター協会支部ではなさそうだけれど……。



「ここはどこなんですか? ハンター協会支部では、ないんですよね?」



 大橋さんから視線を外さないまま周囲を探る。


 灯りが点けられているから明るいけれど、窓の無い部屋みたいで今が夜なのか朝なのかすら分からない。


 どこまで連れてこられたんだろう。



「そうだよ。でも心配しなくても遠い場所じゃない。茜渚街の一角にある地下倉庫だ」


「どうして私をこんなところに?」



 遠い場所では無いことにひとまずホッとしたけれど、状況が良くなったわけじゃない。


 大橋さんを警戒しながら、問いを続けた。



「言っただろう? 君は真理愛を誘い出すための有力な手がかりだと」



 酷薄こくはくな笑みを浮かべ、彼は答える。



「朝霞から聞いたが、君はそろそろ次の処置をしなければならない時期だったね? このまま血を抜かずにいたらヴァンピールになってしまう」


「っ!」


「知っているかい? ヴァンピールはね、理性のない獣のような存在に見えるが、多少はあるじ――自分をヴァンピールにした吸血鬼の指示に従うんだ」



 そんなこと知るもんかと言ってのけたかったけれど、嫌な予感に耳を澄ませてしまう。



「だから、何の指示も受けていないヴァンピールは一先ず主のもとへ向かう」



 話を聞きながら、ドクドクと血の流れる音が聞こえる様だった。


 呼吸が荒くなる。


 泣きたくなりそうなのを必死でこらえた。


 だって、つまり大橋さんは――。



「つまり、君がヴァンピールになれば自動的に真理愛のもとへ案内してくれるというわけさ」



 私をこのままヴァンピールにしようとしているということだから。



「っでも、私に血を入れたのが真理愛さんだという確証はないですよ?」


「だが彼女の血の結晶を持っていただろう? 可能性としては一番高い。……それに、もし違っていても茜渚街に次に放つヴァンピールが君になるだけだ」


「っ⁉」



 私をヴァンピールにしても真理愛さんにたどり着けるとは限らない。


 そう訴えても、それならそれで利用するだけだと言う。


 やっぱりこの人はまともじゃない。


 こんな人に利用されて、ヴァンピールになんてなりたくない。


 人の形をした、人ではないモノに。


 人にも戻れず、吸血鬼にもなれなくなるなんて……。



『お前を、失いたくない……』



 蘇るのは櫂人の震える声。


 吸血鬼になってでも側にいたいと思える相手。


 彼を――一人にしたくない。



「っ!」



 滲んできた涙が零れる前にグッとこらえた私は、ためらうことなく自分の手首に嚙みついた。


 血を流さなきゃ。


 瀉血が出来ない以上、自力で血を抜いてしまわないと。


 そうしなければ、大橋さんの目論見通り私はヴァンピールになってしまう。



「おっと。させると思うかい?」



 でも、皮膚を噛み切って血を流す前に腕を掴まれ阻止されてしまった。


 そのまま後ろ手に拘束されてしまう。



「嫌! 離して!」


「凄いな、ためらいもなく自力で血を流そうとするとは……君みたいな強い女性は嫌いじゃない」



 保健室で会ってから嘲笑ばかりだった大橋さんが、初めて私を称賛する言葉を放つ。


 でも、そんな称賛なんてなんの役にも立たない。


 だって――。



「でもすまないね。君にはどうしてもヴァンピールになって貰わなきゃならないんだ」


「っくぅ!」



 嘲笑しようが称賛しようが、大橋さんの行動は変わらないんだから。



「さあ、昨日君を連れて来てから丸一日経っている。あとどのくらいで君はヴァンピールになってくれるんだろうね?」


「っ⁉ まる、一日?」



 もしかしたら夜を終えて朝にはなっているかもしれないとは思った。


 でも、丸一日ということは今は次の日の夕方ということだ。


 確か、真人さんは今日までに治療を受けるようにと言っていたはず……。


 多少は猶予があるのかもしれないけれど、私に残された時間は本当に少ない。



 自力で血を流すことすら出来なくなって、もう後はどうすることも出来なくなった。


 こんなとき思い出すのはやっぱり櫂人のこと。


 迎えに戻ってくるから待っていてくれと学校で別れたきりの大好きな人。


 暗闇が似合う、私のダークヒーロー。



「櫂人……助けて……」



 打つ手がない私は、涙と共に助けを求めた。

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