保健室の黒王子①

「じゃあ、しばらくは顔を合わせることは出来なさそうだけれど、何かあれば連絡するんだよ?」



 切れ長の目を優しく細め、真人さんは私を見送ってくれた。


 櫂人くんによろしくね、とドアが閉められる。


 しばらく会えないのにアッサリした別れだったなと思った。


 けれど、真人さんの仕事がひと段落すればまたもとに戻るんだろうし、こんなものかな? と納得する。



 むしろひと段落した後に櫂人が私をこのマンションに戻してくれるのかどうか……。


 そっちの方が心配かもしれない。



 とはいえ、今からそれを考えていても仕方がない。


 私はエレベーターで一階に降りて櫂人の待つ外へ出た。



「おはよう、櫂人。待たせてごめんね」


「おはよう、恋華。……これくらい待ったうちに入んねぇよ」



 ヘルメットを片腕に抱えて佇む櫂人はもはやモデルの様で、朝から眼福だった。


 やっぱり夜の闇の方が似合う彼だけれど、陽の光の下であっても美しさは際立っている。


 カッコイイなぁ……と思わず見惚れていると、いつの間にかそばに来ていた櫂人に顎をすくわれた。



「え? あ、んっ」



 抵抗するヒマもなく、唇が塞がれる。


 唇の形を確かめるように舌でなぞられ、場所も忘れてゾクリと震えた。



「ん……昨夜一緒に寝られなかったことに比べれば、今の待ち時間くらいどうってことない」



 離れた唇で熱っぽく囁かれて、とろりと意識が溶けて行きそうになる。


 このまま身を任せたくなったけれど、何か視線を感じてふとそちらの方向を見たら。



「っー⁉」



 チラリと見た方向には、杉浦さんがいた。


 目を見開いて私たちをガン見している。


 途端に溶けそうだった理性が覚醒して私はバイクの方へ櫂人を押した。



「は、早く行こう!」


「え? あ、ああ」



 私は慌てて櫂人をうながし、バイクでその場を後にする。


 杉浦さんの表情はただ驚いている様に見えたけれど、あの噂好きのおばさんだ。


 あの後何を言いふらされるのかと考えると頭が痛い。


 そういう意味でも、櫂人の家に住むことになって良かったのかもしれないと思った。


***


 ……やっぱり注目されてるな。


 今日は前とは違ってバイクの置き場所から校門まで櫂人と一緒に歩いていた。


 バイクに乗っていなくても注目されているから、やっぱり初日も校則云々じゃなくて櫂人と一緒だから注目されていたんだね。



「じゃあ、今日の昼は保健室に来いよ?」


「保健室?」


「ああ、俺は学校にいるときは大体保健室にいるからな。……紹介しときたい人もいるから」


「うん、分かった」



 答えながら、そう言えば櫂人は“保健室の黒王子”とも呼ばれていたなと思い出す。


 でも学校にいるときは大体保健室にって……授業はどうしてるんだろう?


 疑問に思ったけれど、たくさんの生徒が行き交う朝の生徒玄関でする話じゃないだろうと思って今は聞かないでおいた。



「じゃあ、お昼に」


「ああ、待ってる」



 最後に櫂人は私のおでこにキスを落とし、離れていく。


 キスされた瞬間、周りにいた生徒たちがザワリと騒がしくなったことなんて気にも止めずに。


 噂されてるなぁと思いつつ、出来るだけ気にしない様に教室に向かう。


 なんとか自分の席に座ると、キヨトくんが慌てた様子で近付いてきた。



「片桐さん! さっきのあれ何なんだ⁉」


「あ、おはよう。さっきのって……見てたの?」


「めっちゃ見てたよ! 関わらない方がいいって忠告したよな? なんであんな! キスとか!」


「ちょっ⁉ 声が大きい!」



 キヨトくんの言葉にクラスにいたみんなは一斉に私たちに注目した。


 見てたってことはまず良いとしても、キスのことはわざわざ言わなくても良くないかな⁉



「大きい声も出したくなるだろ⁉ あの黒王子があんな甘ったるい笑顔見せるとか……俺男なのについうっかりときめいちゃったじゃねぇか⁉」


「いやもう何言ってるの?」



 もうキヨトくんが何を言いたいのか良く分からない。


 キヨトくん本人も混乱しているのかもしれない。



「え? 何々? 片桐さん黒王子とキスしたの?」



 キヨトくんの声を聞いてケンジくんが近付いてきた。


 混乱しているキヨトくんをどうにかしてくれそうな相手にホッとしたけれど、彼の表情はどこか楽しそうだ。



「そうなんだよ! 生徒玄関でイチャイチャしててさぁ!」


「マジで? 休みの間に何があったんだよ、片桐さん?」



 キヨトくんをどうにかしてくれるどころか更に詮索された。



「……はぁ」



 私はため息をついて目の前の二人を落ち着かせることを諦める。


 遠巻きにしているクラスメートも私の答えを待っているみたいだった。


 誤魔化すことも考えたけれど、櫂人と一緒にいるところを見られるたびに説明しなきゃならなくなるのはかなり面倒。


 それに、コソコソつき合うなんてこともしたくないと思ったから。



「……付き合ってるの」


「は?」


「え? 今なんつったの?」



 聞こえていなかったのか、もしくは聞き間違いだとでも思われたのか。


 二人はもう一度聞いて来る。

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