犯人

 大橋さんの後ろを私はとぼとぼと歩いていく。


 衝撃的な話を一度にされ、理解はしたけれどやっぱり完全には受け入れられなくて……。


 今はただ、何も考えたくなくてぼぅっとしながら足だけを動かしていた。



 しばらく無言でついていくと、人目を避ける為なのか木々が生い茂る林の辺りに来る。


 流石にどこに行くんだろうと疑問に思ってきたころ、大橋さんが「そう言えば」と話し始めた。



「君は櫂人くんのお母さんのことは知っているかな?」


「え? まあ、少しは聞いていますが……」



 今まで黙っていたのにいきなり何なんだろう?


 しかも櫂人のお母さんって……突然すぎる。


 質問の意味が分からなかったけれど、とりあえず聞かれたことに答えた。



「二年前に失踪した彼女……真理愛を私はずっと探しているんだ」


「え?……あ、確か大橋さんは茜渚街の殺人鬼――ヴァンピールを作り出している犯人が真理愛さんだと推測していたんでしたっけ?」



 探している、という言葉から以前櫂人から聞いた話を思い出す。


 大橋さん含め、ハンター協会がそう判断しているから櫂人は協力しているんだと言っていた。



「ん? ああ、そんなことも言ったかな?」



 でも、私の答えは彼の望むものじゃなかったらしく気のない返事をされる。


 そして足を止め、大橋さんは私の方を振り向いた。



「真理愛の大事な人たちがいる茜渚街にヴァンピールを解き放って、犯人を彼女だと言えば無実だと言って出て来てくれるんじゃないかと思ったからね」


「……え?」


「それに、櫂人くんを巻き込めば母親である真理愛は黙っていないだろうと踏んだんだ」


「な、にを……」



 今、大橋さんは何と言った?


 ヴァンピールを解き放って?


 その言い方はまるで、自分がやったとでもいうかのようだ。



「二年前、初めて彼女に会ったときすぐに分かったよ。彼女こそが私の“唯一”だと」



 大橋さんは懐かしみ、とても嬉しそうに目を細める。


 まるで愛しい相手が目の前にいるかのように。


 ……でも、さっきの発言の所為だろうか。


 その喜びに満ちた目の奥に、狂気を感じてしまった。



「すでに夫と子供がいたけれど、そんなのは些末さまつなことだ。吸血鬼の“唯一”同士は惹かれ合うのが当然。だから彼女は私のもとへ素直に来れば良かったんだ」


「な、にを……?」



 感じ取った狂気が確信となり、一歩後退りする。


 大橋さんは、何を言っているの?


 さっき聞かされた自分がヴァンピール一歩手前だという情報より、今目の前で恍惚と語っている男のことの方が受け入れられない。


 だって大橋さんの言葉が本当なら、茜渚街にヴァンピールを解き放っている犯人は彼ということになる。


 しかも、その理由が自分の“唯一”である真理愛さんをおびき出すため……。



「狂ってる……」



 思わず呟くと、語っていた大橋さんはやっとまともに私を見た。



「ああそうさ! 狂おしいほどに求めているんだ。だから手段も選ばずに探しているっていうのに」



 あなたはおかしいと、そんな言葉を聞かせたのにむしろ喜々として肯定する。


 そして、狂いきってしまった昏い瞳は私にただただ恐怖を与えた。



 ……怖い。


 ヴァンピールに襲われたときのような、死を感じるような恐怖じゃない。


 心に、じわじわと黒いものを流し込まれているような……そんな暗い恐怖だ。



 この恐ろしい人から逃げなくては。


 脳が警鐘を鳴らすのに、恐怖という名の蔦が私に絡みついて動けない。


 そんな私に、大橋さんは興奮を落ち着かせてスーツの内ポケットから何かを取り出した。



「色々と試したけれど、真理愛は私にその姿すら見せてはくれない……でも、ひと月前にやっと手がかりを見つけたんだ」



 優しく語る様は、一見心から愛しいものを見るような目をしている。


 でも、一度あらわにした狂気は確実にそこに宿っていると分かった。



「恋華さん、これに見覚えはあるかな?」


「っ⁉ それはっ」



 さっき内ポケットから出したものを私に見えるようにつまみ上げる。


 それは小さな小瓶。


 中には、小指の先ほどの真っ赤な宝石のようなものが入っていた。


 それは、バラの形をしている。



「ひと月前、君がヴァンピールに襲われていた場所で見つけたものだよ。……君のなんだろう?」


「……私の、薬です」



 確信が込められた言葉に否定しても仕方ないと判断して答える。


 でも、私の答えを聞いた大橋さんは嘲笑を返した。



「薬だって? なんの?」


「っ⁉」


「君は病気ではないんだよ? 一体何の薬だと言うんだい?」


「……」



 聞き返された質問に、私は答えることが出来ない。


 だって、真人さんから聞かされていたのは多血症の薬だということだけだ。


 最後の手段として飲むべき、たった一つの薬だって。



 答えられないでいる私に、大橋さんは嬉しそうに説明する。



「これはね、血の結晶と呼ばれるものだよ。吸血鬼が一生に一度だけ作り出せる、自分の分身とも言える結晶だ」


「え……?」



 吸血鬼が作り出せる、結晶?


 今の今まで薬だと思っていたから、それが吸血鬼に関係あるものだとは思わなかった。



「血の結晶は主に契約に使われる。仕えたいと思う主人に捧げる《主従の誓い》、奪い取って無理やり従わせる《隷属の契約》、相手との血の繋がりを強くして仮初めの“唯一”を作り出す《血婚の儀式》」



 大橋さんは血の結晶の使い方を一つ一つ説明してから、「ほら、薬なわけがないだろう?」と笑う。


 それだけでも驚きだというのに、大橋さんは更に驚くことを口にした。



「そしてこれは真理愛の血の結晶だ。この気配、間違えようがない」


「え?」



 気配なんて、私には分からない。


 だから、大橋さんの言葉が正しいのかどうかも判断できない。


 何より、これは真人さんから貰ったものだ。


 なのにどうして真理愛さんの血の結晶になるのか。



 真人さんと真理愛さんに、どういった関係が?


 答えの出せない疑問ばかりが湧いてきて、私の頭の中はオーバーヒートしかけている気がする。


 もう本当に、何を考えればいいのか分からない。



「恋華さん。君に吸血鬼の血を入れたのは、真理愛なんじゃないのかな?」


「え……?」


「ああ、知らないと言っていたね。でも、無関係ではないということだ」


「っ⁉」



 大橋さんの目が暗い光を帯び、私を見つめる。


 逃げなきゃ! と、さっきよりも強く思ったのに、遅かった。



「っ! あ……れ……?」



 大橋さんと目が合うと、頭がボーッとしてきて何も考えられなくなってくる。


 何だろう……まるで催眠術でも掛けられたような――。


 思考する力が抜けていく中、最後にそんなことを思った。



「恋華さん、君は真理愛を誘い出すための有力な手がかりだ。ついて来てもらうよ」



 意識がハッキリしない中、大橋さんの嬉し気な声が聞こえた。

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